しかし、デビュー当時の彼は今とは異なり、運動神経をウリにした芸人でした。
そんなウッチャンも、今や52歳。かつての身体能力はすっかり鳴りを潜め、『イッテQ!』の「お祭り男SP」で丸太渡りにチャレンジした際などは、あまりの出来なさ加減に「20年前に戻りてぇ…」とボヤいていました。彼が“肉体派芸人”として、最後の輝きを放ったのは、まさにそんな20年ほど前となる1999年8月。『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』において、ドーバー海峡横断を達成した瞬間でしょう。
素人の寄せ集めでドーバー海峡横断に挑んだ
『電波少年』でお馴染みの“Tプロデューサー”こと土屋敏男氏がプロデューサー兼演出家を務めていただけあって、『ウリナリ!!』は様々な無理難題を『電波少年』とは違う形で、タレントへふっかけていく番組でした。
中でも、特に過酷を極めたであろう企画が『ドーバー海峡横断部』です。
ドーバー海峡は、イギリスとフランスを隔てるイギリス海峡の最狭部。直線にして34kmという極めて短い距離での国境越えが可能なため、世界中のスイマーが憧れる海として知られています。
最狭部、短距離……といっても、34kmです。しかも、この辺りの海域は潮の流れが激しく、一直線で泳ぎきることはまず不可能。水温も18度程度と低く、決して素人が海水浴気分で安易に挑戦できるようなコースではありません。
しかも、『ドーバー海峡横断部』部員たちは、水泳初心者の寄せ集め。
応援VTRに登場したダウンタウンやジャッキー・チェン
そこからプロの指導のもと練習を重ね、国内の遠泳大会に何度も参加して実力を付けていった部員たち。幾度かの加入・脱退を繰り返し、最終的には、ウッチャン、ウド、よゐこの濱口、堀部圭亮、元テニスプレイヤーの神尾米、日本テレビアナウンサーの藤井貴彦、この計6人によるリレー形式で挑戦することが確定します。
ドーバーへ向かう直前には壮行会が開かれ、そのときに流れた応援VTRで、ウドには当時大ブレイク中だったモーニング娘。が、堀部には『ガキ使』の放送作家を務めている縁でダウンタウンが、ウッチャンにはハリウッドで映画撮影中のジャッキー・チェンが、激励のコメントを寄せていました。
16時間37分かけてドーバー海峡の横断を達成
本番が行われたのは、1999年8月31日。この日のために、泳ぎの練習はもちろん、冷水や船酔いに耐える訓練も実施するなど、あらゆる準備を2年2ヶ月の歳月をかけて尽くしたものの、やはり「海のエベレスト」と称される難所だけあって、一筋縄ではいきませんでした。
特に苦しんだのが神尾米。元スポーツ選手ゆえの身体能力で“エース”と期待されていたのですが、この日のコンディションは最悪。何度も船上で嘔吐してしまいます。しかし、それでも無理やり食料を胃に流し込み、リレーの順番が来たら泣きながら海に入る神尾。
スタートから10時間が経過し、どんどん衰弱していく彼女を見てウッチャンは「もう辞めていいんだよ」と声をかけます。それでも、すっかり日が落ちて、暗闇に染まった海へ入る神尾の姿が、メンバーの疲弊しきった心に火をつけるのです。
結果、16時間37分をかけてドーバー海峡の横断に成功し、達成者の称号「チャネルスイマー」を獲得。全員が泣きながら抱き合って達成を喜び合うその光景には、テレビの一企画という枠組みを大きく超えた感動があったものです。
あれから約18年。体力の衰えが著しいウッチャンはもう無理だとしても、次世代を担う若いタレントたちが、またこうした困難に立ち向かうような企画に挑戦して、日本中を感動の渦に巻き込んでもらいたいものです。
(こじへい)
※イメージ画像はamazonよりクイック・ジャパン 106