
適当な運転手とドイツ人ジャーナリスト、タクシーに乗って大混乱の光州へ!
『タクシー運転手』が扱っているのが、1980年に韓国の光州で発生した光州事件だ。当時韓国では朴正煕大統領が暗殺され、それまでの軍事独裁政権からの脱却ムードが漂っていた。しかし1979年12月に全斗煥陸軍少将がクーデターで政権を掌握。さらに1980年5月17日には野党の政治家である金泳三、金大中らを逮捕し、全国に戒厳令を布告した。民主化すると思っていたら大物軍人が出てきて全く逆のことを始めたわけで、民主化を求める学生らを中心に不満が溜まっていく。
戒厳令布告の翌日である5月18日、韓国南部の全羅南道にある光州市で、大学を封鎖した陸軍空挺部隊と抗議する学生たちが衝突する。19日にはデモの主体は学生を含む市民全体に広がり、21日には空挺部隊が群衆に対する一斉射撃を開始。市民側も角材や火炎瓶で対抗し、さらに強度予備軍の武器庫を襲撃して武装、空挺部隊に応戦する。市街戦さながらの状況に突入した光州市だったが、この事件は韓国国内で一切まともに報道されず「スパイに先導された暴徒が光州で暴れている」という、事実と全く異なるニュースが流れた。
『タクシー運転手』の主人公であるキム・マンソプは、こんな政治状況には全然関心も関係もないソウルのタクシー運転手である。連日のデモで塞がる道路に閉口し、「韓国はいい国なのに、デモで暴れる学生は何が不満なんだ?」と愚痴る日々。妻に先立たれ11歳の娘と家賃も払えないほどカツカツの暮らしを送るマンソプは、食堂で聞きつけた「外人のおっさんを光州まで乗せていくだけで10万ウォンもらえる」という話に飛びつき、実際に乗せていくはずの運転手を出し抜いて見知らぬ外国人を乗せる。
乗客は、東京に駐在するドイツ人記者ユルゲン・ヒンツペーターだった。
この映画、完全にソン・ガンホ劇場である。ガンホは「調子が良くて何にも考えてないけど、情に厚い」という、まるでこち亀の両さんのような主人公マンソプを演じており、これがもう完璧。気の合わない大家の嫁が作った飯を即座に吐き出すガンホ。思わぬ収入にタクシーの中でほくそ笑むガンホ。適当すぎる英語で「レッツゴー光州!」と叫ぶガンホ。農家の爺さんに変なテンションで道を聞くガンホ。デモでもらったおにぎりに舌鼓を打つガンホ。
能天気でお気楽なガンホと、なんだかむっつりして怖いヒンツペーターが光州に潜入する。道路上で行われている検問、あちこちに散乱しているビラやスローガンの張り紙、物が散らばり閑散とした路上、怪我人ばかりの病院といったロケーションで不安を煽った後、様々な市民が集まって繰り広げられているデモと、対峙する空挺部隊の一斉攻撃という地獄絵図を見せる。まるで水からじっくり煮込むような温度感によって、観客と何も知らないガンホの目線は重なり合うのだ。「え、なんでこんなエグいことになってるんですか……」という困惑を、観客もガンホも同時に味わう。そして困惑は、後半の熱すぎる展開へと繋がっていく。
世界一かっこいいタクシーによる、韓国の『ローグ・ワン』
白人が珍しい光州で、ドイツ人のヒンツペーターは当然目立つ。海外の記者が国外から光州の事件を報道することは、韓国軍としては絶対に避けなくてはならない。反対にデモに参加している光州市民としては、一方的に市民が虐殺されている現状をどうしても報道してほしい。ヒンツペーターを逮捕しようとする軍と、何としても彼を逃して取材テープを世に出さなくてはならない市民たちとのチェイスが始まる。
「独裁政権と戦うために無名の人々が立ち上がる」「重要な情報を敵の手から逃がす」「敵味方ともになりふり構わない肉弾戦で戦う」……『タクシー運転手』に散りばめられたこれらの要素を見ていて思い出したのが、2016年に公開された『スター・ウォーズ』シリーズのスピンオフ、『ローグ・ワン』だった。デス・スターの設計図という超重要機密を反乱軍にもたらすため、無名の兵士たちが涙とド根性の特攻作戦を遂行する『ローグ・ワン』と、『タクシー運転手』の怒涛の後半戦はほぼ同じなのだ! 適当なことを言ってるわけではありませんよ!
そして、そのど真ん中に放り込まれたマンソプは大いに逡巡する。
ガンホことマンソプがどういう決断をし、映画がどのような展開にもつれ込むかはぜひ劇場でご覧いただきたい。「こ、こんな展開アリかよ……」と映画館の椅子からずり落ちそうになることは保証する。見終わった時には、タクシーが世界一カッコいい乗り物に見えてくるはずだ。
(しげる)
【作品データ】
「タクシー運転手 〜約束は海を越えて〜」公式サイト
監督 チャン・フン
出演 ソン・ガンホ トーマス・クレッチマン ユ・ヘジン リュ・ジュンヨル ほか
4月21日より全国ロードショー
STORY
1980年に発生した光州事件。韓国史上最大級の暴動に発展したこの事件を報道したドイツ人記者ユルゲン・ヒンツペーターの陰には、彼を現場まで乗せたタクシー運転手マンソプがいた。2人と光州の人々の交流、軍による一方的な虐殺を背景に、ヒンツペーターとマンソプの行動を追う。