バンド「19(ジューク)」を振り返る!イラストレーター326との軋轢は
画像出典:Amazon.co.jp「19 BEST●青

「人生はかけ算だ。どんなにチャンスがあっても、君が『ゼロ』なら意味がない。」

今だったら、ツイッターで自己啓発系インフルエンサ―がツイートしていそうなポエム。
イラストレーター・326(みつる)さんのイラストに描かれたメッセージです。もちろん、描いたのは326さん本人。味のあるヘタウマな文体で、カラフルなオリジナルキャラクターと共に記していて、どことなくポップアート界の相田みつを感のあった、この新進気鋭のクリエイターの名を一躍世に広めたのが、音楽ユニット「19(ジューク)」でした。

デビューから1年あまりで紅白に出場した「19」


「19」は、広島県出身の岡平健治さんと岩瀬敬吾さんによる男性ボーカルデュオ。ビジュアルプロデュースと作詞を担当する326さんは、「歌わない」3人目のメンバーでした。彼らは1998年にメジャーデビューし、1999年2月に2ndシングル『あの紙ヒコーキ くもり空わって』をリリースしたことが転機となります。

甘酸っぱい歌詞と、ノスタルジックなギターとハーモニカのメロディが青春真っただ中の若者世代の琴線に触れて、一躍大ヒット。オリコンウィークリーチャート上位に長らくランクインし、同曲をひっさげて、デビューから1年あまりでの紅白歌合戦出場も達成しました。

「原宿系アーティスト」なのに、原宿に行ったことがなかった326


注目を集めたのは、彼らの楽曲ばかりではありません。326さんが手掛けた「原宿系」と言われた個性的なビジュアルプロデュースも話題を呼びました。しかし、326さんが後年『東野・有吉のどん底』(TBS系)で語った内容によると、デビュー当時、地元・佐賀から上京してきたばかりの326さんは、原宿には一度も行ったことがなかったとのこと。自分たちがマスコミから「原宿系アーティスト」と呼ばれているのを知り、急いで原宿のラフォーレや古着屋を回って研究し、後から原宿っぽさを付けたしていったといいます。

3rdシングル『すべて』を最後に、326さんは19から干されていた?


『あの紙ヒコーキ~』以降も、19はヒット曲を連発しました。3rdシングル『すべて』はオリコン週間ランキング1位を獲得していましたし、4thシングルの『果てのない道』は2位、5th シングル『水・陸・そら、無限大』は、シドニーオリンピックの日本代表選手団公式応援ソングにもなりました。

しかし、ビジュアルプロデューサー兼作詞家であるはずの326さんは、3rdシングル『すべて』以降、「干されていた」といいます。
理由は、健治さん&敬吾さんより年上ということもあって、あーしたほうがいい、こーしたほうがいいとガミガミ指摘しているうちに、2人の取り巻きの人間から疎まれ、19から遠ざけられるようになったそうです。また、「2人だけで音楽をやりたいという想いも少なからずあったのではないか」と326さんは分析しています。
その後、2002年2月に19は解散を発表。この時も、326さんには一つの相談もなかったといいます。しかし、最後のライブか何かの時に、健治さんと敬吾さんは「3人で話し合って決めました」と宣言。未だに19が3人だと思っているファンの気持ちを配慮したのか、それとも創立メンバーである326さんへの申し訳なさからなのか…発言の真意は定かではありません。

今も、健治と敬吾はミュージシャン、326はイラストレーターとして現役で活動中


それから16年。健治さんは2002年にデビューし、青春パンクブームの一翼を担った3ピースバンド『3BLAB.☆S』のフロントマン、敬吾さんはソロミュージシャンとして活動を続け、326さんは2013年8月から爆笑問題の事務所『タイタン』へ移籍し、イラストレーター兼詩人として精力的に執筆活動を続けているようです。ちなみに、現在3人の仲は決して悪くはないのだとか。今年は19デビュー20周年。もしかしたら、再結成、あるかも知れません。

(こじへい)
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