「藤井四段と対局すると聞いた時は、驚きを隠せなかった」。時の人である藤井聡太四段(14歳)と戦った藤岡隼太学生名人(東京大学1年・19歳)は淡々と追懐する。
彼らは6月17日土曜日に開催された将棋プロアマ戦・朝日杯将棋オープン戦の一次予選で盤を囲んだ。当時26連勝と獅子奮迅の活躍をする藤井四段との対局は、「かつてない経験だった」と藤岡学生名人は語る。彼に藤井四段との対局を振り返って頂いた。

奨励会を退会して、東大に入学


「僕とはかけ離れた世界」藤井四段と対局した現役東大生・学生名人が見たもの

藤岡学生名人は小学生のころに松山将棋センター(愛媛県)で将棋を始め、グングン棋力を伸ばしていった。小学5年生時には文部科学大臣杯小学校将棋団体戦で、山根ことみ女流初段と共に出場して優勝。小学6年生時にプロの登竜門である奨励会入りを果たし、畠山鎮七段の下でプロを目指した。しかし、奨励会に入ってから自身が抱いていた想いと奨励会での対局に乖離が生じ始める。「奨励会に入ったけれど、僕にとっての将棋は趣味の延長線上なんじゃないかと思い始めました。プロとして生きていく自覚というか、そういうものが足りていなかったと思います。だから、決断をしました」。

2011年6月に藤岡学生名人は奨励会を退会、自分自身で選択した道とはいえ中学二年生だった彼の心に大きな傷を刻んだ。「自分で決めたことですが、心に穴が空いたというか。将棋とは距離を置こうかなと考えて、競技カルタと勉強をしようと決めました」と当時を回顧する。
四国屈指の進学校である愛光学園に在学していた彼は猛勉強の末、東京大学理科二類に合格。東大に入学したことで「少しだけ自分の中のわだかまりが解けて、自己肯定ができた」と心の傷が癒え、将棋を再開した。そして、再開してすぐにアマチュア大学生の将棋大会で最高峰といわれる学生名人戦を制覇し、優勝特典として朝日杯将棋オープン戦の出場権を獲得。その朝日杯で、藤井四段との対局が決まった。

藤井四段対策ではなく「自分らしい将棋」を


当時26連勝中の破竹の勢いを誇る藤井四段との対局が決定したのは、2週間前のことだった。対局の1週間前に藤井四段対策を始めた藤岡学生名人は「周囲からは、お前らしくやれと応援されました。最初は藤井システムをやろうという話になっていて、藤井四段に勝つには『研究でハメるしかない』という結論になりました。でも羽生先生が藤井四段との3月の非公式戦で藤井システムを指されていました。なので、これは対策されているだろう」と対局前の構想に苦慮したと吐露する。

そこで、彼は藤井四段を対策するのではなく自分らしい将棋を指す方向性に切り替えた。「自分の棋譜を見返しました。僕は手厚い将棋が好きなのと、定跡形になると藤井四段は厳しいと感じました。力戦ならまだチャンスがある気がしましたので、雁木を選択します。
でも、裏目に出ちゃいましたね(苦笑)。序盤から六の筋を攻められたのが想定外でしたから、もうちょっとじっくりした展開になれば良かったですね」と清々しい表情で語った。

藤井四段に終始圧倒される


「僕とはかけ離れた世界」藤井四段と対局した現役東大生・学生名人が見たもの
藤井四段との対局を回想する藤岡隼太学生名人

対局当日、対局場の雰囲気は想像を絶するものだった。会場に押しかけるマスコミの数を見て、自分は大舞台にいるのだと藤岡学生名人は自覚する。特に相対する藤井四段が醸し出す空気は凄まじく、「14歳とは思えません。凄く大人っぽかったですし、圧倒されちゃいましたね」と苦笑を浮かべた。対局が始まり、藤岡学生名人は構想通り雁木を組み始める。彼は「雁木は先に盛り上がる含みと角筋を通して攻めようと考えていました」と狙いを見定めていた。

対する藤井四段は早囲いにも満たない囲いで、藤岡学生名人を攻め立てる。勝敗が決したのは、藤岡学生名人の25手目の6五歩だった。ここから7三桂と跳ねた藤井四段の攻勢が強まり、終始圧倒される形で終局。敗戦した藤岡学生名人は「6五の位が伸び過ぎたので、そこを目標に攻め込まれました。対局後の感想戦で藤井四段も仰っていました。
あそこで突かなければ、もうちょっと早囲いや矢倉にまで組んでいたかもしれません。まさか7三桂からやられるとは…。7三桂の攻めは直感的に耐えられると思っていましたが、ダメでした。(藤井四段の機転の利かせ方や反応は凄かった?)そうですね。あそこからの攻めの組み立て方は別格。凄かったです」と藤井四段の強さを率直に讃えた。

