16日現在、チームは33勝68敗1分けでパ・リーグ最下位に低迷。
ロッテで活躍したフリオ・フランコ
さっそくスポーツ各紙で複数の後任候補の名前が挙がっていたが、その内の1人が90年代にロッテで活躍したフリオ・フランコである。
1度目の来日は95年。前年の94年はシカゴ・ホワイトソックスに所属し、8月にストライキでペナント中断するまで打率.319、20本、98点と堂々たる成績。過去に首位打者経験もある現役バリバリのメジャーリーガーが、出口の見えないストの影響もあり、バレンタイン監督が就任したロッテへ入団する。
当時のメジャーリーガー平均年俸は約1億円。現在の約4億8000万円と比較するとそこまで日米格差もなかったため、ジャパンマネーと働き場所を求めたシェーン・マック(ツインズ→巨人)や89年ナ・リーグMVPのケビン・ミッチェル(レッズ→ダイエー)ら大物メジャーリーガーたちが続々と来日したわけだ。
元々、フランコは90年日米野球で当時西武の秋山幸二と清原和博のプレーを目の当たりにし、「いつかアキヤマやキヨハラとプレーしたい」と思ったという。さすがAK砲。黄金時代の西武の主軸はメジャーリーガーをも驚かせてみせた。
このフランコと来日時マイナー経験のないエリートスラッガーと称されたピート・インカビリアは、広岡達朗GMとバレンタイン監督率いる新生ロッテの目玉として注目されることになる。
フランコ効果? 10年ぶりのAクラスに
フタを開けてみると、日米名将タッグ“ザ・マシンガンズ”と期待された広岡とバレンタインは練習法ひとつからぶつかり険悪な雰囲気に。さらにインカビリアの不調等様々なアクシデントに襲われる中、フランコだけはチーム最多の540打席に立ち、前評判通りに127試合、率.306、10本、58点という安定した働き。
「がんばろうKOBE」のオリックスがイチローを中心に初優勝に向かって突き進む中、フランコを不動の4番に据えたロッテは6月下旬の日本ハム戦3連勝をきっかけに勢いに乗り、10年ぶりのAクラスとなる2位でフィニッシュ。
69勝58敗3分けの好成績に、当時の高沢秀昭打撃コーチは「(ロッテの躍進は)フランコの教育が大きい。何気ないアドバイスが非常に効果的で、一流の選手が入るとチームは変わるんですねえ」と“フランコ効果”に感心したという。
ロッテを退団、そして復帰
日本の治安の良さを気に入り、休日は子どもとの散歩を楽しみ、球場までもスーツ姿のお父さんたちと同じように電車で通っていた元メジャーのスター選手。だが、バレンタイン監督が1年限りで解任されるとフランコも退団。
96年にインディアンスでメジャー復帰すると、率.322、14本、76点と再び素晴らしい成績を残してみせた。その後、フランコとの確執が噂された広岡GMがチームを去った98年に再びロッテのユニフォームに袖を通し、率.290、18本、77点と衰え知らずの打棒で主将を任せられチームを牽引。
メジャーの実績をひけらかすような素振りも見せず、若手を手助けする人格者ぶりに当時のチーム関係者の評価も高い。現在は韓国ロッテで打撃コーチを務めるフランコ。以前から(多少のリップサービスはあるだろうが)幾度となく「NPBで監督をするのが夢」と語っていただけに、今後の動向が注目される。
「年齢とは何か?」への格好いい回答
さて、このコラムではここまで1度も触れていないことがある。それは「年齢問題」である。
メジャー通算2586安打を記録した名選手にいつもついて回ったのは「ユーはいったい何歳なの?」という素朴な疑問。
2007年5月にはランディ・ジョンソンからメジャー最年長記録となる48歳254日での本塁打。……なんだけど1度目の来日時は61年生まれ、現在の公式プロフィールでは58年生まれ、実は54年生まれが有力と諸説あるが、56歳の2015年にBCリーグ・石川で選手兼任監督を務めた時は3割を超える打率を残している。
仮に本当に54年生まれだとするとすでに60歳を過ぎていたことになる。独立リーグとは言え還暦の野球選手。キング・カズも真っ青だ。
あるインタビューで「年齢とは何か?」と問われたフランコの回答がシンプルで最高に格好いい。
「Age is only number.」
そう、失敗を恐れず不可能を可能にしてきたこの男にとって、年齢とは“単なる数字”なのである。
(死亡遊戯)
(参考文献)
『週刊ベースボール 助っ人黄金時代』2015年6月22日号 (ベースボール・マガジン社)
『ベースボールマガジン 1995年プロ野球総決算号』(ベースボール・マガジン社)