内田有紀と中条あやみが出演するGUのCMでスキャットマン・ジョンの曲のアレンジが使われたのは記憶に新しいところ。筆者的には90年代の思い出がバァーッとよみがえる懐かしの曲である。
と言っても、アラサー以下の方には誰それ? 状態かも知れない。

メジャー歌手デビューしたのは52歳。90年代中期に彗星のごとく現れた遅咲きのアーティスト、あなたは覚えているだろうか?

世界中でヒットを飛ばし、待望の日本上陸!


95年8月、デビューシングルの『Scatman (Ski Ba Bop Ba Dop Bop)』がリリースされ、オリコンの洋楽シングルチャートで2週連続1位を獲得。

「びぃ~・ばっぱっ・ぱらっぽ~♪」
印象的なこのフレーズとともにいきなり日本でブレイクしたスキャットマン・ジョン。
もっとも、厳密には「いきなり」ではない。世界的なリリースは94年11月。彼の移住先のドイツから火が着き、まずは全ヨーロッパチャートでNo,1を獲得。ジワジワと人気は拡大し、世界各国でヒットチャートを賑わす中、満を持しての日本登場だったのである。

メジャーデビューアルバム『スキャットマンズ ワールド』は全世界で600万枚以上を売り上げ、各国のチャートでNo.1を総ナメ。特に日本では国内盤、輸入盤を合わせて220万枚以上を売り上げたと記録されている。

バラエティ、CMに大活躍! ウルトラマンまでもがカバー!?


世界的に見ても日本での人気は際立っていた。そこで、本格的に日本市場をターゲットにしたプロモーションが展開されて行く。

黒いスーツをビシッと決め、黒い中折れ帽に口髭姿。そして、早口でまくし立てる独特の歌唱法。
キャラ立ちまくりのスキャットマンは、『ポンキッキーズ』『HEY!HEY!HEY!』を始め、数々のバラエティに出演。加藤茶やウルトラマンがカバーしたのも人気者の証明である。

特に人気を集めたのが、グリコのプッチンプリンのCM。
「プッチンパポペ エブリィバディ プリンプリン♪」
この曲は『プリプリ・スキャット』という曲。数年前にも本田望結ちゃんが出演するCMで使われているので、知ってる方も多いはずだ。

当時のCMには黒ずくめの衣装から一転、白一色に身を包み自身も出演。口ずさみやすいフレーズと親しみやすいキャラクターがお茶の間に受け入れられた。
鈴木保奈美と共演したカネボウ化粧品のCMも人気となる。使用曲は『Su Su Su Superキレイ』だ。
どちらもシングルリリースされスマッシュヒットとなるが、正直イロモノ感が強い楽曲であることは否めない。本来の持ち味である、メッセージ性にこだわったハイクオリティな楽曲がかすんでしまうのは、皮肉な結果であった。

実は自身のハンディキャップから生まれた独特の歌唱法


そもそも、彼が生み出した独特のジャンル「テクノスキャット」は、自身のハンディキャップ「吃音症(きつおんしょう)」を逆手に取って生まれたもの。

吃音症は、吃る(どもる)、無音状態が続くなど、思うように言葉が出ない言語障害である。この、歌手としては致命的な欠点をスキャットにアレンジしたことが、彼の音楽活動の原点だ。

スキャットは、「ダバダバ」や「パヤパヤ」など意味のない音をメロディにあわせて即興で歌う歌唱法である。「意味のない言葉ならどもっても問題がないのではないか」と考え、このオリジナルが生まれたと言う。

誰にもマネできない超高速のスキャットの裏には、彼の苦悩の半生が詰まっている。なので、大ヒット曲『Scatman (Ski Ba Bop Ba Dop Bop)』の歌詞は「吃音の問題」がテーマになっており、「吃音に悩む子供達が逆境を乗り越えるため、元気を与えよう」という想いが込められているのである。

スキャットマンは96年の「日本ゴールドディスク大賞」を受賞しているが、実はその賞金を吃音者団体「全国言友会連絡協議会」に全額寄付している。また、吃音者を支援するために「スキャットマン基金」も設立。世界中の吃音者のために尽力したことは、残念ながら広く知られてはいない。
当時のブレイクの中、彼が曲や自身のパフォーマンスを通じて伝えたかったメッセージは、どのくらい世間に届いていただろうか?
99年12月に永眠したスキャットマン・ジョン。彼の偉大なる功績を私たちは語り継がねばならないのである。

※イメージ画像はamazonよりベスト・オブ・スキャットマン・ジョン
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