朗読劇を侮るなかれ


朝ドラ『あまちゃん』(13年)のヒロイン役で大ブレイクし、アニメーション映画『この世界の片隅に』(16年)では、声優として、絵に瑞々しい命を吹き込み、大ヒットの立役者となった、のんが、初舞台に挑んだ。

舞台といっても、朗読劇という特殊なジャンルである。
2時間(途中休憩込)、椅子に座ったまま、ノンストップで戯曲(手紙)を読み続けるという、ふつうの舞台よりも緊張感を強いる、なかなか難しい演目といえるだろう。
しかも、出演者はたったふたり。

朗読劇『ラヴ・レターズ』は、パルコ劇場(現在改装中)で、1990年から26年間もの長期に渡り、上演され続けた名作で、のべ460組のカップルが読み続けてきた。出演者は、役所広司×大竹しのぶ、市村正親×熊谷真実、竹中直人×風吹ジュン、野田秀樹×毬谷友子、柄本時生×前田敦子など枚挙にいとまがない豪華な組み合わせばかりだ。

今回は、のんと『この世界の片隅に』で夫婦役を演じた細谷佳正が共演。今秋オープンしたばかりの映画館で行われる趣向に『この世界の片隅に』カップルはよく似合う。
のんはやっぱり唯一無二の女優だった。初舞台「ラヴ・レターズ」一日だけの貴重な公演、観てきた
『ラヴ・レターズ』
調布パルコ×イオンシネマ シアタス調布スペシャル
出演:細谷佳正&のん   
撮影:加藤幸広

ふたりが演じるのは、小学生から50代までの長い長い時間、手紙のやりとりをし続ける幼馴染。

開場のときに配られたペラ一枚のリーフレットにのんが、“細谷さんとは「この世界の片隅に」で夫婦役でしたが、一緒に演じることが出来なかったので、今回直接面と向かってご一緒出来ることに興奮しています!”とコメントしていて、『この世界の片隅に』ファンとしては期待が膨らむばかり。

開演前、舞台上には、色違いの椅子がふたつ並んでいる。
劇場スタッフによる、携帯の電源を切ってくださいとか、本番中、劇場から出ることはできないなどというアナウンスが流れ、トイレに行きたくなったら、突如咳き込んだらいったいどうしたらいいんだろうという緊張感に苛まれていると、上手(客席から見て右)の客席脇の出入り口から、のんがすっと歩いて舞台に上がっていった。ワンピースも靴も靴下も鮮やかな赤。
それから少し遅れて、下手(左)から細谷が歩いてくる。彼は上下黒の衣裳。
靴下が赤だったことは、座って足を組んだときにわかった。

ふたりは椅子に座り、台本を開く。
第一声は、細谷。それを受けて、のんが手紙を読む。以後、ふたりは、順番に、相手に当てた手紙を読んでいく。

幼馴染の長い長い交流


アンディーことアンドリュー・メイクピース・ラッド三世(細谷)と、メリッサ・ガードナー(のん)はアメリカの裕福な家庭の子供という境遇は同じだが、性格は正反対。アンディーは、口下手で、思いを手紙で伝えることを好むが、メリッサは、電話派。
物事をじっくり考えるアンディーに対して、メリッサは感覚で動き、自由気ままだ。そんなふうに、まったくタイプの違うふたりだが、メリッサは、アンディーの希望を聞いて、手紙のやりとりを続ける。

ときには喧嘩もしながら、手紙に様々な思いをぶつけ合うことで、ふたりは誰よりもお互いのことをよく知った間柄となり、思春期を迎えると、異性として意識し合う。ところがなぜか、すれ違ってしまい、ふたりは別々の道を歩んでいく。

以下、ネタバレありますので、ご注意ください。


手紙のやりとりが途絶えることはないものの、ふたりの生きる世界はどんどんかけ離れていく。
アメリカからヨーロッパに移るメリッサ、海軍の仕事で日本に行くアンディーと、物理的な距離も遠くなっていく。
画家になったメリッサは、仕事も結婚生活もままならず、次第に精神的に疲弊していく。一方、アンディーは、政治家となって、誰もがうらやむような家庭を築く。

すっかり暮らしぶりが変わってしまったふたりではあったが、あるとき、久しぶりに再会し、ようやく結ばれる。だが、アンディーは確立した地位を失うことをおそれて、メリッサを手放してしまう。
その後、メリッサの精神の疲弊は進行していき、ふたりの手紙のやりとりに終わりがやってくる・・・。


