
女優の平愛梨氏が、伊インテル所属のサッカー選手・長友佑都氏との結婚記者会見で、「『関白宣言』という曲を毎日聞いています」「あのような心の強い、耐え忍ぶ女性になりたい」と発言し、ネット上では物議を醸しています。
関白宣言の歌詞と言えば、語り手の男性はとにかく上から目線で、妻をまるで奴隷扱いしようとするものです。
にもかかわらず、私(33歳)とほぼ同い年の方でここまでのめり込み、かつそれを何の躊躇も無く公言してしまう著名人がいることに、大変驚愕すると同時に鬱屈した気分になってしまいました。同じように感じた人も少なくないはずです。
なぜ、娘をモノのように扱えるのか?
また、平氏が耐え忍ぶ女性になりたいと言ったことに対して長友氏は、「我慢はしなくて良い」というようなフォローをするどころか、「完全に、彼女は(中略)もう、なっています。本当に、こんな素晴らしい女性が、この世に存在するんだ、という思いが僕はありまして。言うことがないです、もう」と手放しで賞賛しているのです。
近年、日本のサッカー選手でヨーロッパのチームで活躍する人は増加傾向にあって、それ自体は本当に喜ばしいことだと思いますが、残念ながら家族観の先進性は全くヨーロッパに追いついていないようです。
さらに、平氏の両親が「どうか返品、交換なきように温かく包んでくれるようよろしくお願いします」と、西野カナ氏のヒット曲『トリセツ』の歌詞をもじったような発言をしたことにも驚愕しました。娘をモノのように扱うことを平気で言えてしまう感覚が信じられません。平氏が関白宣言を好むのも、おそらくこのような両親の影響を直に受けてしまったのでしょう。
妻への呪いと搾取が蔓延る日本の「ブラック結婚」
ただし、このように批判を展開していると、「幸せの形は人それぞれだ」「他人がとやかく言う問題ではない」という反論が必ずあがります。今回のケースでもネット上で否定的な意見を述べている人に対してそのような反論がされていました。ですが、これは本当に「人それぞれ」で済む問題でしょうか?
たとえば、歌詞の中では男性が妻に対して自分よりも先に寝ることを禁止して、先に起きることを求めています。
また、日本人男性の家事育児の時間は世界でも最低です。確かに男性も長時間労働で苦労しているという側面もありますが、妻のほうが睡眠時間や3次活動(娯楽や趣味や休息)の時間を削って家事育児の時間を確保しているのも事実なのです(『社会生活基本調査』より)。
関白宣言のようなことを露骨に強要されるケースは少なくなったのかもしれませんが、依然として「良き妻はかくあるべきだ」という男尊女卑の"呪い"や、妻として夫に献身的に奉仕しろという"搾取"に苦しめられている女性がこの日本にはたくさんいるわけです。DVもモラハラもじんわりと残っています。良妻賢母型の結婚というのは、女性にとって「ブラック結婚」と言わざるを得ません。
影響力は平等ではないから抑圧が生まれるのだ
このように、男尊女卑の夫婦にしばしば社会的な人権侵害が発生しているという現状の中で、安易に「人それぞれ」とだと容認することがどれだけ悪影響を及ぼすものか、想像して欲しいと思います。
いまいちピンと来ない方はブラック企業で考えてみれば分かりやすいでしょう。ブラック企業がはびこっている日本の現状に対して、「働き方は人それぞれだから他人がとやかく言うべき問題ではない!」で済むでしょうか?
