「ヨモギダが美容鍼・鍼灸・マッサージ店を開きました。
そんな文章と共に掲載されたスナップ写真には、岡村と共にピースサインをする蓬田修士氏ことヨモギダくんの姿が。深く刻まれたシワとやや広くなったオデコ。調べてみたら、今年で37歳なのだとか。
なるほど、自分も年を取るわけだ……。そう感じた人は、きっと、筆者だけではないはずです。
英国放送の『UPシリーズ』に通ずる「ヨモギダくんシリーズ」
話は変わりますが、1964年にイギリスのグラナダ・テレビで制作された、通称『UPシリーズ』と呼ばれるドキュメンタリー番組をご存知でしょうか?
これは、英国で暮らす労働階級・中産階級・上流階級、それぞれに属する7歳の子供たちを集めてインタビューをし、7年ごとに取材を繰り返すことで、階級格差及び生活環境が、どれだけ後の人生に影響を及ぼしたかを探る趣旨の番組。
日本においてもNHKで放映され、直近だと2013年に『7年ごとの記録「イギリス 56歳になりました」』がOAされています。
ヨモギダくんが20年近く、自分の人生における変遷を『めちゃイケ』内で晒し続けた「ヨモギダくんシリーズ」はさしずめ、バラエティ的装飾を過度に施した『UPシリーズ』の日本版といえるでしょう。
紆余曲折な人生を歩むヨモギダくん
さて、この『UPシリーズ』には一つ問題点があり、それは、「被取材者たちが自分の人生に対して意識的になりすぎてしまう」ということです。
彼らは7年毎の取材を否応なく意識し、その結果、メディア用に見栄えが良い職に就こうとしたり、チャレンジングな生き方をしたりします。特に中産階級の人生はドラマチックなものとなる場合が多く、中にはホームレスから市議会議員へと変転した者もいるほど。
こうした「観察者効果」と呼ばれるドキュメンタリーに追われる者の宿命からか、おそらくは中流家庭の出であろう平凡な中学生・ヨモギダくんも、『めちゃイケ』との出会いにより、なかなか、紆余曲折な人生を歩んでいくこととなります。
「来い!岡村(バカ)」との挑戦状が全てのきっかけ
彼と『めちゃイケ』のファーストコンタクトは、1996年1月(この時は前身番組の『めちゃ×2モテたいッ! 』)。
当時雛形あきこの大ファンだった、中学3年生のヨモギダくんが、番組内で彼女へセクハラまがいの言動を繰り返す岡村に対し、「来い!岡村(バカ)」とのメッセージ入りの「挑戦状」を送ったことにより、『ヨモギダ少年愚連隊』がスタートします。
怒り心頭だったヨモギダくんは、挑戦を受けて実家へと乗り込んできた岡村と最初は対決姿勢だったものの、雛形がサプライズ登場したことで一気に和解。
高校時代⇒大学受験⇒バンドデビュー⇒結婚までを追いかける
1996年9月には、早速第2弾が放送。「ヨモ高」に通う高校生になったヨモギダくんは、岡村と改めて柔道で対決(ヨモギダくんは柔道初段の猛者)。見事勝利し、雛形からのほっぺにチューを獲得します。
99年3月~4月放送回では大学受験、2004年3月~4月放送回では、ヨモ大(中央大)に進学して母校の教育実習生になりながらも、教員への道を諦め、『PATCH WORK LIFE』なるバンドで、ライブ活動をしていることが発覚。
2013年3月放送の『ヨモギダ少年愚連隊2013'FINAL卒業』では、2009年に15歳年上のスタイリストの女性と結婚したことを公表。妻の連れ子である息子がいることも明らかになります。
独立開業を果たしたヨモギダくん
そして、今は音楽活動を辞めて、鍼灸師・あん摩マッサージ指圧師となり、独立開業を果たしたヨモギダくん。先に述べた『UPシリーズ』の被取材者たちの中には、番組へ出演したことを肯定的に捉える人もいれば、否定的に捉えて後悔している人も存在するといいます。
ヨモギダくんも、番組に追われる「観察者」としての意識により、人生を劇的なものにしようという衝動が少なからず芽生えたのかも知れません。
そんな彼は、果たして『めちゃイケ』へ出演したことをどのように思っているのでしょうか……。ちょっと気になるところです。
(こじへい)
※イメージ画像はamazonよりナインティナインのオールナイトニッ本 (vol.1)