突発性難聴になった相田翔子
浜崎あゆみ、スガシカオら、若い人、アーティストで発症した例は少なくない。あまり知られていないが、元Winkの相田翔子も突発性難聴を患ったひとり。
以前に補聴器広報大使に選ばれた際、かつて突発性難聴で入院していたことを語った。その後、2008年には内耳疾患のメニエール病にかかり、補聴器のCMでナレーションを務めたことも。
相田翔子が突発性難聴にかかったのは、1995年ごろ。Winkとして最も忙しい時期は過ぎていたが、ストレスと睡眠不足が続いて発症。2週間極秘入院し、病院から仕事場に行ったこともあったという。
一時期メディアの露出が減ったのは相田自身がアーティストにこだわりすぎたからと言われているが、病気もターニングポイントのひとつだったのだろう。
同じオーディションを受けた縁でコンビ結成
Winkは、相田翔子と鈴木早智子の女性デュオ。二人は、ワニブックス社のアイドル誌『Up to Boy(アップトゥボーイ)』が主催したミスコンテストの1987年の上期と下期のグランプリ受賞者。
翌年の1988年にドラマ主題歌オーディションの最終選考に残ったことで急きょ結成、デビューとなった。80年代前半から半ばのアイドル全盛期が去り、アイドル氷河期に彗星のように現れた。
3枚目のシングル『愛が止まらない』がヒット、5枚目のシングル『淋しい熱帯魚』でレコード大賞を受賞。山之内製薬(風邪薬)、オリエント(腕時計)、資生堂など、数多くのCMに出演した。
無表情で踊る無機質なロボットダンス
二人は、初々しさやイキイキと輝くような笑顔が売り物のアイドルとは全く異なるキャラクターだった。
アイドルスマイルではなく無表情、操り人形のような振付けは「ロボットダンス」とも称された。また、二人が違う振付けで踊ることが多いが、Winkを数多く担当した振付師は、普通のようで普通ではない二人だからと、あえてバラバラの振りを付けた。
また、無表情だったのは二人が緊張しすぎたためだという。
実は自作曲が60%以上だったWinkの音楽性
デビュー曲『Sugar Babe Love』を皮切りに、『愛が止まらない』『Sexy Music』など、初期は洋楽のカバー曲を多く歌った。
しかし、後半は本人たちが作詞・作曲した楽曲が多くなり、オリジナル曲は楽曲全体の60%を越える。見た目は「人形のよう」といわれたWinkだが、自分たちの意思や思いは明確にあった。そして、後半は激しいダンスやセクシーさも展開し、初期の操り人形から脱却していった。
解散発表はせず、解散ライブもないまま、活動停止。25周年には、本人たちが選曲したベストアルバムをリリースしている。
2018年には30周年になるが何かイベントはあるのだろうか。アイドル史において一風変わったアイドルだったWinkだけに、驚くような何かがあることを期待する。
(佐藤ジェニー)