侍ジャパンの快進撃に沸くWBC。その中で、ある「事件」が起こりました。


発端は、第1ラウンド初戦のキューバ戦。1-1の同点で迎えた4回裏、日本の攻撃時のことです。2アウト・ランナー2塁で、続くバッターは2年連続トリプルスリーの強打者・山田哲人。日本中の野球ファンが固唾を呑んで見守る中、山田は見事期待に応え、打球はレフトスタンドへ。文句なしのツーランホームラン!……かと思われましたが、ここでまさかのビデオ判定。結果的に、ツーベースヒットになってしまったのです。

ボールをキャッチした少年は誹謗中傷の的に


理由は、観客の少年が、山田の放った飛球をスタンドから乗り出して捕球したため。「何やってくれてんだよ…」そう落胆したのは筆者だけではなかったはず。

しかし、騒動はこれだけで終わりませんでした。なんと、怒ったネットユーザーたちが、この少年に対する誹謗・中傷をネット掲示板に書きまくり、ついには、TwitterなどのSNSから顔写真や通っている学校などの個人情報を特定して、晒しはじめたのです。
たった一つの、それも悪意などない単なるマナー違反の代償としては、あまりに酷過ぎる仕打ちではないでしょうか。

温故知新ー。私たちは過去から学ばねばなりません。
今から13年ほど前。同じように、天高く舞い上がった飛球に心奪われ、無我夢中のままキャッチしたばかりに、悲劇的な人生を送った人物が、遠くアメリカの地に存在することを。

2003年、シカゴ・カブスの本拠地で事件は起こった


2003年10月14日に行われた、MLBナショナルリーグ・チャンピオンシップシリーズ第6戦。イリノイ州シカゴの球場『リグレー・フィールド』は、異様な興奮に包まれていました。
理由はただ一つ。このシリーズ3勝2敗で迎えた地元チーム、シカゴ・カブスが、1945年以来となる悲願のリーグ制覇を果たすまで、残りアウト5つにまで迫っていたからです。三塁観客席に座るスティーブ・バートマン(当時26歳)も、愛する球団が優勝する瞬間を、今か今かと待ちわびる一人でした。

しかし悲劇は8回表、相手チーム・マーリンズの攻撃時に起こってしまいます。
マウンドに上がったのは、ここまで被安打3・無失点の好投を続けていたカブスの若きエース、マーク・プライアー。1アウトで迎えたバッターは、俊足巧打のスイッチヒッター、ルイス・カスティーヨ。粘られた後、なんとか、ファールゾーンへフライを打たせます。飛球を追うのは、左翼手のモイゼス・アルー。落下ポイントは、三塁観客席ギリギリの地点。
そう、バートマンがいるところです。

この時彼は、球場の誰もがそうしたように、白球の行方を追ったことでしょう。そして、それが自分の下へ舞い落ちてくると分かったとき、思わず、我を失ったのです。

守備妨害をしてしまったバートマン、チームも大逆転負け


周囲からは「球に触るな!」との叫び声が飛び交います。しかし不運なことに、彼はヘッドフォンを装着していたために、その注意勧告が聞こえませんでした。
結果、捕球体勢に入ったアルーがフェンス越しにジャンプしたのと同時に、バートマンが手を伸ばしたせいで、ボールは観客席へと落下。キャッチし損じたアルーは、地面にグラブを叩きつけて悔しがります。

このあと、カブスの歯車は急激に狂いました。カスティーヨを四球で歩かせたのをきっかけに、1イニングに8失点を奪われ、大逆転負けを喫したのです。これで勢い付いたマーリンズに7戦目も敗れて、結局、58年ぶりのワールドシリーズ進出は叶わず仕舞い。

カブスファンは落胆します。同時に、千載一遇のチャンスを逸したことに激しく憎悪します。誰がその怒りを向ける生贄として適任か?
あの試合で、大量失点を喫したプライアーか? カスティーヨの次々打者、ミゲル・カブレラが放った平凡な遊ゴロの処理を誤ったアレックス・ゴンザレスか?

答えは否。
カブスのキャップにヘッドフォン姿のあの青年。バートマンをおいて他にありませんでした。

地元紙はバートマンの自宅を掲載


彼はスタジアムで守備妨害をした際にも、周囲の観客から罵詈雑言を嵐にように浴びせられ、ビールやコーラをかけられたりもしました。これだけでも、制裁としては十分過ぎるほどです。

けれども、バートマンの受難は終わりません。テレビのニュースで幾度となく彼の顔が映し出され、シカゴ・サンタイムズ紙には、バートマンの職業や家までもが掲載されました。それにより身元が割れてしまったため、自宅には嫌がらせの電話が殺到。
さらには、イリノイ州知事までもが「あの馬鹿から(刑務所入りした後)保釈申請が来たとしても絶対拒絶してやる」と非難するなど、カブスファンのみならず、メディアや政治家からも袋叩きに遭うという異常事態に発展したのです。

その後のバートマン


「ファールボールを捕るのに夢中になり、アルーが捕球しようと近くに来ているのに気付きませんでした。申し訳ない気持ちで一杯です」

バートマンがこの声明を発表したあとも、世間の批判は収まらず。結果、彼は電話番号や仕事、住所も変えるハメになります。

あれから13年あまり経った今。インターネット技術とSNSの発達により、誰もが情報を安易に発信できる時代になりました。
だからこそ、その恐ろしさに、私たちはもっと自覚的になるべきでしょう。
どう考えても、日常の何気ないシチュエーションにおいて、ちょっとしたミスを犯しただけで、WBCの少年やバートマンのように晒される世の中など、生き辛いことこの上ないのですから。
(こじへい)

※イメージ画像はamazonよりNEW ERA (ニューエラ) MLBレプリカキャップ (The League 9FORTY 940 MLB Cap) シカゴ・カブス
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