イエローキャブ消滅。

このニュースが報じられたのは、今から2年以上前となる2015年2月のこと。

かつてのイエローキャブといえば、“巨乳アイドルの総合商社”として、所属タレントをテレビで見ない日がないほどだったのに……。隔世の感を禁じ得ないというものです。

消滅のきっかけとなった分裂騒動


衰退の分岐点は、火を見るより明らか。2004年に勃発した「イエローキャブ分裂騒動」をおいて他にありません。

経営上の揉め事から、最終的に所属タレントが現事務所に残るか、それとも新事務所に移籍するかの、二者択一を迫られたこのトラブル。雛形あきこやMEGUMIなど、多くの主力級が新事務所側へ移籍したことにより、事業規模縮小を余儀なくされたイエローキャブにもはや復興の芽はありませんでした。

こうした分裂騒動から消滅までの一部始終を振り返ると、改めてわかるのが同事務所元社長・野田義治氏の偉大さ。結果から見て、イエローキャブが一時代を築けたのはひとえに、彼の強烈なパーソナリティがあったからこそだと考えて間違いないでしょう。

黒澤明の長男が設立したイエローキャブ


イエローキャブの設立は古く、今から35年以上前となる1980年にさかのぼります。
当初は映画監督・黒澤明の長男・黒澤久雄氏が運営する、黒澤フィルムスタジオの芸能部門としてスタート。その名もズバリ『黒澤プロモーション』。

この時、まさか巨乳タレントの総合商社化するなんて、誰も思わなかったに違いありません。変転のきっかけは、言うまでもなく、黒澤が当時の遊び仲間・野田へ経営権を譲ったことでした。

いしだあゆみのマネージャーだった野田社長


はじめに、野田義治という人物の経歴を紹介しておきましょう。

彼にとってのターニングポイントは、東京でゴーゴークラブの支配人になったこと。
ここでグループ・サウンズのブッキングに携わっているうちに芸能界との距離が近くなり、渡辺プロへ入社すると、いしだあゆみのマネージャーを担当。
この時、いしだから徹底的に叩き込まれた厳格な礼儀作法が、後のタレント育成におけるベースになったといいます。

ブレイクさせたアイドルは23歳で逝去


そんな野田が、社長になって初めて手掛けたタレントは山咲千里。しかし彼女は、芸能活動の方向性が合わなかったため、すぐに事務所を去ってしまいます。

続いて発掘した堀江しのぶは、雑誌のグラビアやテレビドラマなどで活躍しましたが、スキルス性胃癌のため、23歳の若さで死去。
堀江が最期に残した言葉は「社長、仕事が、したい…」だったとのこと。ショックに打ちひしがれながらも、野田は「堀江の想いを継いで、もっといい仕事をしよう」と誓ったといいます。

「不倫は2000%ない」発言で話題になった


堀江の死を受け奮起した野田は、80年代後半~90年代後半にかけて、かとうれいこ・細川ふみえ・雛形あきこ・山田まりや・MEGUMI・小池栄子・佐藤江梨子など、人気タレントを次々と輩出。
イエローキャブの名が売れるほどに、“巨乳バカ一代”を自称する彼のメディア露出も、右肩上がりに増えていきました。

印象的だったのは2001年、雛形あきこの不倫疑惑報道があった時。写真を掲載した雑誌社に抗議した上で、「(不倫は)2000%ない」というコメントを残したことが話題となり、そのことが『めちゃイケ』で面白おかしくネタにされていたものです。

また、こんなエピソードもあります。タレントの優香がブレイクした際、東京都立川にある彼女の生家付近まで出向き、同じような人材はいないものかと自らスカウトを試みたとのこと。
当時既に50歳を超えていたはずなのに、なんというバイタリティでしょうか。

こんな強烈な個性に加え、所属タレントへの愛情深さも兼ね備えていた野田社長。
2004年の分裂騒動以降は、新設の事務所『サンズエンタテインメント』で確かな経営基盤を構築。今では会長職に就き、相変わらず辣腕を振るっているという彼の活躍に、今後も期待したいところです。
(こじへい)

※文中の画像はamazonよりイエローキャブ (講談社文庫)
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