「わたしは超高視聴率のウラなんて いったい何がやっているのか 不思議だったのだ」(さくらももこ著『ちびまる子ちゃん 第1巻』より)

大晦日、家族から非難されながらも、紅白が映るテレビをザッピングしたまる子の心情を綴った一節です。
まる子が小学3年生だった1974年~1975年といえば、「紅白=みんなが観るもの」だった時代。
おそらく裏番組を見る人など、今よりもずっと少なかったに違いありません。しかし時は流れ、いつしか紅白の視聴率も低下傾向に。それを逃すまいと民放各局の逆襲が始まり、90年代~00年代には様々な裏番組のヒット作が誕生してきました。
本稿では、その中でも特に印象的だった番組を紹介していきます。

「FNS大感謝祭」(フジテレビ系 1991年)


フジはこの前々年に『テレビバラエティー30年史』(8.1%)、前年に『ありがとう1990年笑いで、まとめる一年総決算』(10.8%)という、過去の映像アーカイブを利用した番組でまずまずの視聴率を記録。その流れを汲んで放送されたのが、『FNS大感謝祭』です。
これは、その年のフジテレビのバラエティやドラマについて、反省会を行うという番組。人気番組のスタッフや関係者をスタジオに呼び、視聴者からの質問に応えるというスタイルをとり、司会進行は、明石家さんまと逸見政孝が務めました。

視聴率は11.9%と上々。そこから2年連続で企画された後にお役御免となりましたが、2002年~2006年には、『明石家さんまのフジテレビ大反省会』というほぼ同内容の番組を計4回放送。『週刊フジテレビ批評』を20年以上やっていることといい、フジは多分、メタ視点的自己批判が好きなのでしょう。

「電波少年 緊急特別番組」(日本テレビ系 1997年)


1996年10月末から、南北アメリカ大陸横断のヒッチハイクに挑戦していたお笑いコンビ・ドロンズ。マゼラン海峡からアラスカにかけて、約1年2ヶ月もの長きに渡る旅路の果てに企画されたのが、『電波少年 緊急特別番組 緊急特番 ドロンズ、遂にアラスカゴール極寒完全生中継!』でした。

気温-45℃のゴール地点には、日本から撮影クルー、アナウンサー、遠藤久美子・TUBEの前田亘輝らが集結。
ゴールした際には、アラスカの夜空に花火を打ち上げ、日本からの中継によるオーケストラの生演奏をバックに、前田が2人のために書き下ろした応援歌『君だけのTomorrow』を歌ったりと、かなり大掛かりな演出を施します。その甲斐あってか、15.9%という高視聴率をマークしました。

K-1PREMIUM 2003 Dynamite!!」(TBS系 2003年)


2000年の『イノキボンバイエ』(TBS系)から2010年まで続いた、大晦日における格闘系番組の系譜。その沸点ともいうべき番組が、この『K-1PREMIUM 2003 Dynamite!!』です。

プログラムの中でもっとも注目されたカードは、ボブ・サップと曙の一戦。片や社会現象を巻き起こしているK-1の“ビースト”。片やこれが格闘技デビュー戦となる元横綱。一体、どんな戦いを繰り広げるのか……。この“世紀の一戦”を見届けようと、多くの人が2人の試合に合わせてチャンネルをTBSにザッピング。結果、瞬間最高視聴率43.0%という驚異的な数値を記録。4分間というわずかな時間でしたが、長渕剛が出演した紅白の視聴率を上回るという、史上初の快挙も成し遂げました。

「細木数子の大晦日SP」(日本テレビ系 2004年)


2002年は、『美味しいラーメン屋さん列島縦断ベスト99』を放送するも、視聴率7.1%と振るわず。2003年は格闘技ブームの波に乗り『イノキボンバイエ2003』を企画したものの、他局に目ぼしいファイターを取られて5.1%の大惨敗。
1997年の電波少年緊急特番以降、他局の後塵を拝していた日テレが久しぶりに放ったヒットが、『細木数子の大晦日SP』です。
六星占術を用いた毒舌の占いで、視聴率女王として君臨していた細木数子を起用した同番組。確執があった和田アキ子やホリエモンと対談したり、アニマル探偵団のコアラを「ハッピハッピー」に改名したりと、内容は盛りだくさん。14.4%という好成績を残し、大晦日の民放を席巻していた格闘技ブームに風穴を開けました。

このように、大晦日の夜を彩ってきた紅白の裏番組たち。果たして、今後はどんな番組が生まれるのでしょうか? 期待したいところです。
(こじへい)
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