脚本:渡辺千穂 演出:新田真三

99話はこんな話
五十八(生瀬勝久)の代からお世話になっていたメリヤス工場は経営難に陥っていた。すみれ(芳根京子)と担当の足立(中島広稀)がそのことに気づいていない間に、工場を救ったのは栄輔(松下優也)だった。
メリヤス工場のモデルは山田メリヤス
キアリスの人気商品・肌着は上等なメリヤス仕立て。メリヤスとは綿糸や絹糸で織った布地で、適度に伸びるのが特徴。
キアリスのモデル・ファミリアの本「上品な上質 ファミリアの考えるものづくり」(ダイヤモンド社)には「素材選び」の章があって、そのなかに「山田メリヤス」という工場が写真つきで紹介されている。「べっぴんさん」にも出てきたゆっくりまわって真っ白い糸を編む素敵な機械は「丸編み機」。50年以上も前から稼働しているものを、いまだに使っている。
ゆっくり編むことで生地がふんわり仕上がるとドラマですみれが語っていたが、実際、そういうふうにファミリアの商品はつくられている。一台あたりの生産量が1日約20メートルで効率がよくないと本には書いてあった。ドラマの工場もそんなふうだから経営難に陥ってしまったのかも。
やっぱりあなたがひとの心がわからん人や
先代の体調が悪くなって入退院を繰り返していたことが経営難の一番の要因。それを知らないままだったすみれと足立。そんなとき、栄輔が、先代の後を継いだ長野(杉森大祐)の相談に乗り、工場を買い取って職人もそのまま雇い、おしゃれな布をつくることにした。
「メリヤスを卸して」「ここの工場はかけがえのないもの」だとすがるすみれに、栄輔は「それは無理」と冷たい。挙句、この強烈な「あなたはひとの心がわからん人や」台詞↑だ。これはキツイ。
すみれのひとの心のわからなさを強調するために、脚本は、五十八(生瀬勝久)が、工場の古い職人の顔と名前、さらには栄輔の事もちゃんと覚えていることを描く。
武ちゃんまで悪く描くのはどうなのか
すみれはたしかに、栄輔の思いをふみにじっている。致し方なかったとはいえ、再会してからの対応がやさしくなかったと思う。
だが、武ちゃんまで「足立部長はいつもいつも判で押したように『いいですねえ』『最高ですねえ』と褒めるばかりでうちらのこと知ろうという気持ちはないようでしたから」と社長の長野に悪く思わせるキャラに描くのはいただけない。
すみれはお嬢様だから鈍いのはわかる。だが武ちゃんはそういうキャラだったか? 苦労して孤独も味わっていて、明美のことをよく見ていたし、気の回る働き者のイメージだったのだが。辞めた西城(永瀬匡)だったら、やらかしかねないミスだが、武ちゃんはなあ・・・。ここはドラマの展開のためのご都合になってしまっている感じがして残念。
でもちょっと考えてみよう。
人間は油断するものである。武ちゃんも、長らくキアリスというおっとりした世界に入って、その外を見ることができなくなっていたのではないか。
キアリスのひとたちは、身内のことはそれなりに思いやっているが、それがいわゆる村社会的になっている。
すみれたちのように創作に才能があるのだから、他人に対する洞察力も鋭いに違いないと思いがちだが、これは、実際、クリエーターたちと仕事をしている身としての実感で、そういうひとたちは自分たちと価値観が合う人達だけとつきあいがちで、しかもかなり強固につながるが、反面、そこからこぼれてしまうひとの気持ちにおそろしく鈍感だ。勉強やスポーツが「できないひとの気持ちがわからない」というひとがいるがそんな感じ。
栄輔とは、そういうある種の選ばれし才能から打ち捨てられた人間の苦しみを体現するキャラクターとして、再登場してきた。
意識的にそれを描いたのか偶然そうなったかわからないが、ドラマをつくるうえで主人公が絶対になってしまう状況が、栄輔という復讐キャラによってみごとに相対化されたのだ。
たぶん、自覚的だと思うのは、五月(久保田紗友)の存在。彼女もまた、東京でひとはたあげたい二郎(林遣都)にとって打ち捨てられる可能性をもっている。彼の足でまといになるかもしれないと思って先に退いたのだろう。ちょうど東京からスカウトが来て、これからの二郎と五月の選択が気になる。
そして、かつて敗者だった栄輔も、いまや事業の拡大のために伝統ある製法をなくしてしまおうとしている。
誰もが、相手を損なう側に回る危険性を秘めているということを描く、なかなかシニカルなドラマになってきた。
(木俣冬)