ついに第一次長嶋監督時代の1975年9月に記録した球団ワーストタイとなる42年ぶりの11連敗だ(この原稿は7日メットライフドームに行く前に書いている)。
巨人が球団史上初にして唯一の最下位に沈んだ年以来の11連敗。すでにセ・リーグ首位の広島とは10.5差。となるとアレだ。ここ最近、というか21世紀に入ってからずっと巨人のペナントの雲行きが怪しくなると、スポーツ新聞ではよく「メークドラマの再現を」という記事が出る。いわば古き良き球界伝統芸能みたいなものである。
ところで、この「メークドラマ」って何だろうか?
言葉は当たり前に使って、耳にしているけど、詳細を説明しろと言われたらなんか怪しいこの感じ。だから、アレでしょ。長嶋監督が奇跡的な逆転優勝した話でしょ。何年? うーん確か90年代だった気が……。94年だっけ? ゴメン、それは最終戦で優勝が決まる10.8決戦。って無理もない、この「メークドラマ」は96年シーズンの出来事。
気が付けば、あれから21年という歳月が流れた。
1996年を振り返る
というわけでプレイバック96年だ。
フジテレビ『ロングバケーション』を見るため、月曜の夜は街からOLが消えるとまで言われた月9ドラマブーム真っ只中。お兄ちゃん達はキムタクのロン毛に憧れ頭皮を酷使し、街では安室奈美恵のファッションを真似るアムラーの出現。ルーズソックスが大流行し、音楽はMDウォークマンで持ち歩く。
凄い、出てくる単語がほとんど死語である。
そんな中、巨人は開幕スタートダッシュに大失敗。4月終了時にすでに1位横浜に7ゲーム差をつけられ5位。5月に助っ人右腕ガルベスの活躍で巻き返すも、6月にはまたも失速。7月6日時点で首位広島と11.5ゲーム差をつけられてしまう。
あれ、なんか2017年と似てるな……と思わせてくれる絶望的な展開だ。
「ミラクルが起こる」高らかに宣言したミスター
そして今でも語り草の7月9日の札幌円山球場での広島戦、2回2死走者なしから9者連続安打で一挙7点を奪う猛攻で勝利。
この試合がメークドラマへのきっかけになった……と思いきや、当時ルーキーだった清水隆行は「それも、周りにそう言われてるから、そう感じるだけじゃないですか。当時はこの試合が分岐点だ、なんて考えている余裕はなかったですから」とクールに振り返る。
そこで長嶋監督はとにかく言葉で周囲をその気にさせていく。7月16日午後2時過ぎ、中日戦開始4時間前に東京ドーム入りしたミスターは報道陣に向かってこう高らかに宣言するのだ。
「松井が40本打つようならミラクルが起こる。2年越しの“メークドラマ”が実現するでしょう」
ぶっちゃけ根拠なし。予想というか願望。記者も思わず苦笑い。この時点ですでに76試合39勝37敗の貯金2で首位広島とは8ゲーム差。もちろん今のようにクライマックスシリーズは存在しないので3位狙いという自虐的なギャグでもない。みんな半信半疑。けどミスターはガチだった。
理想的なチーム編成だった1996年の巨人
7月は6カード連続勝ち越しの13勝5敗、8月は連勝に次ぐ連勝で19勝7敗の進撃の巨人。ついに8月29日の広島戦で延長10回の接戦を制し、同率首位へ。翌30日の中日戦も、5時間28分の死闘を8対7の僅差で勝利するという神ってるゲームが続き単独トップに浮上した。
9月に入ると23、24日の本拠地での広島戦に連勝して優勝マジック5が点灯。迎えた129試合目、10月6日の因縁の地名古屋での中日戦を総力戦でもぎ取り、ついにメークドラマは完結。直後の日本シリーズではイチロー擁するオリックスにあっさり1勝4敗で完敗しているのも気まぐれな長嶋巨人らしい。
今振り返れば、96年のチームは普通に強かった。クリーンナップは3番の22歳松井秀喜が打率.314、38本、99点で初のMVPを獲得。4番は3割・20本塁打をクリアした大ベテラン落合博満、5番はメジャーストライキの影響で来日した大物シェーン・マック。さらに仁志敏久や清水隆行といったイキのいい新人コンビもデビューし、大物補強ばかりしていたイメージのある長嶋巨人だが、意外に若手・ベテラン・助っ人がバランスよくいる理想的なチーム編成だったことに驚かされる。
投手陣では2年連続沢村賞を獲得したエース斎藤雅樹と助っ人右腕ガルベスが16勝で最多勝のタイトルを分け合う強力ローテに、最優秀中継ぎ賞に輝いた“ゲンちゃん”こと河野博文、ダンディサウスポー川口和久のFAコンビが試合を締める必勝パターン。
2017年のチームとは比較にならない豪華メンバーである。
ちなみに「メークドラマ」という言葉について、のちに長嶋監督はこう種明かしをしている。
「メーク・ドラマは和製英語。本当はメーク・イット・ドラマティックと言うんだけどね。知ってる? ファンに親しみやすい言葉だったから」
(死亡遊戯)
(参考資料)
『週刊プロ野球セ・パ誕生60年 1996年』(ベースボール・マガジン社)
『ジャイアンツ80年史 1993-2003』(ベースボール・マガジン社)