老害にはなりたくない。自らの感性とマッチしていた過去を是とし、「あの頃に比べたら今は……」と現代へダメ出しする。
一時、プロレスファンにこのタイプがかなり多かった。特に、業界が冬の時代を迎えていたゼロ年代に多く目にした気がする。

昭和をターゲット層から排除し、新規ファンの取り込みに力を注ぐことでプロレスは盛り返しを見せる。古株がダメを出す筋合いはなくなった。現在進行形のファンと“昔のプロレス”のみ愛でるファンとで、明確な棲み分けが進むこととなる。もしもまだ、過去を引き合いにして今を攻撃する者がいたならば、即刻やめた方がいいと思う。

私は、“昔のプロレス”ばかり思い出す行為に終始している。とは言え、琴線に触れる現役選手を見つけて嬉しくならないわけがない。
2018年のマット界、筆者の感性は鈴木秀樹一択である。今でも、我々の視線を引きつける存在がいてくれる喜び。「招かれざる客ではない」と、励ましてくれる存在だ。
ゆでたまご嶋田が告白「プロレスの代わりになったのが総合だった」久々の観戦記に共感
「小説新潮」3月号

20世紀末、プロレスから総合格闘技へ興味がシフトしたファン


「小説新潮」3月号で、『キン肉マン』作者・ゆでたまごの嶋田隆司が「永遠のプロレス少年」と題してファンタスティカマニアの観戦記を寄稿している。

書き出しは「すっかりプロレスを観なくなったけれど」。
テリー・ファンクをモデルにテリーマンを生み出し、ブルーザー・ブロディからインスピレーションを受けてバッファローマンを大暴れさせたゆでたまご。現実のプロレスを作品へ無邪気に落とし込んでいた嶋田も、次第にプロレスから距離を取り始めたと告白するのだ。

彼がそうなった理由はわかる。きっかけは、私も大体同じだったから。
「自分の全てだったはずのプロレス。なのに気が付けば少しずつ足が遠ざかっていた。20世紀の終わり、その代わりになったのは総合格闘技だ」

当時、この手のタイプはすごく多かった。今考えるとプロレス界にも格闘技界にもありがたくない「プロ格」という言葉が流布されまくっていた、あの頃。プロレスより総合の方に“プロレス”の手触りを感じ取ってしまったがゆえ、私たちはプロレスそのものから足が遠ざかってしまったのだ。
かつてはジャンルへのダメ出しがカンフル剤の役割を果たし、マット界は活性化した。現在のファンは、ジャンルへの愛が深くてピュアな人たちばかりだ。「総合の方にプロレスを感じる」なんて、ありえない話だろう。


様変わりしていた久しぶりの後楽園ホール


「久しぶりの後楽園ホールは全く様変わりしていた。まず、客が違う。昔はもっと殺伐としていて、客同士の殴り合いもしょっちゅうだった。僕も喧嘩を吹っかけられたことがある。それに当時は通路にも階段にも人があふれんばかりに立っていた。今は若い人、特に女性が多い。ルチャドールのマスクを付けた客もたくさんいてまるでお祭りみたいだけど、みんなお行儀よく席についている」

全く同じ感覚を覚えたことが、筆者にもある。桜庭和志が柴田勝頼とともに新日本プロレスへ参戦し始めた2012年。桜庭和志は、私が世界一好きなプロレスラーだ。観ないわけにはいかない。10年以上ぶりに新日本プロレスの会場で生観戦した。

2014年に出版された『ゆでたまごのリアル超人伝説』(宝島社)において、桜庭が取り上げられている。
「彼こそ、プロレスラーの強さを最初に証明してくれた選手と言っても過言ではない」
「1997年12月に日本で開かれたUFCジャパントーナメントに出場。
(中略)この時、桜庭が放った言葉が、『プロレスラーは本当は強いんです』という一言だった」
「プロレスで培ってきた発想をうまく総合格闘技のリングで使用し、ただ勝つだけではなく、魅せる試合をしてくれたのである」
「リアルな総合格闘技に対して、エンターテイメント要素の強いプロレスは凋落していくわけだが、その口火となったのが、プロレスファンの救世主だった桜庭の活躍だったというのは皮肉な話である」


会場では戸惑いの連続だった。当たり前だが、リングアナウンサーがケロじゃない。ゴング前の選手紹介の流れが昔と違う。そもそも知らない選手が多い。そして、やはり客層が違うのだ。「プ女子」と呼ばれる女性ファンがメディアに取り上げられているが、私が印象に残ったのはファミリー層。子どもたちである。
桜庭が目当ての私たちとは違い、メインエベントに出場するチャンピオンへ必死に声援を送る女の子。「たなはしー!」と連呼する少年少女を目の当たりにして、老害の醜悪さを痛感する。

嶋田は『キン肉マン』の担当編集者とともに観戦したという。
「前に連れていってくださったDEEPとも全然雰囲気が違いますね。ほら、あの格闘技の」
両ジャンルは、完全に性格の異なるものとなった。
「総合の方にプロレスを感じる」というファンは、きっとこの先生まれないだろう。

プロレスも総合格闘技も極めようとするプロレスラーに惹かれる


この日の生観戦で、嶋田はKUSHIDAに注目していた。私も彼のことは知っている。少年時代、高田道場へ通っていた経歴の持ち主だ。嶋田がKUSHIDAの存在を知ったのは、彼が総合に参戦していた頃だそう。

「このタッグマッチに出ているレスラーの中で、もしかしたら彼が一番強いんじゃないかと思う」
今、ファンはそういう視点でプロレスを観ているのだろうか。昭和の時代に藤原喜明がブレイクしたのは、この視点がファンの内に存在していたからだ。野暮かもしれないが、この価値観は現代でも有効であってほしい。
「中邑真輔、藤田和之、柴田勝頼……総合格闘技もプロレスもどちらも極めようとする、そういうレスラーが僕は好きなのだ」

この日、嶋田はアンヘル・デ・オロとニエブラ・ロハのツープラトンを見て「完全にスイッチが入った」という。ミスティコが繰り出したヘッドシザースからの腕固めにはうっとりだ。
「プロレス雑誌をスクラップすることは少なくなっても、こうして目の前で試合を観るととても楽しい」

勝手に自らプロレスから距離を置き、その間にジャンルそのものが様変わりした。生観戦に二の足を踏む自分がいるが、会場へ行けばスイッチが入る。
嶋田が観戦記という形で放った告白には共感しかない。
ノレるようでノレないテンションがあり、しかし、会場に足を運べば取り戻してしまう。「永遠のプロレス少年」というタイトル、感情の起伏をたった9文字で見事に言い表している。

“昔のプロレス”ばかり大事にするファンには、煙たい要素が確かにあると思う。筆者はビクビクしながら感じ取っている。近い立ち位置にいる嶋田の寄稿に勇気付けられたのだ。
(寺西ジャジューカ)
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