
タフな女が挑む、レイプ犯への復讐劇
映画は真っ黒い画面から始まる。画面が明るくなると、そこに映っているのは家賃が高そうな家で繰り広げられている強姦の現場だ。男女のあげるうめき声と割れて散らばった食器類。現場をぼんやりと眺めている猫。やがて男は立ち上がり、ズボンを引き上げて窓から去っていく。
床にごろりと寝転がった女はゆっくりと起き上がり、床に散らばった食器の破片を箒とちりとりで集めて捨て、何事もなかったかのように風呂に入る。水面に浮かび上がってくる血が痛々しいが、あざの浮いた顔は平然としている。そして風呂から出た女は寿司の出前を注文し(!)、そのセリフがフランス語であることから、我々はこれがフランスを舞台にした映画だと初めて認識する。
この導入からして只事ではない。筆者は事前に聞いていたストーリーから「血みどろの復讐ものかな、バーホーベンだし」と思っていたのだけど、強姦された女が淡々と割れたカップを片付ける描写で「あっこれ普通の映画じゃないわ」と直感した。レイプという題材だけで観客の感情を操作する気はないということがこの時点でわかる。
続く場面で、女の年齢は50代後半〜60代前半であること、ファーストフード店の店員をやっているうだつの上がらない息子がいること、名前はミシェルであることが明らかになる。その後も次々に現れる登場人物との断片的な会話から、売れない作家との離婚歴があり、仕事はゲーム会社の社長で、息子は妊娠した彼女ともうすぐ結婚予定だがその結婚相手のことをミシェルは快く思っておらず、ミシェルの母親はプチ整形を繰り返しながら若い恋人と付き合っており、ミシェル自身の過去には大きな秘密があることやその秘密のおかげで警察には通報する気がないことが、徐々にわかってくる。
錯綜する人間関係の中から、ミシェルはレイプ犯を探し出そうとする。犯行後も自分の生活を見張っているかのようなメールで嫌がらせを繰り返してくることから、おそらく犯人は自分の身近にいる人物。ミシェルの周りには多数の男がいる。自分のゲーム会社(そこで作っているのは異種姦ものの触手エロゲーなのだが)の社員カートや、元夫リシャール、自宅の向かいに住んでいる銀行員のパトリック、親友にして共同経営者アンナの夫ロベール。誰もが怪しい中、ミシェルは催涙スプレーや手斧を買い、射撃の練習を始め、人間関係をかき回しはじめる。
恐ろしくタフな主人公ミシェルを演じるのは、フランスが誇る女優であるイザベル・ユペール。64歳という年齢を感じさせない体型と毅然とした雰囲気で、強権的な経営者であり、悩める母親であり、トラウマを抱えた娘でもあり、性的に奔放な女でもあるという複雑な主人公を演じきっている。
このミシェルの複雑さが、『ELLE』を一筋縄でいかない内容にしている。「レイプ犯への復讐」というストーリーでバンバン人間を殺す話にもできたはずなのだが、バーホーベンはそれをしない。代わりに錯綜した人間関係がもたらすドロドロの愛憎劇を観客の前にぶちまけ、そのドロドロの中から奇妙な復讐譚が浮かび上がってくる構造をとった。
クズ人間大運動会の果てにある善悪の彼岸
代表作『氷の微笑』などで、「クソみたいな男がタフで頭が切れる女にバチバチやられる」というストーリーを描いてきたバーホーベン。今回の男性陣のクソっぷりというか、「性欲だけしかない!」感もなかなか極まっている。
元夫のリシャールはいまだにミシェルに未練タラタラで、新しい恋人を作ってはわざわざミシェルに見せびらかしに来て気を引いたりする。親友アンナの夫ロベールはミシェルと不倫しており、オフィス内にも関わらず「いいじゃ〜ん」みたいな感じでミシェルにグイグイ迫る(そしてミシェルもめちゃくちゃ適当に相手をしちゃうんだなこれが)。隣の銀行員パトリックはことあるごとにエロい視線を送ってくるし、ゲーム会社の社員の中にもミシェルに惚れている奴がいる。母親が捕まえている若いツバメもクソ野郎だし、息子のヴァンサンはいい歳してファーストフード店のバイトな上に嫁に頭が上がらない。全員、どうにもだらしない。ダメ人間祭りである。
そして当のミシェル自身の性欲もなかなか半端ではない。パーティ中に靴を脱いで隣の家の旦那の股間を足でゴソゴソ触るわ、双眼鏡でやっぱり隣の旦那を見ながら自慰に耽るわ、「女同士ってのもいけるか試してみるか……」とアンナとトライしてみるわ……といった感じでやりたい放題。
これら登場人物の奔放さは、結論が善悪やモラルの彼岸にある『ELLE』という映画を補強するものだ。倫理や善悪では到底割り切れない復讐劇を描いている以上、登場人物の行動もそれに沿ったものになる。復讐劇といえば大抵はすっきりと劇場を出られるフォーマットのはずなのに、そして『ELLE』にはそんなスカッとする要素がないわけではない。それなのに、曖昧な倫理の境界線を軽く飛び越える女が主人公なおかげで観客はモヤモヤしたまま放り出される。このモヤモヤ感こそが、バーホーベンのバーホーベンたる所以だろう。
(しげる)