江戸時代中期の蘭方医である前野良沢と杉田玄白らが、オランダ語の解剖学書を翻訳した『解体新書』(1774年)を世に出すまでの様子を描く正月時代劇「風雲児たち~蘭学革命(れぼりゅうし)篇~」が、元日の今夜7時20分よりNHK総合で放送される。

今回のドラマでは、みなもと太郎の長編歴史マンガ『風雲児たち』から『解体新書』をめぐる物語(ワイド版の単行本では4巻5巻に収録。
ドラマ化にあたって刊行された『風雲児たち~蘭学革命篇~』では1冊にまとめて再録)をとりあげ、それをもとに三谷幸喜が脚本を書いた。劇中では、前野良沢・杉田玄白をそれぞれ片岡愛之助と新納慎也が演じる。いずれも三谷脚本による一昨年の大河ドラマ「真田丸」の出演者だ。そのほかのキャスト、さらにスタッフもすべて「真田丸」の制作チームから再結集している。
三谷幸喜正月時代劇「風雲児たち~蘭学革命篇~」元日夜放送…嗚呼みなもと太郎の傑作歴史マンガが遂に!
みなもと太郎の大長編『風雲児たち』から、『解体新書』出版までの人間模様を描くパートを一冊にまとめた『風雲児たち~蘭学革命(れぼりゅうし)篇~』(リイド社)。三谷幸喜脚本によるNHKドラマの放送にあわせて刊行された

三谷幸喜に影響を与えた『風雲児たち』


ドラマの原作となる『風雲児たち』は、約40年前の1979年に雑誌連載が始まった。同作は当初より幕末物として構想されたが、みなもとは、幕末を理解するためにはまず1600年の関ヶ原の戦いまでさかのぼらなければならないと考え、そこから連載を始めている。おかげで幕末にたどり着くまで20年近くを要し、2001年にやっと始まった『風雲児たち 幕末編』の連載もいまなお継続中である。


三谷幸喜は、少年時代にみなもとの『冗談新選組』(1970年)を読んで大ファンとなり、のちにはそれを下地に大河ドラマ「新選組!」(2004年)の脚本を手がけた。『風雲児たち』も連載が始まったころから愛読していたという。後年、みなもととの対談で《歴史の中にはいい話が山ほどある。誰も知らないいい話が埋もれているというのを、僕は『風雲児たち』を読んで知ったんです》と語っている(みなもと太郎『冗談新選組 風雲児たち外伝〈造本新版〉』復刊ドットコム)。

その三谷が『風雲児たち』のなかでももっとも感動したのが、今回ドラマ化される『解体新書』のくだりだった。先の対談でも《ひとつのクライマックスでしたよね。
前野良沢も杉田玄白も、人間描写がすばらしくて》
などと話していた。

なお、これまでに「新選組!」「真田丸」など多くの三谷作品を演出し、本作も担当する吉川邦夫によれば、三谷は『風雲児たち』の前野良沢を片岡愛之助でドラマ化したいとすでに10年前から話していたらしい(ぴあMOOK『蘭学事始ぴあ』)。

「真田丸」キャスト再結集に込められた意味とは?


先述のとおり、今回のドラマのキャストは「真田丸」の出演陣で固められている。リストアップするとこんな感じ(カッコ内は「真田丸」での役名)。

■解体新書翻訳の中心人物たち
前野良沢:片岡愛之助(大谷吉継)
杉田玄白:新納慎也(豊臣秀次)
中川淳庵:村上新悟(直江兼続)
桂川甫周:迫田孝也(矢沢頼幸)

■前野家の女たち
前野富士子:中島亜梨沙(吉野太夫)
前野峰子:岸井ゆきの(たか)
前野たま子:長野里美(こう) ※「たま」の正しい字は「王」に「民」

■医学者たち
大槻玄沢:大野泰広(河原綱家)
安岡玄真:浅利陽介(小早川秀秋)
石川玄常:中川大志(豊臣秀頼)
桂川甫三:中原丈雄(高梨内記)
多紀元徳:山西惇(板部岡江雪斎)

■協力者たち
奥平昌鹿:栗原英雄(真田信尹)
田沼意次:草刈正雄(真田昌幸)
平賀源内:山本耕史(石田三成)
吉雄耕牛:小日向文世(豊臣秀吉)
須原屋市兵衛:遠藤憲一(上杉景勝)
小田野武助:加藤諒(石合十蔵)

