千秋がボーカル・作詞をつとめた「ポケットビスケッツ」は、1995年に日本テレビ系の当時の看板番組『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』で誕生した音楽ユニットで、メンバーは千秋(CHIAKI)のほかにウッチャンナンチャンの内村光良(TERU)とキャイ~ンのウド鈴木(UDO)。
活動期間は1995年〜2000年。まさに世紀末を駆け抜けたユニットといえるかもしれない。
偶然だった!? 『ウリナリ!!』で生まれたポケットビスケッツ
ポケットビスケッツの活動は、1995年10月、同番組内で「スーパースター誕生」という企画に始まる。
この企画によって生まれた女性3人組ユニット「McKee」と、千秋たち「ポケットビスケッツ」は、1996年4月、同時にCDデビューしてオリコン週間チャートで争うこととなるが、McKeeのデビュー曲『Can’t Stop My Heart』が28位だったのに対し、ポケットビスケッツの『Rapturous Blue』は25位。ポケットビスケッツはその後も10週連続で100位以内に留まり、累計50万枚以上を売り上げることとなる。
当初はMcKeeの添え物扱いだったポケットビスケッツだが、その後はMcKeeのほうが自然消滅。
同年ポケットビスケッツ次作の「Yellow Yellow Happy」には多額の予算が投じられ、初のプロモーションビデオも製作された。見事この曲がオリコン初登場8位を獲得したことにより、ポケットビスケッツはさらなる活動を展開する。
対決ユニット「ブラックビスケッツ」
ポケットビスケッツを語るには忘れることのできないもうひとつのユニットが、「ブラックビスケッツ」だろう。
ポケットビスケッツのデビュー後、番組内に台湾出身のタレント・ビビアン・スーが登場。
ポケットビスケッツ3枚目のシングル「Red Angel」発売直前の1997年1月、ビビアン・スーと南原清隆、キャイ~ンの天野ひろゆきの3人で結成されたブラックビスケッツが登場し、以後さまざまな場面でポケビ・ブラビの対決が繰り広げられる。
年末には『ウリナリ!!』内でポケットビスケッツとブラックビスケッツが武道館ライブをかけて「ガソリンすごろく対決」を行い、この対決に勝利したポケットビスケッツは、初めての本格的ライブとして日本武道館での単独公演をおこなった。
初の一位獲得の名曲『POWER』
翌年、ポケットビスケッツのシングル5枚目とブラックビスケッツのシングル2枚目のリリースをかけ、例によって対決がおこなわれたが、ポケットビスケッツは敗北。この勝負によってリリースが決まったのが、ブラックビスケッツのあの名曲『タイミング』だった。
負けてはいられないポケットビスケッツは、新曲の発売を目指して100万人の署名を集める運動を、全国の小学校を中心に展開する。その結果、100万人をはるかに上回る178万4892人の署名が集まり、晴れて5枚目のシングル『POWER』の発売が決まるのだった。
同年夏には、100万人署名へのお礼として全国ツアーを開催。その年の第49回NHK紅白歌合戦には、「ポケットビスケッツ&ブラックビスケッツスペシャルバンド」として出演。
結果として『POWER』は累計110万枚を売り上げる大ヒットシングルとなった。
この178万4892人への感謝を、千秋は今でもことあるごとに綴っている。
ポケットビスケッツ結成20年を超えて
リリースからもう20年が経とうとしているのが驚きだが、「POWER」は今でも色あせない名曲だ。昨年はタレントのステファニーにカバーされ、リアルタイムのポケビを知らない10代にもこの曲が知られることとなったのではないだろうか。
昨年末には、ポケットビスケッツの20周年記念シングルコレクションも発売され、千秋は自身のTwitterで「ポケビのこと、忘れないでね」とつぶやいている。
音楽への夢を懸けて闘い、歌う千秋の姿が共感を呼んで、ヒットを後押ししたと言っても過言ではないポケットビスケッツの活躍。忘れないどころか、今もその歌を口ずさんでしまう人も多いことだろう。
(空町餡子)
※イメージ画像はamazonよりポケットビスケッツ/スーパーベスト