『島唄』の作者・宮沢和史が、沖縄県民でないというのは有名な話。
そのせいで、1993年に同曲が発表されたばかりのときは、「沖縄出身でない人間が沖縄民謡の真似事をするな」などと、沖縄民謡関係者からブーイングを浴びたようです。


しかし、そんな批判などどこ吹く風で、『島唄』は150万枚を超える大ヒットを記録。結局、ルーツがどうなどは関係なく、良いものは良いということが結果で示された格好となったわけです。

今では沖縄出身の歌手を含む、多くのミュージシャンにカバーされている『島唄』。しかしまさか日本のみならず、その裏側・アルゼンチンでもカバー曲が出回り、それが現地で一大ブームを巻き起こそうとは、当の宮沢も予想だにしなかったに違いありません。

アルゼンチンのマルチタレントが日本語のままカバー


事の発端は2001年。アルゼンチンのマルチタレント、アルフレッド・カセーロは、たまたま訪れた地元・寿司バーのラジオから流れる『島唄』に心奪われます。

この曲は自分が歌わなければならない……。そんな使命感のようなものを感じたカセーロは、自身のアルバム『Casaerius』に『SHIMAUTA』を収録。これがアルゼンチンのヒットチャートで1位を獲得し、さらに、『SHIMAUTA』を現地のラジオ局が猛プッシュしたために、時の流行歌となったのです。

本家『島唄』が日本でリリースされてから約8年後の出来事でした。

宮沢和史はニュース番組でその事実を知る


この珍事はニュース番組などで日本へも伝えられ、大きな話題を呼びました。なんで沖縄音楽の『島唄』が、今更アルゼンチンなんかで流行ってるんだろう……。
なんとも奇妙な現象に多くの日本人が驚いたわけですが、おそらくもっとも仰天したのは、宮沢和史本人でしょう。なぜなら宮沢は、このカバー曲発売の件を一切聞かされておらず、報道によって初めて知ったからです。


その後、宮沢がアルゼンチンへ赴いた際には、カセーロから謝罪を受けています。カセーロ曰く、どこに許可を申請すればいいのか分からず、勢いでカバー曲をリリースしてしまったのだとか。「売上金の全額を支払う」とまで言われましたが、宮沢は自身の楽曲をアルゼンチンの人々へ広めてくれたことへの感謝を伝え、「これからも歌い続けて欲しい」とカバーを快諾しました。

アルゼンチン代表の公式応援ソングにも採用される


こうした一連の流れにより『島唄』が、日本国内においても再評価されたのは言うまでもありません。カセーロが来日して音楽番組に出演したり、新たにリリースされた宮沢版とカセーロ版両方を収録したシングル『島唄 Shima Uta』が、10万枚のヒットを記録したりもしました。

ブームはこれだけにとどまらず、なんと2002年に開催された日韓ワールドカップにおける、アルゼンチン代表の公式応援ソングとして、カセーロの『SHIMAUTA』が採用されたのです。

和製の楽曲がアジア圏以外の外国で、これほどまでに大々的にフューチャーされるというのは、なかなかない出来事。坂本九の『SUKIYAKI』以来ではないでしょうか。この当時、日本人として誇らしい気持ちになった人は、きっと筆者以外にもたくさんいたに違いないでしょう。
(こじへい)

※イメージ画像はamazonより島唄 Single
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