7月2日。前回までの対戦で、将棋界新記録となる29連勝を達成していた最年少プロ棋士・藤井聡太四段でしたが、とうとう土がつきました。
しかしながら、プロデビューからわずか1年足らずの14歳が成し遂げたこの偉業は、これからも長らく語り継がれることでしょう。
振り返ってみると、私たちは過去いくどとなく、藤井四段のようなスーパー中学生の活躍に胸躍らせてきました。例えば、スキージャンプの高梨沙羅やフィギュアスケートの浅田真央などです。
ある日突然彗星のごとく登場し、破竹の快進撃を続けるというのは、いかにも漫画的でトリックスター的。そんな天賦の才をもつ彼らへ、羨望の眼差しを向けてしまうのは、人間の性なのかも知れません。
元水泳選手・岩崎恭子も、こうした「恐るべき子供」だったうちの一人。
藤井四段と同じ14歳で挑戦したバルセロナオリンピックにおいて見せた、彼女の猛烈な泳ぎとインタビューでの印象的な受け答えは、25年の月日が流れた今もなお、色あせることはありません。
五輪前は注目されていなかった岩崎恭子
岩崎恭子は1992年に金メダルを獲得するまで、まったくと言っていいほど無名の選手でした。
バルセロナ五輪開催直前時の競泳における注目の若手選手といえば、前年の世界水泳選手権で銅メダルを獲得していた千葉すずが筆頭。
加えて、岩崎が挑戦する200m平泳ぎは、当時の世界記録保持者であるアニタ・ノール(アメリカ)など強敵揃いだったため、表彰台に上がることはまずあり得ないだろうと考えられていたのです。
とはいえ、彼女はまぎれもなく早熟の天才スイマーでした。
でなければ、12歳で日本選手権へ出場し、14歳にして一国の代表に選ばれることなどあり得ません。今考えれば、確かな実力がありながら、メディアの過熱報道から一定の距離を置けたのも、勝因の一つだったと言えるのではないでしょうか。
事実、五輪開催前のインタビューで岩崎は、「決勝に残れればいい方だと思います」と、気負いを感じさせない返答をしていたといいます。
「今まで生きてきた中で、一番幸せです」
リラックスした状態で競技に臨んだためでしょうか。岩崎は、競泳女子200m平泳ぎの予選を順調に勝ち抜き、決勝では当時の五輪新記録&自身の生涯ベストとなる2分26秒65をマーク。見事、誰よりも先にゴール地点へたどり着き、金メダルの栄冠に輝いたのです。
この金メダル獲得は、日本女子競泳界において20年ぶりの快挙。しかも、当時の競泳史上最年少のゴールドメダリスト誕生とあって、世界各国のメディアでも大きく取り上げられます。
とりわけ印象的だったのが、競技終了後のインタビューで答えた「今まで生きてきた中で、一番幸せです」という一言。
身の丈以上の達成感と等身大の喜びを、中学2年生の14歳なりに精一杯表現したのであろうこのコメントはこれ以降、スポーツのハイライトシーンをまとめた番組でリピートされることとなるのでした。
いたずら電話にストーカー被害……わずか20歳での引退
一躍時の人となった岩崎恭子には、当然のことながら、取材やテレビ出演のオファーが殺到し、その年の紅白歌合戦にも登場しました。
しかし、名が売れるほどに厄介ごとが増えるのは有名人の常。岩崎も例外ではなく、先述の「今まで生きてきた中で…」発言に対して「14年しか生きていないのに、何を言っているんだ!」などと、テレビのコメンテーターから批判されたり、さらには、いたずら電話やストーカー被害に見舞われたりと、競技以外のことで悩まされるようになります。
「金メダルなんて、取らなければ良かった」。そんなふうに考えたこともあるそうです。
その結果、競泳選手として伸び悩んだ岩崎は、1996年のアトランタオリンピックにも出場したものの、200m平泳ぎで10位に終わり、1998年には病気の影響もあって、わずか20歳にして引退してしまったのです。
今では結婚・出産を経験し、水泳指導者・一児の母として、安穏とした日々を送っている岩崎恭子。かつての彼女のような若い才能を周囲の雑音で台無しにしないためにも、メディアは慎重な報道姿勢を取る必要があるのでしょう。
(こじへい)
※文中の画像はamazonよりバルセロナ・オリンピック総集編