■同時代の風雲児たち
高山彦九郎:高嶋政伸(北條氏政)
林子平:高木渉(小山田茂誠)
工藤平助:阿南健治(長宗我部盛親)

こうして見ると、「真田丸」で徳川方の人物を演じた俳優が見事に外れている(小早川秀秋は関ヶ原の戦いで徳川方に寝返ったとはいえ、もともとは豊臣家の人間だし、上杉景勝も大坂の陣でこそ徳川方についたものの、関ヶ原では家康と戦った)。まあ、「真田丸」は徳川と戦った武将(真田信繁)を主人公としていたのだから、そこからキャストを再結集すれば、こうなるのは当たり前なのかもしれない。しかし私は、このキャスティングは三谷らスタッフがかなり意識的に組んだものと考えたい。
なぜなら、原作の『風雲児たち』は、のちに徳川幕府を倒すことになる原動力が、いつ、どこから、どうやって生まれたのかを探る物語だからである。

今回のドラマの原作となったパートでいえば、前野良沢や杉田玄白ら蘭学者は幕末の開明派のルーツであり、高山彦九郎や林子平らは尊王攘夷派のルーツということになる。開明派は、西洋の学問の習得に努め、世に広める立場であり、一方の尊王攘夷派は、天皇を奉じ立て、外国の手から日本を守ろうという立場だ。この2派は幕末の動乱のなかでやがて結びつき、列強に対抗するため西欧の学問・技術を積極的に採り入れるとともに、天皇を担ぎあげて、やがて幕府を倒すにいたった。もっとも、良沢や彦九郎たちが生きたのは、幕末・維新より1世紀近くも前の時代だ。『風雲児たち』原作の一章のサブタイトルにもあるとおり、彼らはまさに「早すぎた人々」であった。


この「早すぎた人々」と題する章(ワイド版『風雲児たち』第4巻の第9章、『風雲児たち~蘭学革命篇~』では第8章)には、開明派のルーツである前野良沢や杉田玄白たちと、尊王派の高山彦九郎たちが交流する場面が出てくる。三谷幸喜の「新選組!」でも、若き日の近藤勇と坂本龍馬が出会う場面があったのを思い出す。ただし、あれは三谷が想像をふくらませて描いたものだった。それに対し、良沢たちと、彦九郎や林子平および工藤平助ら「寛政三奇人」とも呼ばれた風雲児たちが親しくしていたというのは史実である。

そういえば、「真田丸」の最終回は、豊臣方についた真田信繁に対し、徳川方についた兄・真田信幸(信之)が、江戸時代には松代藩十万石の大名となり、さらにその松代藩は幕末において徳川幕府崩壊のきっかけをつくる兵学者・佐久間象山を生んだというナレーションで締めくくられていた。これについては放送当時、飛躍にすぎるといった意見も聞かれたが、しかし『風雲児たち』に多大な影響を受けた三谷としてみれば、真田氏と幕末の天才兵学者はごく自然につながっていたはずだ。


ドラマには原作者も登場


原作のなかで、前野良沢と杉田玄白はときに激しく対立する。あげくには良沢が『解体新書』に自分の名前を出さないよう申し入れるにいたった。一体、両者のあいだで何があったのか。これについては、三谷幸喜もずっと関心を抱いていたらしい。果たしてドラマでは、どんなふうに描かれるのだろうか。

このほか、原作では、良沢の家族は次女の峰子以外、ほとんど出番がないが、このあたりはどうふくらませるのか。
また、原作中で言及されながらも、具体的な描写はなかった漢方医たちの良沢らに対する圧力が、ドラマでどう扱われるのかも気になるところだ。

『風雲児たち』は、歴史マンガであるとともにドタバタのギャグマンガの要素も強い。ファンのあいだではドラマ化を希望する声もありながら、長らく実現しなかったのは、そうした作品の性格もあるのだろう。だが、子供のときからみなもと作品を愛読してきた三谷なら、きっとうまく料理しているに違いない。なお、原作者のみなもと太郎も「覚三」なる役で今回のドラマに出演しているという。そんな細かな部分も含めて、きょうの放送が楽しみだ。
(近藤正高)