フジテレビの『バイキング』が好調なようです。5月5日には、関西地区で視聴率8.3%をマーク。
お昼の時間帯で首位争いを繰り広げているといいます。
関東地区においては概ね4%台にとどまり、他局の後塵を拝しているものの、スタート当初の惨状からすれば、考えられない快挙といえるでしょう。

今思うと、同番組のスタート時は、かなり悲惨なものでした。
「いいともの後釜」という重い十字架を背負わされたがために、何をやってもネットでボロくそに叩かれ、視聴率も1%台を連発する始末。早期打ち切り説も根強く囁かれ、そしてさらには「『まっ昼ま王!!』の再来か?」などと揶揄されていたものです。

『いいとも』の裏は「死に枠」だった90年代


『まっ昼ま王!!』……。この番組名を覚えている、知っている人は、はたしてどれくらい存在するのでしょうか?

同番組が、テレ朝・昼の帯番組として放送されたのは、1994年10月3日から1995年3月31日にかけて。当時、民放におけるお昼の時間帯といえば、『笑っていいとも!』一強の時代。
言うまでもなく、その牙城を崩すのは至難の業であり、ましてや、同じ土俵である「バラエティ」で勝負することなど、自殺行為に等しいものでした。

低迷していたテレ朝の12時台


たとえばTBSが、『悠々!お昼です』(1990年10月1日~1991年9月27日)、『吉村明宏のクイズランチ』(1991年9月30日~1992年10月2日)、『素敵な気分De!』(1992年10月5日~1993年2月26日)などで挑むも、あえなく討ち死に。

テレ朝でも『お昼の独占!女の60分』(1992年4月6日~ 1992年9月25日)というバラエティ色強めの番組を放送したものの、あまりにも低視聴率なために、途中からワイドショー形式への変更を余儀なくされています。
その後も、『人間探検!もっと知りたい!!』『ザ・ニュースキャスター』など、ワイドショー・ニュース番組路線で攻めるも、共に長続きせず。

不祥事で20年の歴史に幕を下ろした『アフタヌーンショー』(1965年4月5日~1985年10月18日)終了以降、テレ朝にとって「死に枠」となった12時台へ視聴者を呼び込むには、何かしらの抜本的な解決策が必要でした。

今田耕司、東野幸治、浅草キッドも出演していた『まっ昼ま王!!』


そんな状況の中始まったのが、『まっ昼ま王!!』でした。
総合プロデューサーを務めたのは、テレ朝・深夜番組班のエースと呼ばれていた斉藤由雄氏。
当時『タモリ倶楽部』のプロデューサーを務めていた同氏に、「タモリ討伐」を任せるとは、テレ朝の本気がうかがえるというものです。

月曜から金曜までの主な出演者は以下の通り。

月曜:田代まさし 島崎和歌子 風見しんご きたろう 斉木しげる
火曜:渡辺正行 大桃美代子 そのまんま東(現:東国原英夫)
水曜:山瀬まみ ガダルカナル・タカ
木曜:桂三枝(現:六代桂文枝) 長野智子
金曜:神田正輝 今田耕司 東野幸治 飯島愛 浅草キッド

特に力を入れていたのは、金曜日。当時、若手注目株だった今田耕司、東野幸治、浅草キッドをレギュラーに据え、演出家としてテリー伊藤を招へいするという、“笑い”に極振りするかのような布陣。

タモリ・さんまのフリートークという、無敵のキラーコンテンツを抱えていた金曜のいいともに対する、明確な宣戦布告としか思えない陣容ではないでしょうか。

毎分の視聴率グラフで「0%」をマークすることも……


こうして、テレ朝の社運をかけたプロジェクトとしてスタートした『まっ昼ま王!!』でしたが、平均視聴率は1.5%と大惨敗。
時には、毎分の視聴率グラフで「0%」を記録するという目も当てられない有り様で、結局、わずか半年ほどで打ち切りとなってしまったのでした。

このあまりの低視聴率ぶりを面白がり、当時の芸人たちからネタにされまくっていた、色んな意味で伝説の番組『まっ昼ま王!!』。『バイキング』は、その二の舞になることを辛うじて回避出来て、ホッと胸をなでおろしていることでしょう。
(こじへい)
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