基本は、細谷とのんが今後に、手紙を読むが、喧嘩した状況になると、一方的に同じ人物が何回か手紙を読み、相手は沈黙することもある。
でも、ラストまで、やりとりは止まることはない。
アンディーは、穏やかに知性的で、メリッサはあっけらかんと感覚的。ものすごく短い文面のこともあるし、滔々と思いを語るときもある。
座ったまま戯曲を読んでいるだけにもかかわらず、不思議と、男と女の長い人生の変遷が、実に鮮やかに豊かに浮かんでくるように見えるし、ふたりの感情も手に取るように伝わってくる。

のんの足の向きに注目した


のんと細谷は、横に並んで、目線は、台本に一心に注がれ、交錯することはない。
両手でもっていた手を片手にすることや、足の向きや、組み方が時々変わるだけだ。


じつは、細かい演出ノートが存在し、足の組み方などにも演出が入っているそうだ。
基本は「自由に」、でも、あざとくなく、作為的にならないように。ふたりの俳優は、そこに気をつけて、手紙を読む。
足の向きで、相手への好意がわかると聞くが、のんのきれいに揃えた足先はたいてい、細谷のほうに向いていて、アンディーに容赦ないとはいえ、その足の向きに信頼が現れているように見えた。

なんといっても、クライマックス。
どんどん追い詰められていったメリッサの行き着いた先。ずっと前を向いて台本を読んでいたのんが、はじめて大きく動く。そのときの、間合い、(照明の変化も含め)と、のんの表情に、不意をつかれる。
言葉にすると軽くなってしまいそうだが、“愛”としかいいようのないものが、そこに光っていた。

のんの可能性


演出家の藤田俊太郎は、のんのことをこう語った。

「のんさん。
抽象的な言い方ですが、こころが透明な方でした。
声のゆらめきで、喜怒哀楽を激しく表現できる方。
本の一番大事なところを読み取れる方だと思いました。
初めて舞台に立つということで、物理的なことですが、こういう風に声を出したら良いですよと少しアドヴァイスしたら、すぐに対応してできるようになったことに驚きました。
勉強熱心でとても頭の良い方、
現場で作品に関係する人全てに対して礼儀正しくて、きっと人見知りだけれど自己主張がきちんとあるところが印象的でした。
関わった人を虜にする魅力を持っていると思いました。」

藤田は2代目『ラヴ・レターズ』の演出家である。
この翻訳を手がけ、90年からずっと演出を行ってきた青井陽治が9月に亡くなったため、後を引き継ぐことになった。
東京藝大卒業後、蜷川幸雄の演出助手を経て、演出家として独り立ちして間もなく、数々の演劇賞を受賞している期待の30代だ。
初舞台で、これほど気鋭の演出家と出会ったのんはラッキーである。

“創作あーちすと”として、絵を描いたり、歌を歌ったり、活躍の幅を広げ、「いわて純情米/銀河のしずく」のドラマ仕立てのテレビCM出演などにも出ているのん。発売中の『文藝春秋』2018年1月号の小松成美のルポルタージュ『女優・のん「あまちゃん」からの四年半』のなかに「演じることは自分の生き方だと思っています」という一節がある。小松も「私個人の望みを口にすれば、女優・のんを見たい、ということに尽きる」と書いている。
筆者も、のんの芝居をもっと見たいと思う。そう思っているファンは多いだろう。

その点、今回の朗読劇は、活動の場が限られるなか、声の仕事に活路を見出したのんが、次に、声にプラスして、ミニマムな肉体表現方法へと一歩踏み出した意欲作であり、じわじわと、彼女のステップアップ計画が進行しているのではないかと考えられる。

のんが、俳優として自由に演じることができるときが、少しずつ近づいている、そんな気がする。

なお、12月17日(日)15時から、もう一組の『ラヴ・レターズ』がEXシアター六本木にて上演される。
こちらは、尾上右近×松井玲奈 同じ手紙でも、きっとまた違うものになるだろう。
『ラヴ・レターズ』一度ハマると、何度も、いろいろな組み合わせで見たくなる。

『ラヴ・レターズ』
調布パルコ×イオンシネマ シアタス調布スペシャル
作者 A.R.ガーニー 
訳・演出家:青井陽治
演出 藤田俊太郎
出演:細谷佳正&のん 
2017年12月8日(金)  

(木俣冬)