同じ24歳差でも印象が真逆の米仏大統領

既存二大政党の候補が共に第1回投票で敗退する等、政治的に注目するべきことが多かった今回のフランス大統領選挙でしたが、新大統領に関してはプライベートでも注目されているところがあります。それはパートナーであるブリジット・マクロン氏。彼女は現在64歳とのことで、39歳のエマニュエル氏と24歳8ヶ月差とのことです。
ブリジット氏はエマニュエル氏が15歳の時に通っていた高校の教師だったとのことで、その頃から長年にわたり様々な困難にも負けず己の一途な想いを貫き通しているエマニュエル氏の姿に、好感を覚えた人も多いのではないでしょうか?
ドナルド・トランプ米大統領も現在のパートナー・メラニア氏とは同じく24歳差ですが、3度の結婚を経てパートナーの年齢がおよそ20歳若くなっているわけですから、ありがちな「金と顔の交換」型結婚の典型例で、正反対のイメージだと言えます。
この話を知った時、頭に思い浮かんだのは、『がんばれ元気』(1976年から1981年にかけて『週刊少年サンデー』にて連載)という昔の漫画でした。この漫画のヒロインは主人公が小学4年生だった頃の担任の先生なのですが、それでも年齢差は12歳差という設定であり、24歳8ヶ月差というマクロン夫妻は、まさに現実は小説よりも奇なり。「さすがにアムール(愛)を重視するフランスらしい」としか言いようがありません。
日本の理想的結婚はいまだに「トランプ型」
同じようなことが日本でも起こりうるかと考えると、なかなかイメージが思い浮かばないのが本音でしょう。確かに元女優で参議院議員の三原じゅん子氏も昨年2016年に24歳年下の男性と結婚をしていますが、3度目の結婚ということもあって、どちらかと言えば世間の印象はややトランプ米大統領のイメージに近いように感じます。
そして、「パートナーにする女性は若いほうが良い」という考えも、いまだに根強く残っているように感じます。近年、結婚をする夫婦の年齢差が縮小傾向にあり、昔ほど「女房と畳は新しい方が良い」のような考え方をする人は減ってはいるものの、やはりいまだに女性の若さを異常に賛美する「エイジズム」の傾向が欧米先進国に比べて強いのではないでしょうか。
たとえば、昨年2016年のフジテレビ月9『ラヴソング』も、福山雅治氏(47)と藤原さくら氏(20)の27歳差でした。そして大半の作品はこういう年齢差があっても「珍しい年の差カップル」として扱うわけでもなく、かなり離れた年上男性と年下女性の組み合わせがさも当たり前かのように扱われているわけです。
また、好きな芸能人と言えば、中高生の頃であれば大半が年上の女性をイメージしたものですが、30歳にもなればそのほとんどが年下になります。
女性を年齢で品評する男性は人として尊敬に値しない
さらに、女性を年齢で品評・ジャッジする人も、年配の男性を中心にいまだに存在します。たとえば、5月8日放送の『深イイしゃべくり毒舌合体SP』(日本テレビ系)にゲスト出演した俳優の梅沢富美男氏は不倫していることを自ら公言する一方、「女性として完成されるのは30させ頃、40し盛り」と発言したとのことです。
視聴者の中には20代女性賛美ではないという面をもって名言と評する人もいるようですが、自らの年齢より大幅に年下の女性にのみしか興味を持たないロリコン気質であることには変わりませんし、年齢という面で女性を品評・ジャッジしていることには何ら変わりありません。それを賞賛してしまうあたり日本の人権感覚の低さを物語っているように思うのです。
梅沢氏のように、「女性は〇歳が一番良い」と女性の年齢を品評・ジャッジする人は少なくないですが、彼等の目の前で女性が「やっぱり男はアラサーが最高ですよー!抱かれ甲斐があるから!」とでも言ったら、彼らはどう思うのでしょうか? おそらく気分が悪くなることでしょう。それは当然です。男性をモノ(=遊びの道具)のように捉えている発言なのですから。
でも彼等は女性をモノ(=遊びの道具)として捉えることを平気でしています。「自分が言われて嫌なことは人には言わない」という、ごく当たり前のことができていないわけです。そのような年配男性の態度に「男性として以前に人として尊敬に値しない」と感じるのは正常な感覚です。
年齢に着目するから日本人は恋愛が下手
そもそも、日本の恋愛・結婚シーンは、年齢にこだわり過ぎる側面が強いのではないでしょうか? たとえば、恋愛について話す際に、「年上が好き」「年下が好き」や「年上パートナーの良さ」「年下パートナーの良さ」という話題になったことがある人も多いと思います。合コンのネタでも、ネットのコラムでもそのようなテーマが飽きずに繰り返されているわけです。
日本人が年齢を異様に気にすることは、何も恋愛・結婚に限りません。
ですが、年齢というのは、外見に影響があるということを除いて、その人の人間性や魅力とは全く関係の無い形式的な情報です。人が誰かと惹かれ合う時、人間性や魅力というサイコグラフィック情報に対して惹かれることがスタンダードなはずであり、「相手がいったい何歳なのか」という情報は一切必要ありません。
にもかかわらず、日本の恋愛は年齢という形式的な情報に振り回されている側面が強いわけです。これは裏を返せば、目の前の相手と向き合って恋愛できていないということでもあります。「フランス人は恋愛に情熱を捧げている」というのはもちろん国民性の違いもあるとは思いますが、日本人は形式的な面に着目することで無駄に理性的になり、自ら恋愛感情にブレーキをかけているという面も否めないと言えるでしょう。
パートナーの年齢なんてサイコロの目
個人的には「パートナーの年齢なんてサイコロの目のような変数に過ぎない」と思うのです。もちろん出る確率が一番高いのは同い年であり、そこから離れるほど確率が低くなると思うのですが、基本的には「好きになった人がたまたま〇歳だった」というだけのもの。
ちなみに、もし年下の女性が「私、年上男性がタイプなんですー!」と言い寄ってきたら、どんな気分になるでしょうか? 私ならば興ざめします。だって彼女が興味あるのは私という個性ではなく、「年上男性」という記号なのですから。「それならば代替はいくらでもいるので他を当たってくださいね」と思うのです。
フランスのようにロマンスを大々的に賛美することが良いかどうかは人それぞれだと思うのですが、少なくとも日本における恋愛・結婚の幸福感醸成を阻害しているこのような「年齢の呪縛」はしっかりと取り除いたほうが、自分のためになるということだけは確実だと言えるのではないでしょうか?
(勝部元気)