近くて遠い国……。

そう北朝鮮が言われるようになって、いったいどれくらいの時が経つのでしょうか。
同国の実態が少しずつ暴かれていったのが、今から15年前。2002年の小泉首相電撃訪朝がきっかけでした。この歴史的ニュースを機に、世間の注目度は一気に上昇。夕方のニュース番組では度々、朝鮮中央テレビで放送されたマスゲームや喜び組といった映像を流していました。

よくテレビに出ていた藤本健二氏


そんな一種の"北朝鮮フィーバー"に揺れたテレビ界において、彗星の如く登場したのが「有識者」と呼ばれる人たちです。
おそらく2002年以前までは、一般の人から見たら「ちょっと変わった人」だったであろう方々が、さまざまなニュース・情報番組から引っ張りだことなったものです。

「有識者」として、軍事評論家の岡部いさく氏、山梨学院大学教授の宮塚利雄氏と共によくテレビに登場していたのが、「元金正日専属料理人」の藤本健二氏でした。

大きめのサングラスをかけ、頭にはラーメン屋風に巻いたバンダナ……。メディアの前に姿を現す時、藤本氏は決まってこの格好をしていました。
本人曰く、「ヒットマンから身を守るため」とのことでした。

子供時代の金正恩の遊び相手にもなった


もともとは、日本の寿司屋で働いていたという藤本氏。1982年、寿司職人を集めた派遣会社に所属していた彼は、同社の会長から北朝鮮での仕事を紹介されます。「月50万円出す」という条件に惹かれた藤本氏は、赴任を決意。同年から平壌のレストラン「安山館」で働くようになるのでした。


ある時、その腕前を買われた藤本氏は、金正日がいる招待所へ呼ばれて寿司を握ることに。この時のトロの味にいたく感動した金正日は、これ以降、ことあるごとに藤本氏を招へい。1988年には、正式に専属料理人として仕えるようになったといいます。翌1989年には結婚し、2人の子どもまで設けたそうです。

なお藤本氏はこの時期に、当時まだ子供だった金正恩とも面識を持ち、いつしか遊び相手にまでなっていたのだとか。金正日が健在な頃から、その素質を見抜き「後継者は正恩」とテレビで断言していた彼の慧眼たるや大したものです。

1年半の軟禁生活を強いられたことも


このように順風満帆だった藤本氏の北朝鮮ライフですが、1998年、ある事件が起こります。それは、中国・北京へ買い出しに行った時のこと。日本の警視庁へ自分の安否を知らせる電話をかけたところ、これが盗聴されており、藤本氏は平壌の自宅アパートで1年半、軟禁生活を強いられることになったのです。

このことに恐怖を覚えた藤本氏は2001年、北朝鮮を脱出。家族を置き去りにしての逃避行でした。

北朝鮮で日本料理屋を開業……現在の藤本氏


「自分の弱さが原因だった」

そう、後悔とも取れる発言を、テレビのインタビューでしていた藤本氏。一時は表舞台から姿を消していましたが、なんと現在、再び北朝鮮に渡って日本料理店をオープンしているのだとか。

おそらく家族と幸せに暮らしているのでしょうが、あれほど北朝鮮の内情を日本で暴露した彼にペナルティはないのか、ちょっと心配でもあります。
(こじへい)
編集部おすすめ