川崎宗則 通訳なし、捕手練習、イチローへの憧れ…挑戦こそが生き甲斐だった野球人生
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開幕直前のプロ野球界に衝撃のニュースが飛び込んで来た。ソフトバンクが川崎宗則の退団を発表。
川崎は痛めていた両脚のリハビリを昨夏から続けてきたが、自律神経の病気にもなり体を動かすのを拒絶するようになってしまったという。
「ホークス球団と協議して自由契約という形で、野球から距離をおいてみようと決断しました」と本人コメント。任意引退ではなく、自由契約なので回復すれば他球団への移籍も可能だが、今後のことは未定だ。


過酷な環境でベースボールに挑戦した川崎


“ムネリン”の愛称でチームメイトやファンから親しまれ、その明るいキャラクターが人気だった川崎。だが、著書『逆境を笑え 野球小僧の壁に立ち向かう方法』(文春文庫)を読むと、また別の一面をうかがい知ることができる。
シアトル・マリナーズとマイナー契約と、決して好条件での米球界挑戦ではなかった川崎は、とにかくなんでもやる姿勢でベースボールに向き合っていた。痛くても「痛くない」と言い、慣れない外野や捕手起用も「オレはショートよりキャッチャーが得意だ」なんて答えて練習する。「ドキドキしてるけど強がるんだよ。やせ我慢は大事。いつもそう思ってる」。川崎はそんな覚悟でアメリカで野球をやっていたのだという。

さらにトロント・ブルージェイズとマイナー契約を交わした渡米2年目からは、自らの意志で通訳を外した。可能な限りひとりでやる。
英語が分からなかったら、ゼスチャーや絵を描いたり、色んな方法で聞けばいいだけ。
ある日、ミーティングだと思って出席していたら、隣の若い子に年齢を聞かれ、「サーティ、ツー」と答えたら、「お前はこのミーティングは来なくていいんじゃないのか」と教えられた。なぜなら、そこは野球ルールの講習場だったから。ご飯の時間や練習後のバスの時間も分からず空腹で置いていかれた時は、ドミニカの十代の選手からポテトチップスとパンをもらって人のやさしさが身にしみた。本を読み進める内に、スプリングキャンプで陽気にエアロスミスの歌を熱唱している印象が強いムネリンは、こんな環境で野球をやっていたのか……と驚かされる。

やがて川崎は米球界での自分の役割を理解し、打席では個人成績より、とにかく粘って相手投手に球数を投げさせることを意識する。打ちたい球でも我慢してツーストライクまで平気で見送る。そうすればベンチのチームメイトも球筋が見られるし、タイミングが取りやすくなり打線がつながる。そんな自己犠牲を重ね、徐々にチーム内で居場所を見つけていくわけだ。食事に誘われたら、とりあえず行ってみる。言葉は分からないが、一生懸命聞いていると次第に何を言いたいかつかめるようになる。

日本球界に来る助っ人でも、環境になじもうと努力する選手は周囲から愛される。
もしも、川崎が過去の栄光に頼り、俺は日本では数億円もらっていたスタープレイヤーだなんて態度を少しでも取っていたら、アメリカで5シーズンもプレーできなかっただろう。


本当は“後ろ向き“な素顔


恐らく、川崎宗則と言えば「明るく前向き」というイメージを持つ野球ファンも多いと思う。だが、それを本人は「みんな、俺のことを前向きだと言ってくれる。とんでもない。俺は後ろ向きだぞって。自分を前向きに見せるようにコントロールする術を身につけただけ。本当の俺は後ろ向きなんだ」と真っ向から否定する。

なんでも大丈夫です、元気ですーなんつって強がっていたら、ある日尊敬するイチローにこう言われたという。
「ムネ、お前、ウソついてるな、見栄なんか張るな。疲れてるだろ」
さすが、憧れのイチローさんは分かってる。川崎が中学3年生の4月、地元鹿児島の球場にオリックス時代のイチローがロッテとの公式戦で来た。目の前でレーザービームを披露し、ホームランをかっ飛ばした背番号51。
それまで右打ちだった野球少年は、左打ちに変えた。身体が大きくない自分は清原和博や松井秀喜にはなれない。でも、イチローは光だった。自分の未来を照らす、光だった。プロ野球選手になりたい。野球を続けよう。そう思わせてくれた恩人とも言えるスーパースターの存在。
この10年後、第1回WBCで川崎宗則は憧れのイチローとチームメイトになり日本代表でともに戦うことになる。
川崎宗則 通訳なし、捕手練習、イチローへの憧れ…挑戦こそが生き甲斐だった野球人生
画像出典:Amazon.co.jp「閃きを信じて~Don't think too much!~

自分も数多くの野球本を読んできたが、この『逆境を笑え』はあの矢沢永吉の名著『成り上がり』を彷彿とさせる語り調とドライブ感で読みやすく、内容的にも面白い(ムネリンの言葉はどことなく元ブルーハーツで現クロマニヨンズの甲本ヒロトに似ている)。ここでは紹介しきれないが、ドラフト時の意外すぎるエピソード、ホークス時代のちょっとヤバめの話も赤裸々に語っている。メディアで伝えられてきたひたすら明るいキャラクター像を崩す、川崎宗則の素顔は今読むと非常に興味深い。

もしかしたら、アメリカでは常に気を張った状態でプレーし続け、久々に日本復帰して心身ともに上手くコントロールできなくなった部分もあったのではないだろうか。
とにかく、今はしばらくゆっくり休んでもらい、また川崎宗則と球場で会える日を待ちたい。
(死亡遊戯)
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