「現在発行されている日本の紙幣の中で、女性が描かれているものは?」というクイズがあったとする。みなさんはどう答えるだろうか?
おそらく「5000円札」という解答が多いと思われる。
5000円札には明治時代の女性作家・樋口一葉が描かれている。

しかし5000円札という答えでは半分しか正解していない。パーフェクトな解答は「5000円札と2000円札」だ。2000円札の裏面には平安時代の女性作家・紫式部が描かれている。

2000年7月に発行開始された2000円札は、存在自体がレアといえる現行の通常紙幣だ。導入当時のエピソードと現在の状況を追った。


大蔵省印刷局で製造されたものしか存在しない2000円札


まずは2000円札の基本情報から確認してみたい。
2000円札は、1999年に当時の小渕恵三総理の発案で発行が決定された。翌2000年、ミレニアムと沖縄サミット開催に合わせて流通が開始される。表面には、沖縄が誇る世界遺産・首里城の表門である守礼門が描かれている。記念紙幣ではない。あくまでも通常紙幣である。

だが通常紙幣にも関わらず、2003年以降は製造されていない。
というのも、紙幣は汚れたり古くなったものを日本銀行が回収・廃棄し、国立印刷局が新しいものを製造する。
ところが、2000円札はほとんど使われていないため汚れないのだ。だから回収する必要がなく、したがって製造する必要もない。

現在流通している1000円・5000円・1万円の紙幣には「国立印刷局製造」という文字が印刷されている。
しかし2000円札には、「大蔵省印刷局製造」とプリントされているものしか存在しない。当時の大蔵省(現・財務省)管轄で印刷されたもの以降、2000円札は製造されていないのだ。


発行当初は大注目された2000円札


ネット上ではここ数年、「コンビニで10代のアルバイトに2000円札を渡したら、『見たことのないお札なので店長に確認します』と言われた」という書き込みが目立っている。もはや若い世代は見たことがないほど、まぼろし化してしまった2000円札。

しかし発行当初は16年ぶりの新紙幣登場ということで、2000円札には大きな注目が集まっていた。発行初日には2000円札を求める人々が銀行窓口に行列を作り、その姿がニュースになったほどだ。

だが1年もしないうちに、2000円札は人々から厄介な紙幣というレッテルを貼られることとなる。

なぜ2000円札は普及しなかったのか?


まずとにかく使い勝手が悪い。どういうタイミングで出せばいいのかわからない。店員も、おつりとして渡していいものかはっきりしない。
結果、持っているだけでもわずらわしい紙幣として認識されていった。

日本では明治時代から終戦直後にかけて、2銭硬貨や2円紙幣などが発行されたことはあった。しかし多くの日本人にとって2の単位の紙幣を使用するのは初体験だった。だから使い方の感覚がよくわからなかったのだ。

そんな中、2000円札が自然に受け入れられる環境が整っている場所が存在した。沖縄県だ――。


沖縄県では現役! 20ドル紙幣を使っていたという歴史


第二次大戦後、1972年の本土復帰まで沖縄県はアメリカの施政下に置かれていた。使われていた通貨は、20ドル紙幣をふくむ米ドルだった。沖縄には2のつく紙幣の使い方に慣れている人がたくさん存在した。

また現在でも米軍関係者が多く駐留しているため、2の単位の紙幣が使われやすい土壌がある。

沖縄では、ATMから2000円札を指定して払い出すことができる等、普及に積極的だ。2000円札に描かれている守礼門は沖縄を代表する名所であり、沖縄サミット開催の記念として発行された経緯もある。沖縄をアピールできる紙幣として、沖縄県内の銀行などが流通促進活動を行ってる。


小渕総理の沖縄への思い


ところで2000円札発行を決めた小渕総理は、2000年5月に脳梗塞を発症し亡くなっている。発行2か月前のことだった。現役総理として2000円札を発行し、沖縄サミットの舞台に立つはずだったが、その願いはかなわなかった。

小渕総理は、学生時代から沖縄に何度も足を運び歴史や文化を研究するなど、沖縄へ強いを寄せていた政治家といわれている。沖縄サミットにホスト国の首脳として参加できなかった無念は計り知れない。しかしその思いは、沖縄で使われ続けている2000円札に今も残されているのかもしれない。
(近添真琴)