「僕とはかけ離れた世界」藤井四段と対局した現役東大生・学生名人が見たもの
25手目の6五歩、その後7三桂と跳ねられて藤井四段が優勢に


迷ったら強気に行こうと決めていた


敗着手となってしまった6五歩だが、他の手を指していたらどうなっていたかと尋ねると「あそこで5八金と指していれば、本譜のような一方的な展開にはならなかったと思います。攻められるとは思いますが、あのような崩れ方はなかったかな。そこから、三手角の構想に行こうかなと考えていました。最近のソフト研究によれば、銀が5七よりは4七にいるほうが角の打ち場所が少ないようです。(本譜は5七銀なので)そうなると角交換になるため、やっぱり分が悪いので、角交換は藤井四段のほうが優勢かなと。ちょっと警戒しすぎたのかもしれません。5七銀と決めた以上は盛り上がっていく構想でやっていました。
難しいけど多少は勝負になっていたと思います。6五歩はどこかのタイミングで指していたと思いますけど、あのタイミングで指したのは欲張りすぎていたかなと」と述べる。

敗着の手とはいえ、藤岡学生名人が強気に6五歩を突いたのには理由があった。「迷ったら強気に行こうと決めていました。それは学生名人でも実践していたことです。今は奨励会時代と違って勝ちに執着する必要はありません。だから楽しもうと考えたら、そんな消極的な手を選ぶ必要はないです。それが学生名人戦では、良い方向に転んで優勝できたと考えています。今回もそれでいったのですが、流石プロだなと(苦笑)」と積極的に指した結果であるため悔いはないと、爽やかな笑みを浮かべる。

「僕とはかけ離れた世界」藤井四段と対局した現役東大生・学生名人が見たもの
6五歩ではなく、5八金とした図。こちらのほうがじっくり指せたか

藤井四段は「極めきっている」


藤井四段の強さを藤岡学生名人に聞くと、形容し難い強さと即答した。付け入る隙はあったかと問うと「隙なんてありませんでした。ただ、隙はありませんでしたが、攻め合える展開になればなと思っていました。その割に構想が上手く噛み合っていませんでしたね。
僕の勉強不足だったというべきか。僕は序盤が得意ではないので、どちらかというと終盤型です。(藤井四段は詰将棋解答選手権で三連覇するほど、終盤力に長けている棋士)なので、相性は悪かったですね」と藤岡学生名人は陳述する。

では、対局して分かった藤井四段の印象や棋風はどのようなものだったかを質問した。「まず、彼は(将棋を)極めきっていると感じました。僕が観ている世界とはまた違います。弱冠14歳で覚悟が決まっているように思えるし、僕とはかけ離れている世界にいます。棋風については、読みが深いです。攻め出してから全て読み切っていたんじゃないのかと思いました。攻め始めてから、10手から10数手は多分はっきりと…。恐らく、こちらへの王手も見据えて指している気がしました。それは僕の被害妄想かもしれませんが、攻めが本当に強かったです。
ヒフミン(加藤一二三)先生も言っていましたけど、先攻されると不味い。澤田真吾六段が藤井四段にほぼ『必至(受けのない状態)』をかけた際に、連続王手で勝利を掴みます。僕はあの対局を観て、藤井四段もここまでかなと思っていました。凄い終盤力です」と冷静に藤井四段の実力を考察した。

「勝っても負けても自分の人生は左右されません」


「僕とはかけ離れた世界」藤井四段と対局した現役東大生・学生名人が見たもの
凛々しい顔つきで抱負を語った藤岡学生名人

藤井四段は藤岡学生名人を破って勝ち星を27に積み上げた後、さらに勝利を重ねて29連勝という空前絶後の大記録(プロの連勝記録で首位)を築いた。最後に藤井四段との対局を回想した藤岡学生名人は「藤井四段と対局できただけでも凄いことだなと思います。藤井四段と盤を挟んで、同じ空間で(将棋を)共に考えることができた貴重な体験でした。それだけです。この経験を糧にして、学生将棋に持ち込んでいきたいです」と満足気に話した。
生物が好きな彼は将来理学部に進み、興味のある分野を研究する所存だ。取材も終わり、別れ際に「(将棋で)勝っても負けても自分の人生は左右されません。将棋は楽しいというか、指すことで人生が豊かになります。だから、突き詰めるとこまで将棋を楽しみたいです」と抱負を述べる。藤井四段との対局で素晴らしい経験を手にしたと彼は話していたが、既に大きな宝物を持っているように見えた。
(高橋アオ)
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