なかやまきんに君の筋肉エピソード
かなり昔、TBS系の討論バラエティ『ここがヘンだよ日本人』で、日本の若手芸人数組が、外国人にネタ見せをする企画が放送されていました。
その中で、当時駆け出しだったなかやまきんに君も登場。いつものように、自慢の“キレてる”肉体美を駆使した芸を披露するも、外国人たちの反応はイマイチ。
なぜ、笑わないのか? 理由を問われた一人のギャラリーが「筋肉はそんなふうに使うものじゃない」と一言。さらに他の外国人からは「それだけ身体を鍛える精神力があるのだから、何か他の事を頑張った方がいいのではないか」とも言われていました。いや、その筋肉を無駄遣いしてるところこそ、きんに君の芸風なのに……。視聴者の多くが思ったことでしょう。
このきんに君のエピソードを出すまでもなく、鍛え上げた肉体とは克己心の象徴。その肉体を手にするまでにどれほどの年月、努力をかけたのか……。考えてみれば、先ほどの外国人がした指摘も、あながち的外れではないと言うものです。
マッスル北村こと本名、北村“克己”はまさに、その名の通り、克己心の塊のような男でした。
「僕には時間が無いんだ」が口癖だったマッスル北村
「人は何の為に生まれてきたのか。僕はまだ何をすべきかはわからないけど、生まれてきたからには、自分が見つけた目標に限界まで挑みたい」
幼い頃のマッスル北村は、こんな理念を抱いていました。想いをカタチにすべく、文武両道の学生生活を実現。小学校から高校までは名門・東京学芸大の附属校で優秀な成績を収めつつ、スポーツにおいてもオールジャンルで抜群の身体能力を発揮。高校からは自転車をはじめ、あるときは16時間連続でサイクリングに没頭。気絶するまでペダルを漕いだそうです。
「僕には時間が無いんだ」。それが彼の口癖だったといいます。生涯において常軌を逸した努力を続けてきた彼ですが、その精神力の裏側には、成し遂げたいことがたくさんあるゆえの危機意識が、常にあったのかも知れません。
二浪の末に東大合格→ボディビルに熱中し中退
大学へは猛勉強の末、二浪で東京大学理科2類に合格。この東大時代、彼はボディビル部の先輩に進められるままに、関東学生選手権へ出場。当時の北村は、スポーツ万能だったものの、ボディビル経験ゼロ。鍛え上げた他の出場選手に比べればヒョロヒョロもいいところで、「惨めさで泣きそうになった」と後に語っています。
その悔しさをバネに、彼はボディビルディングに熱中し始めます。
このように、どれほど両親から反対されてもボディビルへの熱は冷めやらず、ついには東大を中退。その後、人の役に立ちたいとの一心で東京医科歯科大医学部へ入学するも、やはり、「ボディビルを極めたい」との想いが勝り、またしても自主退学してしまいました。
世界選手権目前、過度の減量に散る…
自分の目標を、ボディビル一本に絞った北村の努力量は、これまでにも増して凄まじいものとなりました。1985年のアジア選手権に出場する時などは、120kmを15時間ぶっ続けで走り抜くことにより、14キロの減量に成功。見事、アジア選手権・ライトヘビー級のタイトルを獲得します。
その後もキャリアを重ねていき、90年代前半からタレント活動も開始。『さんまのナンでもダービー』『平成教育委員会』などへ出演し、屈強な肉体に似合わない育ちの良い丁寧な語り口調で、お茶の間の人気者となっていきました。
彼の生涯が突然幕を閉じたのは、2000年8月3日。
人並み外れた精神力で数々の目標を達成してきたマッスル北村でしたが、生前、叶えられなかった夢もいくつかあります。その中の一つが、「両親からボディビルをやってきた自分のことを認めてもらうこと」。
彼の死から16年。今なお、その桁外れのストイックさで、多くの人の心を揺さぶり続けている息子のことを、きっと、両親も誇りに思っているに違いありません。
(こじへい)
※イメージ画像はamazonよりボクの履歴書