今年、デビュー10周年のアニバーサリーイヤーを迎えている『Hey!Say!JUMP』。

これまでリリースしてきた19作のシングル曲は、全てオリコン週間チャート1位を獲得。
最近では、フジテレビ系・月9ドラマ『カインとアベル』で主演に抜擢された山田涼介や、『めざましテレビ』や『メレンゲの気持ち』のレギュラーを務める伊野尾慧など、メンバー単体の活動も目立っています。

そんな華々しい活躍を続けるHey!Say!JUMPですが、同グループが結成されたのは、2007年9月24日のこと。それと入れ替わるようにして、ある一つのジャニーズJr.内のグループが消えていったという事実を、ご存知でしょうか?

グループの名前は『Ya-Ya-yah』。デビューから1年足らずで冠番組を任せられるなど、異例ともいえる快進撃を見せながら、なぜ彼らは消滅してしまったのでしょうか……。
その背景には、Hey!Say!JUMPの誕生が大きく関わっていました。

ジャニーズ史上最年少のCDデビューした『Ya-Ya-yah』


Ya-Ya-yahが結成されたのは、2001年冬。2002年4月には、フジテレビの大型スポーツイベント『KICK!ODAIBA 2002』(4月27日~5月6日)にて初ライブを済ませ、その場でCDデビューを発表しました。

デビューシングルは『勇気100%/世界がひとつになるまで』。かつて、光GENJIが歌っていた同曲を新人の彼らに託すあたり、事務所側の期待が垣間見られるというものです。

この時のメンバーは、薮宏太・赤間直哉・鮎川太陽・山下翔央・星野正樹の5人。平均年齢は11.5歳(当時)。これは数多くのグループを輩出してきたジャニーズにおいても、史上類を見ない若さでのCDデビューとなります。

そのためメンバー全員が、女の子と見間違えるようなルックスとキュートな歌声をしており、その可愛らしさが評判を呼び、Ya-Ya-yahは瞬く間に人気グループへと成長していったのです。


冠番組が放送開始、横浜アリーナでの単独公演も成功させた


2003年1月からは、初冠番組となるバラエティ番組『Ya-Ya-yah』(テレビ東京系)が放送開始。
ちなみに、同番組で実施されたオーディションに合格し、晴れてジャニーズ事務所入りを果たしたのが、誰であろう山田涼介です。

後にグループ解散の原因となるHey!Say!JUMPの絶対的エースを見出してしまうあたり、なんとも皮肉……。
とはいえ、同年7月には八乙女光が加入し、翌2004年には赤間と星野が脱退して4人体制になってからも、『Ya-Ya-yah』の人気は揺るぎないものでした。

それは、2005年1月に、横浜アリーナで初の単独コンサートを成功させたり、少女漫画雑誌『りぼん』にて『Ya-Ya-yahがやってくる!』というメディアミックス作品が連載されたりしていたことからも明らか。
4人全員が同じ堀越学園に通うという、まさに少女マンガさながらの私生活も、ファンの乙女心を大いにくすぐったものです。

八乙女と薮が『Hey!Say!JUMP』に加入、Ya-Ya-yahは自然消滅……


しかし、彼らの運命は、2007年9月の『Hey!Say!JUMP』結成によって、大きく変転することに。同グループには、薮宏太と八乙女光も選ばれていたために、2人を失ったYa-Ya-yahは自然消滅してしまったのです。


後年、雑誌『Myojo』の誌上で、Hey!Say!JUMP加入決定時についての想いを問う、インタビューが行われました。

そこで八乙女は「やっぱりYa-Ya-yahに対する気まずさもあった」と語り、藪は「俺と光以外のYa-Ya-yahのメンバーは、何も知らない。それが、すっげーつらかったですね」とコメント。やはり、相当複雑な心境だったことがうかがえます。

Ya-Ya-yahがまさかの"復活"!


余談ですが、2017年の舞台『ジャニーズ・オールスターズ・アイランド』に、八乙女と藪がゲストとして呼ばれた際、『Ya-Ya-yah』としての出演を果たしています。
当時のファンからすると、すっかりJUMPとしての印象が強くなった彼らが、Ya-Ya-yahだった頃の思い出を大事にしていることが伝わり、嬉しく感じたに違いありません。


一方、八乙女と薮以外の2人、鮎川太陽と山下翔央はどうしたのかというと、Ya-Ya-yahの消滅からほどなくしてジャニーズ事務所を退所。現在、山下は2014年に新しい事務所も退所して芸能活動を休止しているものの、鮎川はドラマや舞台で地道な活動を続けているようです。

まだ全員20代。前途ある彼ら4人の活躍に、今後も期待したいものです。
(こじへい)