収容人数14471人。地上42mに威風堂々とそびえ立つ日本武道館。
単なる伝統武道普及の場としてだけではなく、日本人ミュージシャンにとっての「聖地」としても知られています。

1966年のビートルズ来日公演により、コンサートホールとしての役目を見出されたこの場所では、以来半世紀、数えきれないほど多くの有名アーティストが公演を行ってきました。
こうした長きにわたる「歴史」があるため、収容人数ではかなり前からドーム球場の後塵を拝していながらも、いまだに、ミュージシャンが憧れる神聖な場所であり続けるのでしょう。

さて、そんな武道館ですが、過去に数例、お笑い関連の公演実績もあります。
本稿で紹介するラジオ番組『放送室』の公開収録もそのうちの一つ。リスナー約8000人を集めて行われたこの収録は、深夜ラジオらしからぬスケール感で当時ちょっとした話題になったものです。

抜群の業界内聴取率を誇った『放送室』


松本人志と放送作家・高須光聖のラジオ番組『放送室』(TOKYO FM)が放送されていたのは、2001年10月4日から2009年3月28日にかけて。
もともと、「肩の力を抜いて話せる場が欲しい」と思っていた松本の希望により、小中学校の同級生で「三人目のダウンタウン」と言われるほどの深い仕事仲間・高須を相方に据えて開始したこの番組。毎回、互いの近況報告、ダウタウンの番組や業界の裏話、2人の少年時代のエピソードなどが語られていました。

こうした、ここでしか聴けない話の宝庫であったため、「ひっそりと続けていきたい」という松本の意に反し、高い業界内聴取率を誇っていたようです。

実現した『放送室』の武道館公演


そんな『放送室』が、武道館へやってきたのは、2003年12月27日。高須が収録の3日前に40歳となったことを記念して「高須ちゃん生誕40周年祭り」と称した公開録音を行ったのです。

そもそも、「放送室」という番組名は、中学時代に松本と高須が「放送部」の所属であり、秘密基地代わりとばかりに放送室へ入り浸っていたことが由来となっています。
中学の仲間数人で始めた内輪の集まりが、数十年の時を経て、まさか、武道館での公演に発展しようとは……。
きっと本人たちは感慨深さと共に、痛快な気分を味わっていたに違いありません。

こうした気分の高揚感もあってか、松本は収録しょっぱなからエンジン全開。直前に出演を控えた、紳助の肝いり企画『M‐1グランプリ』について「鬱陶しいわー」とけなしてみたり、「(賞金の1000万円より)正直俺のギャラほうが高かったりするわけやん?」とかましてみたり、かなり危険な発言を連発していました。

ラストには浜田雅功も出演


さらに、特番とあってゲストも多彩。清水宏泰(当時フジテレビ社員)、斉藤敏豪(ヘイポー)といった業界人、松本・高須が通っていた中学校の同窓など、ラジオを聴いていなければ、「誰?」となりそうな人たちが次々と集結します。

そして、満を持してラストに登場したのが、2人の親友であり仕事仲間の浜田雅功。中学時代の友人同士、タバコふかしながら思い出話に花を咲かせる様には、「公開同窓会」を見ているような微笑ましさがありました。

公演収録の最後には、高須が自分への誕生日プレゼントとして「ダウンタウンのライブが見たい!」とも発言。「もう、決まったことやから」と既定事実として言っていましたが、いまだに実現していません。ぜひ、現在50歳を超えたダウンタウンのライブ、武道館で見てみたいものです。
(こじへい)

※イメージ画像はamazonより放送室〈その2〉
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