もともと、大のサッカー好きで数年前にもイングランドの名門マンチェスター・Uとの契約に色気を出していたボルト。
「陸上競技で求めていたものは全て手に入れた」
ボルトはインタビューでそう語っていました。幾度にも及ぶ世界記録更新、オリンピック三大会連続での金メダル獲得など、空前絶後の実績を叩きだしてきた彼にとって、目標とすべき目標は、もはや皆無なのでしょう。新たな刺激を求めるこのアスリートに対し、ネット上では賛否両論が巻き起こっています。
マイケル・ジョーダンと同じ?
いずれにしても、100mを最速9秒58で走りきる、身長196cm・体重94kgのフィジカルモンスターが、果たして、サッカー選手としてどの程度通用するのか……。もし、この奇跡のキャリアチェンジが実現したら期待せずにはいられないというものです。
さて、ボルトの年齢は今年で30歳。アスリートとして、男として、これからの人生を考える節目の年だと思われますが、彼と同じ三十路のときに、これまで得た輝かしい名声・立場を全て捨てて、新たな競技にチャレンジしたスーパースターが存在しました。NBAの伝説的名手、マイケル・ジョーダンです。
マイケル・ジョーダン、絶頂期でのメジャー挑戦
マイケル・ジョーダンについて、もはや説明は不要でしょう。15年間の選手生活の中で得点王10回、年間最多得点11回、平均得点は30.12点でNBA歴代1位、通算得点は32,292点で歴代4位。
その抜群の実績から“バスケットボールの神様”と賞賛されているのはご存知の通りです。
栄光に彩られた選手人生は、その実、山あり谷ありで、3度の引退も経験。1度目は1993年10月。
急逝した父との約束を果たすために
ジョーダンの野球経験は少年期にたしなんだ程度。「無謀だ」という世論が大半を占めたのは、言うまでもありません。
しかし、話はとんとん拍子で進んでいき、結果、同じシカゴに本拠地を置くホワイトソックス傘下2A級バーミンガムへ、野手としての入団が決定します。
それにしても、なぜ、彼はNBA選手としての経歴を捨ててまで、野球界に飛び込んだのでしょうか? 最大の理由は「父との約束を果たすため」とされています。実は、93年7月23日、ジョーダンは父親を不慮の事故で亡くしており、その父にメジャーリーグの舞台に立つことを生前誓っていたのだとか。
数年後はメジャー昇格もあり得るという評価も…
約束を果たすため、ジョーダンは黙々と練習に励みます。毎日、早出・居残りは当たり前。そのストイックなプロ精神に、同僚たちは感嘆したとのこと。
入団当初は、変化球に全く対応できず苦しんだものの、後半戦では改善され、結果的に127試合に出場して打率2割0分2厘・11エラーという成績を記録。このまま練習を続ければ、数年後にはメジャー昇格もあり得るという評価もされていましたが、1994年に起こったMLBストライキに嫌気が差し、わずか1年で退団してしまいます。
結果が残せなかった以上、ジョーダンのメジャー挑戦は、失敗だったといえるでしょう。しかし、その旺盛なチャレンジ精神があったからこそ、NBAで唯一無二の存在になりえたことも、紛れもない事実。
何かを始めるのは怖いことではない。怖いのは何も始めないことだ by マイケル・ジョーダン
まさに有限実行。この稀代のスーパースターのように、ボルトも失敗を恐れず、新たな目標に向かって走っていき、世界を驚かせて欲しいものです。
(こじへい)
※イメージ画像はamazonよりマイケル・ジョーダン コンプリート・ブック―ベケットグレートスポーツヒーローズ (地球スポーツライブラリースペシャル)