今年、NYの"The Food Film Festival NYC2016"で日本人映像作家の作品が、"Best Short Film Award"(最優秀短編賞)と"Audience Choice Award"(観客賞)の2賞を受賞した。タイトルは“SAKURADA”ZEN Chef。
昨年1月、惜しまれながら閉店した京都の日本料理店「桜田」の最後の100日間を追ったドキュメンタリーだ。
京都の日本料理店「桜田」の最後の100日間を追ったドキュメンタリーがNYの映画祭で最高賞に

11月中旬、東京で受賞を記念して小規模な上映会が行われた。わずか12分間にいまや「伝説」と言われる店の最後の100日間が強烈に凝縮されていた。最後のシーンがフェードアウトした瞬間、「桜田」の記憶が甦った。涙腺がゆるみ、エンド・クレジットが歪んで見えた。その数日前、京都で行われた上映会とは異なり、東京の会場には「桜田」体験者は少なかったようだが、会場からは惜しみない拍手が送られた。
映像には未体験の人の琴線と涙腺に触れるほど濃密な「桜田」が確かに描かれていた。

「桜田」という開かれた京都の象徴


この店があったのは京都のど真ん中、四条烏丸の小径だった。「いかにも京都」という風情の軒が連なる細い裏路地に佇む正統派の和食店。初めて訪れたのは10年ほど前だった。当時、京都の飲食店はいまほどには開かれてはいなかった。一見客は当然のように断る店も多かったし、自分でも京都の一流店に出向くとき、サイフにいくら入っていれば安心できるのかわからない。門外漢にとって「京都」の敷居は高かった。


だが「桜田」は違った。一見客の予約も受けていたし、少し背伸びをすれば20~30代の若い客でも暖簾をくぐることができた。有り体に言うと食べて呑んで、1人2万円でお釣りが来るくらい。だが席に着けばその金額が信じられないような、もてなしと細部まで仕事が凝らされた品々が繰り出された。「仕事」と言っても華美に走るわけではない。食材も旬は押さえるが、豪華な食材にばかり頼るわけではない。
ただひたすら実直でていねいな仕事ぶりで客の舌と胃袋と虜にした。初めて訪れた当時のコースを振り返ってみる。

口洗い……梅昆布茶
御神酒代わりの日本酒
先(先付)……長芋羹の雲丹乗せ
煮(椀物)……鱧と胡麻豆腐の吸い物
造(向付)……鯛と剣先イカ、ブリの子のお造り
焼(焼き物)……鮎の塩焼き
(焼き物2)……卓上の七輪で笹の燻香を当てる鮎の塩焼き
寸(八寸)……そら豆、白和え、烏賊とすったオクラの酢の物、〆鯵、鰻のごぼう巻き、茎生姜、サヨリの黄身寿司、鯛のちまき寿司
鉢(炊き合わせ)……茄子と万願寺唐辛子
飯……わらびの炊き込みごはん
果(水菓子)……果物盛り合わせ
菓(主菓子)……桜餡のくずもち
抹茶

つたないメモが頼りなので細かい部分や順番は違っているかもしれない。だが、とにかくどれもこれも加減というか塩梅が精妙だった。だしも塩も行き過ぎて下品になることはないのに、ピタリと決まっている。鱧や鰻といった高級食材も要所に使われてはいたが、それよりも前面に出ていたのは季節感。
和食ならではの「旬」という必然性があってこその鱧であり、鰻だった。
京都の日本料理店「桜田」の最後の100日間を追ったドキュメンタリーがNYの映画祭で最高賞に

「桜田」は閉店を決める遙か前から「伝説の和食店」だった。「桜田の席が取れたから京都に行く」という客も多く、店はいつも満席御礼。客も弟子入り希望者も全国から詰めかけ、その味に焦がれる人は増える一方だった。それでも主人は店を閉じた。その最後の100日を記録した映像には、桜田がどれほど客に、弟子に愛されていたかが記録されている。
そしてなぜそれほどまでに愛されたのかが切々と響く。

