博士は7月17日、“ナイナイの岡村くんと24年ぶりに飲み会。
岡村も20日深夜放送の『ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン』(ニッポン放送系)で、「ひょんなことからご飯いきませんかとお誘いしたらぜひお願いしますとなって実現した」「楽しすぎて酔っ払ってしまい、何を話したか覚えていない」と思い出を語った。
意外な組み合わせとなった両者の90年代の活躍をふりかえってみたい。
水道橋博士が語った岡村隆史の印象
浅草キッドとナイナイは『浅草橋ヤング洋品店』(1992~1996年放送、テレビ東京系)で共演している。
この番組はのちに『ASAYAN』と名前を変え、モーニング娘。らを生み出すオーディション番組となるが、当初はテリー伊藤が演出を担当するアクの強いバラエティ番組だった。
「浅ヤン」時代の岡村の思い出について、博士は自身が編集長を務めるメールマガジン『メルマ旬報』の「水道橋博士のlife年表:増補版」で以下のように記している。
「浅草橋ヤング洋品店」の後期に、当時人気絶頂の若手ナインティナインがレギュラーに加わる。共にチビでありながら、モテモテ岡村vsモテナイ博士の屈辱的構図のロケを再三こなしつつも、無口で楽屋で孤立している岡村に芸人的色気を強く感じる。
番組の単行本『浅草橋ダイナマイト日記』(白夜書房)では、浅草キッドとナイナイの対談が行われているが、そこでも博士はナイナイの印象を「吉本にしては、妙に暗い人たちだなーと思ったね」と語っている。
水道橋博士「ラジオをやって欲しくない」
そんな博士と岡村にはちょっとした確執も存在した。
岡村が木曜深夜1時から3時の『オールナイトニッポン』を担当するにあたり、博士が苦言を呈したのだ。
理由は、木曜1部はかつてビートたけしが10年間にわたりレギュラーを務めていた“伝説の枠”であるため。番組に思い入れのある博士は岡村宅を訪れ、「この枠を関西から来た芸人にやって欲しくない」と朝まで詰め寄ったという。
この時「僕は僕でやるしかないから、ちゃんとやりますよ」と答えた岡村であったが、実際に『ナインティナインのオールナイトニッポン』から含めると、岡村は23年以上もの間、パーソナリティを務めている。これはオールナイトニッポンのパーソナリティとしては歴代最長だ。
ラジオで「第2回、第3回もあったらいいなという話で終わっている」と岡村が述べた通り、両者の新たなる交流のはじまりに期待したい。
※文中の画像はamazonよりナインティナインのオールナイトニッ本 vol.6 (ヨシモトブックス) (ワニムックシリーズ 207)