あえて過去形の表現としたのは、ある出来事をきっかけに、彼女が現在まったく歌手活動を停止し、芸能界からまったく姿を消しているからである。
最愛の夫を癌で亡くして…
その出来事は結婚生活14年、穏やかな愛情に包まれて暮らしていた最愛の夫である俳優・郷エイ(金ヘンに英)治を1992年に癌で亡くしたことだ。
夫を亡くした際、彼女は「主人の死を冷静に受けとめるには時間が必要。静かな時間を過ごさせて欲しい」との旨でコメントを発表。
当時のファンや関係者の多くはそのコメントを聞き、「しばらくしたらまた芸能界に歌手として復帰するのだろう」と解釈していたという。しかし以来、芸能界にその姿を現すことはなくなった。これまでの25年間、沈黙を守ったままだ。
日本中を魅了した「歌姫」
「ちあきなおみ」の名でネット検索すると、彼女をネタにした「引退の真相は!?」「あの人は今!」的な芸能ニュースがたくさんヒットする。
現在でもこれほどまでに話題になるのには、いくつか理由があろう。
ひとつはその歌唱力やカリスマ性から、彼女が美空ひばりに継ぐ、実力派女性歌手と目されていたからだろう。その証明のひとつが1972年に受賞した日本レコード大賞だ。
さらに注目すべきは、空前のヒットとなった受賞曲の「喝采」の内容だ。その歌詞は、歌姫を一人称にしたもので、亡くなった恋人を思いながらなお、ステージで歌いつづけるという設定。はからずも「喝采」から20年後に、自身のプライベートに起こったことがその歌詞にそっくりそのまま重なることになったのだ。
歌手としての妻を支えた夫
ちあきの亡夫は、宍戸錠の実弟でもある元俳優だ。1973 年、ちあきと郷は宍戸の紹介で知り合い、その5年後の78年に結婚した。
当時、人気歌手やタレントの結婚を所属事務所がすんなり認めることは稀だった。ちあきのケースも例外ではなく、レコード会社からは結局、解雇された。一時期は仕事がほとんどなくなったという。
郷は結婚後、そんな彼女を支えるため、自らは芸能界を引退。ちあきの個人事務所を設立し社長兼マネージャーとして活動を始めた。精力的に歌手として活動するちあきと、それを陰から支える夫。はたから見ても仲睦まじく、実生活においても同じ方向に視線を据え、今と向き合いながら未来を信じて二人は歩いていた。
ところが公私ともに順調だった1992年、郷を肺がんが襲い、55歳の若さで亡くなった。ちあきは、柩にしがみつき「私も一緒に焼いて」と号泣したという。
活動停止の理由は夫の最期の言葉
亡くなる前、郷は彼女に「もう無理して歌わなくていいよ」と伝えたという。夫を亡くした際の、公の面前でのコメントには、「故人の強い希望で」身内だけで見送りたい……旨を述べていたちあき。
活動停止もまた、夫の遺志に沿ったものだとすれば「もう無理して歌わなくてもいい」という言葉を、いまでも忠実に守っているともいえる。
ちあきなおみは今…
歌手としての活動をぱったり停止してから25年たっているとはいえ、これまでに何度かベスト盤CDが発売され、歌手・ちあきなおみは根強いファンに支持されてきた。
とはいえ当の彼女は沈黙を守ったままだ。音楽関係者のラブコールには一切応じないという。
ある音楽関係者によると、ちあきは夫の墓所の近くに住み、月命日には墓参りを欠かさないという。そしてその左手の薬指には結婚指輪がつけられているとか。
その姿は、今も変わらぬ愛情の証として一生夫のそばにあり、姿なき夫とともに暮らし続けるつもりであるかのようだ。
(せんじゅかける)