
広末涼子が20年前に発売し、25万部を超える大ヒットを記録した写真集『NO MAKE』(集英社)が、デジタル完全版として復刻。7月9日から期間限定で配信中とあって、大きな話題となっている。
撮影を担当したカメラマン熊谷貫氏は、広末のことを「生き生きとしたエネルギーみたいなものが伝わってくるんだよね」と評しているが、まさにその通り。
トップアイドルとしての輝きはもちろん、その奔放なプライベートまで含めて、とにかくエネルギッシュ、いつも話題の中心だったのである。

中学生でCMデビュー! ドラマに歌に大活躍
小学校に入る前から芸能界に憧れていた広末涼子。
中学生になり、雑誌で見つけたP&G『クレアラシル』のオーディションに初応募。応募総数2,589名の中からグランプリを見事獲得し、翌95年にイメージガールとしてCMデビューを果たしている。
「自然体でいて、こちらの予想以上のものをやってのける。他の子とは違う何かを持っていました」
審査委員長の評価通りのオンリーワンの輝きで快進撃は始まった。
同じく95年のNTTドコモのポケベルのCMが、見えそうで見えない際どいミニスカート姿もあって話題性十分。「広末涼子、ポケベル始める」のナレーションもインパクト絶大で、その認知は一気に拡大した印象だ。
CMは10種以上に渡ってシリーズ化し、CMアイドルの座をあっという間に確立。広末人気もあり、96年にはポケベル市場がピークを迎えたほどだ。
余勢をかって、フジテレビ系深夜の『ハートにS』でドラマデビュー。これはオムニバス形式のショートドラマだったが、これを機にフジテレビ系のドラマ出演ラッシュが続いていく。

96年秋には、初の写真集を2冊同時でリリースし大ヒット。
2003年6月までの集計で、2冊合わせて46万8,000部の記録は、ヘアヌードを除いたアイドル写真集では歴代1位を誇るから凄い。
完全に追い風の中、翌97年春には、竹内まりやプロデュースの『MajiでKoiする5秒前』で堂々の歌手デビュー。
PUFFYの『渚にまつわるエトセトラ』に1位をはばまれたものの、続く岡本真夜プロデュースの2nd『大スキ!』はオリコン1位を獲得。同曲で同年『第48回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たしている。
まさに、王道のアイドル街道爆進中。中高生を中心に世間のフィーバーぶりも凄まじいものがあった。

ちなみに広末は当時、「フロス」という事務所に所属していたが、敏腕マネージャーの手により独立。それが、現所属事務所の「フラーム」だ。
広末一人のために設立されたようなものであり、そこからも広末が芸能界屈指の逸材であることが証明されるだろう。

早稲田大学進学から風向きが一変!?
『ビーチボーイズ』『聖者の行進』など、出演した連続ドラマは軒並み高視聴率。
バラエティにも対応し、トップアイドルの地位を磐石とした広末だったが、その歯車が狂い始めるのが1999年に早稲田大学に入学した時期ではないか。
芸能界の早稲田出身者には、第二文学部を優秀な成績で卒業した大女優・吉永小百合がいる。
人気絶頂での進学とあって、「第2の吉永小百合」の誕生かと世間は色めき立った。
しかし、広末が受験したのは、学力試験のある一般入試ではなく、芸能活動などの活躍をアピールする自己推薦入試。いわゆる「一芸入試」での合格だったのだが、当時は風当たりが強く、これに反発する声も大きかったのだ。
「早稲田は売名のためにアイドルを入学させた」「芸能人だからと優遇したのではないか」「真面目に勉強している学生がかわいそうだ」など、メディアは批判的な声をこぞって取り上げた。
当の広末は、主演ドラマ『リップスティック』の撮影に専念するため、入学式を欠席。
その後もCM撮影などもあり、スケジュールがびっしり埋まった状態のため、初登校が3カ月後の6月末になってしまうのだが、この状況がバッシングにさらに拍車をかけてしまう。
「アイドルが片手間で」「早稲田ブランド欲しさか」など、辛辣な声は大きくなる一方だった。
初登校時はまさに狂想曲。大学正門前には報道陣が大挙して訪れ、そこに学生はもちろん、ファンから野次馬からすし詰め状態の大騒ぎ。その数、何と3,000人超といわれているから、とんでもない加熱ぶりだ。
講義終了後には、早稲田のシンボル・大隈講堂前で記念撮影に応じたが、ここでも一大騒動が。
撮影終了後には、広末に少しでも近づこうとした報道陣と大観衆が押し寄せ、もみくちゃ状態の大混乱となってしまったのだ。
最初の笑顔はどこへやら、広末は涙目のままどうにか迎えの車に乗り込んだという。
翌日は、朝日、読売、毎日新聞が1面写真入りで報道。ワイドショーも各局トップニュース扱いだったのだから、驚くやら呆れるやら……。
度重なるスクープで清純派イメージ崩壊!
実は、広末バッシングの前兆は進学前にあった。
前年末には、モデルのMITSUU(ミツウー)とのデートを写真週刊誌にキャッチされ、「部屋に2人だけで8時間も過ごした」「清純派イメージ崩壊」など、騒動を呼んでいる。
ちなみに、このMITSUUは現在俳優として活躍する村田充のこと。神田沙也加の旦那である。
さらに、2月には当時モデルの伊勢谷友介とのデートが報道されたが、その伊勢谷とは早稲田入学後の6月に同棲スキャンダルまで発覚してしまう。
「学校も行かないで男と同棲」という最悪の状況であり、好感度が大暴落した中での初登校騒ぎだったのである。
約4年半後の2003年10月、広末はホームページにおいて、「女優業に専念するため」を理由に自主退学を発表。
仕事と学業の両立に腐心した末、どちらも中途半端にしないための決断と説明しているが、欠席がちのため単位はほとんど取得していない状況だったという。
精神的に不安定だった!? 世間を騒がせた広末の奇行の数々とは