社員に違法な長時間労働をさせていたとして、労働基準監督署から是正勧告を受けたエイベックスの松浦勝人社長が、ブログで長時間労働規制に対する反論していますが、これも"好きの搾取"を「人それぞれ」という論拠で正当化しようとするものでした。
ですが、好きで仕事をやっているかどうかを誰が判断できるというのでしょうか? 好きか否かをどのような尺度で計れるというのでしょうか? 結局は「自分が好きでやっているから他の人も好きでやっているのだ」という決め付けに過ぎません。そのような決め付けをトップがすることは抑圧であり、下の人にとっては十分暴力になりうるものなのです。
社会的に影響のある著名人カップルがTVでそれを披露し、かつマスコミもそれに対して何の批判的見解も加えることなく「幸せ」を演出することが、上記のようにどれだけ日本人女性に対する抑圧になっているかをもっと意識して欲しいと思います。
自由な選択は人権が担保されて初めて成り立つものだ
そもそも「パートナーシップは人それぞれ」と言いますが、私はパートナーシップのあり方がどうあるべきかについて言及しているわけではありません。それよりももっと上位概念である「人権」について侵害があるから否定的な意見を述べているのです。
エイベックスの件は、残業代不払い等の労働法に抵触する案件だったわけですが、現行の労働基準法の36協定は事実上無限に残業ができる仕組みになってしまっているため、人々を苦しめる長時間労働を是正するには現行の労働法に沿った対策では不十分です。そのため、働く人々の人権を守るために労働時間の上限規制やインターバル規制の設置等、労働法自体の改正が望まれています。
夫婦においてもそれと同様です。人権が担保されている状態が出発点であり、その上で初めて個人の自由な選択が可能であると思うのです。人権が侵害された状態すらも個人の自由な選択の一つと捉える人にはこの階層的な構造は理解できないのかもしれませんが…
もちろん、過渡期にある現時点の日本においては「今すぐ良妻賢母型は一切この世から無くすべきだ」とは言いません。ですが、「良妻賢母型の夫婦にはしばしば人権侵害が発生しやすいものであり、決して賛美されてはいけないものである」と社会的に認知されていることが必要です。メディアが報じる際にも必ずデメリットもセットで伝えるべきでしょう。「ハードSMプレイに興じている夫婦」と同じくらいの位置付けがちょうど良いと思います。
『関白失脚』はアンサーソングになっていない
なお、「『関白宣言』は、『関白失脚』というアンサーソングがあるのだから、それとセットで聞くべきだ。強がっていても結局は尻に敷かれるというオチなのだから」のように反論を述べている人もいました。
この曲は知らなかったので歌詞を調べたのですが、正直これも酷い内容でした。歌詞の語り手は「男として働き続けることが家族への愛情だ」と思っているようなのですが、それは独りよがりの妄想に過ぎません。
先日、雑誌クロワッサンが「最も捨てたいのは、夫!」というキャッチコピーを表紙に据えた特集が話題になりましたが、夫が嫌いな妻は妻が嫌いな夫の何倍もいます。配偶者と一緒の墓には入りたくないと考えている女性は男性の何倍もいます。彼女たちは「子どものため」を思って我慢をしているだけなのです。
熟年離婚を迫られて「寝耳に水」に感じる男性が多いのかもしれません。ですが、勝手に「幸せのあり方」を決め付けて、コミュニケーションもまともに取っていないわけですから、本質的には『関白宣言』のような人物と何も変わっていないのです。
もし関白宣言のアンサーソングとしてしっかりとアンサーになっているものを作るのであれば、熟年離婚を迫られて、子供からも尊敬されず疎遠になり、友人も少なく、孤独を抱きながら寂しい老後生活を送るというところまで含めて、若い世代に向けて「関白宣言は絶対にしてはいけないよ」と語りかけることまでして初めて意義があるものになると思います。
男性も関白宣言に決別をするべきだ
それにしても、今回の平氏の関白宣言が理想という発言に対してネット上で声をあげた人の多くは女性だったのですが、男性で批判的な声をあげる人が少ないことにとても疑問を感じています。というのも、関白宣言のようなことをしても、多くの場合、男性にとっても不幸でしかないからです。
たとえば、病気をしても長時間労働や上司からのパワハラで辛くても仕事をやめられないには、「ついて来い!」と言った女性がいるからです。前述のように、一生懸命頑張っていても、相手の気持ちを理解できずにいて離婚を迫られるケースもあるわけです。離婚をせずとも家に居場所が無く、老後に孤独を感じる人は圧倒的に男性のほうが多いわけです。
つまり、誰かを支配すればより強い者に支配される。
「関白宣言」ではなく「パリテ宣言」で行こう!
今回は平氏の関白宣言を理想とする発言をもとに、妻に対する男尊女卑の"呪い"と"搾取"の問題について述べてきましたが、そんな状況を打開するべく、スマートな男女による「パリテカップル」を日本でも増やしていきたいと思っています。
「パリテ」はフランス語で「平等」「半々」という意味で、政治で男女の候補者数を半々にする「パリテ法」として有名な言葉です。その思想にあやかり、パートナーシップにおいても、仕事も家事育児も平等にして半々にしていこうという発想で考えました。
「仕事も家事も育児も全て半々に!」
「人として対等なパートナーシップを築いています!or築いて行きたい!」
そんな人の「パリテ宣言」をするパリテ派の人が増えて、「パリテカップル」や「パリテ結婚」が広まれば良いと思っています。
もちろん、全て半々にしてはいないカップルを否定するつもりは全くありません。現実的に厳しい場合も多々ありますから。ですが、これからの時代はやはりパリテがスタンダードになっていくことが重要に思うので、是非考え自体に賛同する「パリテアライ」の人々も「パリテカップル」や「パリテ結婚」を目指す人々を応援して欲しいと思います。
(勝部元気)