4月15日から放送の土曜10時ドラマ『ボク、運命の人です。』(日テレ系)で、ドラマ共演と主題歌限定ユニット“亀と山P”でコラボする亀梨和也と山下智久。

ふたりはかつて、ドラマ『野ブタ。をプロデュース』の主題歌のために結成された“修二と彰”というユニットでCD『青春アミーゴ』をリリース。どこか懐かしいポップスサウンドは大人からも支持され、累計で200万枚を突破するヒットになった。

亀梨にとって“最初”のCDデビューだった『青春アミーゴ』


『青春アミーゴ』が発売されたのは2005年11月。山下はJr.の中で圧倒的な人気を誇り、2003年にNEWSの中心メンバーとしてCDデビューしている。一方、亀梨は山下の2年後にジャニーズ事務所に入所、『青春アミーゴ』が初のCDリリースとなった。

KAT-TUNは、NEWSが結成されるより前の2001年4月に誕生。音楽番組『ポップジャム』(NHK)でMCを担当する堂本光一のバックダンサーとして結成され、『ザ少年倶楽部』(NHK-BS)で注目を浴びる。2002年にはジャニーズJr.でありながら、東京国際フォーラムで単独コンサートを開催し、55万人ものファンが応募した。

ライブの動員数や人気が高いにも関わらず、KAT-TUNはなかなかCDデビューが決まらないまま、数年が経過。その間、NEWS、関ジャニ∞がデビューし、本人たちはもうデビューは無理だと思い込むようになり、ファンもやきもきしていた。

「最初のCDはKAT-TUNで出したい!」と直談判


そんなとき、亀梨は2005年1月期のドラマ『ごくせん』に赤西仁とともに出演、一躍知名度がアップした。
それに続いて決定したのが、山下智久とともにドラマ『野ブタ。をプロデュース』へ主演すること、主題歌『青春アミーゴ』のリリースだった。


しかし当時、「KAT-TUNでCDデビューする」という明確な目標に向かってひたすら突っ走っていた亀梨は「KAT-TUNでCDを出していないのに、CDは出せない」とジャニー社長に直談判。「KAT-TUNのことも考えているから」とジャニー社長に説得され、承諾したという。

KAT-TUNに微妙な空気が?


さらにジャニー氏から「これでコケたらKAT-TUNのデビューもないからね」と冗談まじりに言われ、プレッシャーも感じたという亀梨。
ドラマの撮影やユニット活動などで山下とコンビで動くことが多く、にわかに忙しくなった亀梨は、KAT-TUNメンバーに事情を話す余裕もなく、グループで“浮いた存在”になってしまったという。

世間的知名度も上がり、人気が出て嬉しい時期だったはずが、KAT-TUNメンバーとの距離は広がってしまった。亀梨にとっては苦悩を抱えたつらい時期だったようだ。

やっと決まったKAT-TUNのメジャーデビュー


ドラマや『青春アミーゴ』の大ヒットも後押しして、翌年の2006年にようやくKAT-TUNのメジャーデビューが決まった。
亀梨は、ただひたすら明るく「やったー!」と飛び跳ねるような気分ではなく、心底ホッとして「……良かったぁ」と胸をなでおろしたという。

一見、ソロ活動の野望が強いかのように誤解されがちな亀梨だが、デビュー当初から、個人の亀梨和也が前に出るよりもグループのことを第一に考え、引っ張ってきた。野球という団体競技を長年やってきたこと、男兄弟4人の三男として育ったことなども関連しているかもしれないが、“チーム”への思いは誰よりも強い。

「KAT-TUNが、何より守りたい大切なもの」であり、夢は「KAT-TUNを大きくすること」で、それはデビューして10年が経った今、ますます強い想いになっているという。

『青春アミーゴ』のヒットが、KAT-TUNのデビューの呼び水になったように、『亀と山P』が“充電中”のKAT-TUNが再始動する起爆剤になることをファンは期待している。
(佐藤ジェニー)
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