もともとはプライベート用の記録ビデオだった


実はこの映像、もともとは私的な理由で撮影されることになったものだった。「桜田」はご主人と女将、そして娘の若女将という3人を中心に切り盛りされる"家族経営"の店だった。2015年の新春に若女将の結婚が決まり、それと前後して店を閉じることになった。だが若女将の結婚相手、松山大耕さんは「将来、子どもが生まれたとき、祖父があれほどの仕事をする人だということを見せられないのは申し訳ない」と映像作家を探して奔走した。

松山さんは、妙心寺退蔵院という古寺の副住職である。ただの僧侶ではない。
禅寺の息子として生まれながら、カトリック系の中学高校から東大を経て、寺に戻った。外国人観光客向けに向けては自ら英語で禅を紹介し、数百名の修学旅行生に座禅体験を提供したりもする。かと思えば、 TED×Kyotoで「宗教の寛容性」についてプレゼンを行ったり、前ローマ法王に謁見したこともある。その活動量に比例して、人脈も多方面に渡る。

プライベートだから予算に限りはある。テレビメディアの知人に相談したが「権利ごと譲る形は難しい」と難色を示された。そんなおり、知人のスチールカメラマンが「いまは東京在住だが、京都出身者で『京都の映像を撮りたい』という映像作家がいる」と紹介されたのが岸田浩和さんだった。

「当初は『予算の範囲内で何日来れるかな』なんてうまくやりくりしようと考えていたんです。ところが撮影し始めたらすぐ『この大将の仕事ぶりは尋常じゃない』とのめり込んでしまった。しかも普通ならとても入れないようなところまで全部撮らせてくれる。これはもう予算じゃない。回すしかない。トータルで何百時間回したか、ちょっとわからないくらい撮りましたね」(岸田さん)

映像のお披露目は、松山さんと若女将の披露宴と決まっていた。日取りは閉店の2週間後。店を閉めた2日後まで撮り続け、突貫で編集作業に入った。披露宴の前日、京都に向かう新幹線の中でも編集をし、京都のホテルにチェックイン後も徹夜で作業した。結局、披露宴当日の午前中までかかって、ぎりぎりで滑り込ませた。

「もっと多くの人に見てもらわなあかん」


初見時の印象を松山さんはこう述懐する。

「いまよりも、少し家族のコメントが多かったりと、披露宴に合わせた構成になっていたんですが、『これはもっと多くの人に見てもらわなあかん』と感じました」

そこに映し出されていたのは、徹底的に細部まで突き詰める職人の姿だった。

「これから料理を志す若い人に、そして世界の人に『和食』の真髄を知ってもらうのに、うってつけの映像でした。いま日本料理は世界から注目されています。なのに形だけ、派手なだけで何を食べているのかわからない日本料理がどれほど多いことか。でも大将の料理は違う。素材に対する敬意があり、うつわやしつらえにまで目が行き届く。季節やその日の天候にまで心を砕いて、料理の流れを組み立てる。料理という範疇にとどまらないひとつのアートなんです。そのレベルでしか伝えられない日本料理の真髄がある。これは次の世代に、世界に伝えなければならないと直感しました」(松山さん)

そう。確かにこの作品は、世界にも次の世代にも伝えるべき作品なのだろう。だが本来、この作品は次の世代より、世界よりも、この国に暮らし、日本料理を口にしているはずのわれわれが見るべき作品だ。「食」に限らず、すべての職業人が追うべき背中が映像のなかにある。興味本位でもいい。「桜田」を知る人も知らない人もこの作品に触れることで得るものはあるはずだ。上映会の予定は随時「懐石料亭「桜田」最後の100日 "SAKURADA" Zen Chef上映情報」にて更新される予定だが、11月25日現在決定しているのは今週末の2回のみ。

11月27日(日)12時から東京・銀座、そして11月28日(月)18時から東京・丸の内で上映会が開催される。28日の上映会には、松山大耕さんや「桜田」の大将、桜田五十鈴さんもゲスト参加する。

伝説の店、映像、そして人。すべては一期一会である。

(松浦達也)
ライター/編集者にして「食べる・つくる・ひもとく」フードアクティビスト。マンガ大賞選考員。著書に『大人の肉ドリル』、『新しい卵ドリル』(ともにマガジンハウス)など