広末がハタチを過ぎたころ、多くの奇行が報じられるようになる。
まずは、2001年5月1日。フランスの巨匠、リュック・ベッソンが製作・脚本・主演を手がけた映画『WASABI』の製作発表会見でのこと。
晴れの大舞台で広末がいきなり号泣し始めたのだ。あまりに突然すぎて会場騒然。
センセーショナルに騒ぎたてられたのだが、広末が精神的な不安定さを見せたのはこれが序章にすぎなかった。
続いて、予定していた新作CMの公開取材&撮影自体もドタキャン。
さらに、撮影時にはスタッフ全員が宿泊するホテルにおいて、自室に同郷の幼なじみの男性を連れ込み連泊したとの報道まで。
この一連の騒ぎで、広末には“新プッツン女王”というありがたくない異名が付いたのだった。
そして、主演ドラマ『できちゃった結婚』撮影時には、写真週刊誌がこぞって、具体的な噂を取り上げることになる。
まずは、「撮影現場への遅刻が日常茶飯事」という騒ぎ。
遅刻は夜遅くまで当時の恋人、俳優の金子賢と酒を飲んでいるのが理由、と具体的な描写もあった。酒とタバコのやりすぎで声が枯れて元に戻らないとまで書かれ、清純派イメージは完全崩壊だ。
そして、金子賢絡みでは「タクシー無賃乗車事件」も有名な話。
都内のクラブで金子と朝まで飲み明かした広末が、150キロ先の千葉県の撮影現場までタクシーで向かうが財布を持っていなかったというもの。
『WASABI』撮影時にも、都内の宿泊先のホテルから六本木まで、金子の車を無賃乗車のタクシーで追いかけたなんて報道もあった。
また、ロケ休憩中は携帯電話を手放さず、スタッフや共演者がいても構わず大声でしゃべり続けたという。
しかも、感情の起伏が激しく、酔っ払っているほどのハイテンションかと思いきや、控え室に閉じこもってしまうなど、周囲は振り回されっぱなし。
監視のために、現場マネージャーが3人に増員されたなんて記事もあった。
当然、『できちゃった結婚』の撮影は思うように進まず、現場は大混乱。視聴率も中盤にかけて低迷し、一時はドラマの打ち切りもささやかれるほどだったという。
最初の「できちゃった結婚」は確信犯だった!?
他にも「ラーメンただ食い未遂」「真っ昼間の路上でスカートの中に手を突っ込んで履き直し、パンツ丸見え」「深夜の渋谷のラブホ街を男性と2時間うろつく」なんて、面白おかしく騒ぎたてられ続ける広末。
この間、わずか4カ月足らずの出来事である。
そして、早稲田大学中退直後の2003年12月15日には、モデルでファッションデザイナーの岡沢高宏と本当に“できちゃった結婚”。
これも大きな話題となったのだが、この「でき婚」も含め、当時の複雑な心境を、女性ファッション誌『FRaU』2016年7月号にて広末自身が語っている。
何でも、20代前半の頃は「『いい子だ』って言われるのがイヤでイヤで」と“優等生イメージ”に苦悩し、「仕事を辞めたくて仕方なかった」という。
“新プッツン女王”と呼ばれたころは、それゆえの反動だったのだろうか?
でき婚については、「正直、確信犯ですよね。出来ちゃった結婚と言われたけど、そうじゃないと結婚なんて出来ない状況だった」と告白。
「あの時点でフェードアウトしないと壊れていたと思うし、女優業は続けていられなかったと思う」と続くから、相当に追い詰められていたようだ。
デビュー直後から休む間もなく仕事漬けの毎日。精神的にギリギリの状態だったことは間違いない。
結局、岡沢との結婚生活は4年3カ月で終止符を打ったが、この時期を「私の人生において、すごく大切でした」と振り返っていることが救いである。
