恐らく、多くの野球ファンが「長嶋監督のメチャクチャな大型補強」と答えるはずだ。
落合博満、清原和博、広沢克己、ジャック・ハウエル、シェーン・マック、石井浩郎、ドミンゴ・マルティネスとポジション無視の各球団4番コレクション状態。
さらに生え抜きでは、“4番1000日計画”真っ只中の若き松井秀喜がいて、98年には慶応大から天才・高橋由伸、99年には大型ショートの二岡智宏も加入する。いわば捕手と投手以外はどこからでもホームランが打てる打線。さらに小技ができるバントの神様・川相昌弘、クセ者・元木大介らもスタンバイ。ついでにオーナーは球界最大の悪役ナベツネさん。
そんな明るく楽しく激しい往年の全日本プロレスのような個性派揃いの中で、90年代中盤からレギュラーを獲得したのが、仁志敏久と清水隆行の95年ドラフト組である。
1995年ドラフト組 仁志敏久と清水隆行
常総学院−早大−日本生命という王道ばく進エリートコースを歩んできた仁志は逆指名のドラフト2位、2歳下の東洋大のスラッガー清水は3位指名だ。
ちなみにこの年は7球団競合の福留孝介(PL学園)を抽選で外し、外れ1位は東海大相模高の原姓で話題となった高卒捕手の原俊介。
もしもこの原がキャッチャーとして順調に育っていたら、00年ドラフトでアマ球界No.1捕手・阿部慎之助の指名はなかったかもしれない。そうしたら、その後のチームの運命も変わっていただろう。
ある意味、95年ドラフトというのは巨人の歴史上でも大きなターニングポイントだった。
2人が出場機会を得られた理由とは?
96年開幕戦、阪神相手に3年連続で開幕戦完封勝利の平成の大エース斎藤雅樹とともにお立ち台に上がったのは、猛打賞デビューを飾ったビッグマウス仁志。その半年後、11.5ゲーム差をひっくり返すメークドラマを完遂した10月6日の中日戦で特大アーチを放ったのは清水。
なぜ巨大戦力の中で彼ら新人たちが出場機会を得ることができたのか? のちに仁志は当時の様子をこう語っている。
「FAで選手を獲り出した頃のジャイアンツだったので、4番打者ばっかりで内野がいなかったんです。
編成はすでに死んでいる。まるでパワプロの世界だ。皮肉なことに、移籍市場に出た選手を片っ端から獲り続けた結果、似たようなタイプが被りまくり歪なチームに。その隙をついてアピールしたのがこの2人だった。
とは言っても、仁志は開幕戦こそセカンドだが4試合でスタメンを外され、その後しばらくベンチスタートも経験し結局サードへ。のちに名二塁手として知られる男も意外なことに守備は苦手で、1年目は社会人時代と同じ三塁中心の起用だった。終わってみればルーキーイヤーの仁志は114試合、率.270、7本、24打点で新人王獲得。
負けじと清水もペナント中盤から外野の一角をがっちり掴み、107試合で規定打席未満ながら率.293、11本、38打点の堂々たる成績を残した。
こうして改めて見るとこの数字は凄い。現在の球界で言ったら、昨季話題を集めた率.278、7本塁打のドラフト3位内野手・茂木栄五郎(楽天)と、率.275、8本、65打点でセ新人王に輝いた左打ち外野手・高山俊(阪神)が同じチームでデビューしたようなものだ。ちなみに茂木は仁志の早大の後輩にあたる。
1番仁志、2番清水……巨人の強力打線を牽引
「あのメンバーで試合に出ようと思ったら、2番を打てるようにならないといけなかったんですよね。3から7番までは“超”が付くホームランバッターがそろっていましたから」
その清水の言葉通りに、自分たちの長所を生かしレギュラーを掴んだ2人は、90年代後半には攻撃的トップバッター仁志、バントをしない2番清水のコンビで強力上位打線を形成。
その後の仁志敏久・清水隆行
もう20年以上前、新人時代の仁志が日テレのニュース番組に生出演して、プレゼントされた原辰徳のサイン入りバットを嬉しそうに見つめていた姿をよく覚えている。巨人ファンの青年があのスーパースター原から栄光の背番号8を継承。
その完璧なストーリーに当時の野球少年は嫉妬に悶えたが、のちにその原監督時代に清水と打順を組み替えられたり、マスコミに確執を煽られ出番を失い、横浜へ移籍することになるのだから運命は分からないものだ。
大のプロレス好きで、171cmの小柄な体格でも04年には28本塁打を放ってみせた小力のある二塁手。巨人で11年、横浜で3年、最後はアメリカ独立リーグでボロボロになるまでプレーし続けた男は通算1591安打、154本、541打点。
清水は02年には球団記録のシーズン191安打を放ち、最多安打のタイトルを獲得。原巨人元年の日本一に貢献すると、それから毎年のように激しい外野ポジション争いを繰り広げながら、08年まで13年間巨人でプレー。晩年は浦和学院高時代を過ごした埼玉の西武に移籍するも09年限りで現役引退。通算1428安打、131本、488打点。
先日、とあるトークイベントで清水は笑いながら自らの現役時代をこう振り返っていた。
「僕、どれだけヒット打っても、一緒に守ってた外野の2人が国民栄誉賞(松井)と現監督(由伸)ですよ。かないっこないでしょう(笑)」
(死亡遊戯)
(参考資料)
『読む野球 No.10』(主婦の友社)
『ジャイアンツ80年史 1993-2003』(ベースボール・マガジン社)