長年にわたりお天気キャスター界をリードしてきた森田正光。70年代後半から活躍する重鎮の森田だが、実は「天気予報」の世界に入ったのは、興味があったからではなく、たまたま高校の先生から「気象協会って所が募集してるよ」と勧められたから。

好きでもない仕事だったため、仕事へのやる気がなかったと今年6月放送の『しくじり先生』で明かしている。

やる気がない、それでも異例のスピード出世だった


しかし、「やる気のない社員」のはずの森田の出世は早かった。

日本気象協会には仕事の難易度に比例した出世ランクがあり、普通なら1段階ごとにあがっていく。普通であれば4年はかかる出世の階段を、森田はなんと半分2年で駆け上ったのだ。

つまらない仕事はさっさと終わらせて、プライベートの時間を充実させたいという考えであったため、仕事を早く終わらせる⇒できる社員とみなされる⇒異例のスピード出世という結果につながったのだ。

3度の放送事故も経験


その後、ラジオで1分ほどの天気予報を任されるようになった森田だが、仕事への責任感が欠けていたためか、3回もの放送事故を起こしてしまう。担当の天気予報のコーナーで、イージーミスによって1分間もの無音の時間を作ってしまったのだ。

しかし森田を見捨てなかった上司は、彼の特性を生かすため、一人で対応しなければいけない番組ではなく、メインの司会がいるバラエティ番組のお天気コーナーに出演させた。


これらの経験を経て、汚名返上と恩返しのために、仕事に対する姿勢を変えた森田は、視聴者の立場に立った予報を心がけた。
視聴者がより身近に天気を感じるようにと、今では当たり前となっている「洗濯指数」を考えたのも、森田である。

こうした森田の努力が実を結び、これまでになかったタイプの「お天気キャスター」が誕生し、お茶の間の人気も急上昇したのだ。

まさかの気象予報士試験不合格


そして時は流れて1994年。気象予報士の第1回試験が行われた。
それまで、気象庁のみに認められていた天気予報業務が、民間でも予報、提供が認められることとなったのだ。


もちろん、森田も国家資格の取得を目指して、第1回試験に臨んだ。本人はもちろん、だれもが森田の合格を疑わなかっただろう。

しかし、結果はなんと「不合格」。
試験不合格後、無念の森田は「ショックというより悔しい」とひとこと。「気象に関する問題には問題がなかったものの、一般教養的な内容の学科1の点数が合格点に達しなかったのではないか」と本人はのちに振り返っている。

第2回の気象予報試験ではこの反省を生かして合格。
見事、リベンジを果たして気象予報士の資格を手にした。

65歳を過ぎても、テレビやラジオのお天気コーナーでおなじみの森田。彼の活躍がお天気キャスターという職業の人気上昇に一役買っているのはご承知の通り。重鎮中の重鎮ながら親しみやすい、そんなギャップも森田の魅力のひとつである。

(せんじゅかける)