第10週「谷田部みね子ワン、入ります」第59回 6月9日(金)放送より。
脚本:岡田惠和 演出:黒崎博
59話はこんな話
みね子(有村架純)は、無事、あかね荘と契約し、大晦日は愛子(和久井映見)と一緒に、紅白歌合戦(第16回)を観て過ごす。
慶応ボーイのいい男とは
「奥茨城、乙女寮のみんなはどうしてるのかなと気になります」
「ひよっこ」の前のニュース番組「おはよう日本」の高瀬耕造アナウンサーが優しいコメントをした。
昭和40年12月29日、みね子はアパートの契約をかわす。
あかね荘の見取り図が紹介される。みね子は2階の5号室。
家賃は4000円。
保証人は鈴子さん。
鍵をもらう。かわいらしい形の鍵だ。
ほかの住人の話も出る。
「有名になりそうにない無名」の漫画家と、「ここのとこずっと25歳」の髪の長い事務員さんの女性(岩手一関)と、なかなか良さげな設定だという気がする。
なんといっても気になるのは、慶応ボーイのいい男。
やっぱり愛子さんがすてきだ
みね子は愛子(和久井映見)と大晦日とお正月いっしょに過ごす。
乙女寮のお掃除を、もうすぐなくなってしまうけど、きれいにして、お正月飾りもする。
ここがなくなってしまうことを悲しむみね子に、愛子は意外なことを言う。
「私は悲しくはないな」
「寂しいなあと思うけど悲しくはない。
「ここに何ができるのかはわからない。(中略)そこに何かが生まれることは素敵なことだよ。新しい場所でまた誰かと誰かが出会ったり暮らしたり働いたりするんだから。ここで私達が出会ったみたいにね」
この台詞は、49話で時子が読んでいた戯曲・チェーホフの「三人姉妹」の「(前略)でも、わたしたちの苦しみは、あとに生きる人たちの悦びに変って、幸福と平和が、この地上におとずれるだろう(後略)」という台詞の精神に近い気がする。
49話のレビューでも、「ひよっこ」の世界がチェーホフの世界とリンクするんじゃないだろうかと書いた。「ひよっこ」49話、衝撃の工場倒産、週頭から西日ばっかりですが朝ドラです
ここでは、神西清訳版についた池田健太郎の解説「これは人間の美しい夢が、俗悪な日常的な現実のなかでしだいにしぼんで枯れてゆく話である」を引き、その解説には続きがあり、「ひよっこ」も今はそうだが、やがてその続きのようになることへの期待を書いた。愛子の言っていることは、まさに、俗悪な現実のなかでしぼんで枯れそうになっても、けっしてそうならず、意思の力で回避していく健気さがある。
その夜、第16回NHK紅白歌合戦を見るふたり。この頃は宝塚劇場でやっていたようだ。
愛子が好きな倍賞千恵子は「さよならはダンスの後に」を、みね子がいいなと思った森繁久彌は「ゴンドラの歌」を披露する。「ゴンドラの歌」の歌詞「命短し恋せよ乙女」は、みね子の今後に関係するんだろうか。
いずれにしても、「ひよっこ」はNHKのアーカイブが生かされた「てるてる家族」と「トットてれび」とのいいとこどりみたいな感じがする。まさに、過去を経て、新しいものが生まれていく。朝ドラはそれを60年代からずーっと繰り返しているのだと思う。
どこまでも愛子さんがすてきだ
「こんな娘がいてもおかしくないんだよね」とみね子の寝顔を見ながらつぶやく愛子。
でも、その後、みね子は、愛子のことを、お世辞でなく「お姉ちゃんみたい」と言う。今まで、強要されて、
「若い」と言ってきたけれど、いつの間にか、そんなことはなくなっていた。でも、そうなったときはお別れ。寂しい。
愛子はどこまでも面倒見が良く、お年玉として、茨城までの往復切符(片道じゃない、当たり前、でも太っ腹)をみね子に手渡す。
こうして、みね子は元旦の夜、故郷・奥茨城村に帰るのだった。
高瀬アナが奥茨城村のことを気にしていたら、ちょうど家族みんな出てきた。さすがの連携プレー。
(木俣冬/「みんなの朝ドラ」発売中)