2度目の結婚 夫のキャンドル・ジュンが話題に
結婚、出産、離婚を始め、さまざまな経験を経て、女優としての輝きや深みが増した広末。
2008年の映画『おくりびと』や、翌年の『ゼロの焦点』で「日本アカデミー賞 優秀主演女優賞」を獲得するなど、再び芸能界の第一線に戻ってきた印象だ。
しかし、世間は広末の行動に再び驚くことになる。
2010年10月8日に、キャンドルアーティストのCandle JUNE(キャンドル・ジュン)と“できちゃった再婚”をしたのだ。
モデルや俳優と浮き名を流してきた広末が次に選んだのが、謎多きキャンドルアーティストの肩書きを持つ男性。
ルイ・ヴィトン、プラダなど高級ブランドのレセプションや、パリコレなどのファッションショーやライブなどでもキャンドル中心の空間演出を行い、紛争地をめぐる平和活動にも尽力しているという。
ワールドワイドに活躍し、世界的な評価が高いアーティストのようだが、ピンと来ない方が大多数だったのではないか。
肩書き、名前のインパクトも凄いが、そのビジュアルも強烈だった。
全身にびっしりとタトゥーが施され、右の耳たぶには長さ20センチほどの「鹿の角」がブスリ。アーティストというよりもアウトローといった風貌である。
広末とキャンドル・ジュンの出会いは2010年1月。
ハイチでおきた大震災を支援するためのイベントがきっかけだという。このイベントを主催していたのがキャンドル・ジュンだったのだ。
これを機には急接近した2人は、交際期間わずか7カ月でのスピード再婚。
再婚時、広末涼子は自身のブログで「恋愛感情というより、静かな安らぎを感じさせてくれる彼の穏やかな人柄にひかれました」と語っている。
ハイチの支援イベントを主催する以前には、新潟県中越地震の支援活動も積極的に行っていたというし、ボランティア精神あふれる優しい心の持ち主なのは間違いないようである。
激動の芸能人生を送ってきた広末にとって、本当の意味で心許せるパートナーだったのだろう。
広末の不倫で夫婦仲の危機が叫ばれたが……
しかし、キャンドル・ジュンの奇抜な見た目、また、世間的には無名な存在であること。さらには、広末の過去の恋愛遍歴からして、結婚直後から長続きしないのでは、といった意見が多数派だった印象。
世間は好奇の目で2人の動向を見ていたのではないか。そこに、待ってましたと言わんばかりの広末の不倫騒動が起こる。
2014年2月、広末が俳優、・佐藤健の自宅マンションを訪れて一夜を過ごし、朝帰りしたとスクープされたのだ。
キャンドル・ジュンは東日本大震災の復興支援のため、福島を始めとする被災地を回っており、都内にいない間の出来事だった。
お互い多忙ゆえのすれ違い状態や、収入格差などを理由に夫婦生活は破綻しており、別居状態だったともいわれ、世間的には離婚までまったなしのムード。
広末、佐藤ともに不倫を否定したが、その後もデート現場をキャッチされるなど、離婚へのカウントダウンが定期的に話題に上がることになるのだが……。
広末涼子は現在3児の母 女優としても大活躍中
そんな中、2015年3月12日付けのスポーツ新聞にスクープが。広末が第3子を妊娠したとの大見出しだ。
翌日には、所属事務所の公式サイトを通じて妊娠5カ月を正式に発表。
色々あったようだが、夫婦仲は復活していたのである。
広末は、同年7月17日に女児を無事出産。
2016年9月27日付けの『日経DUAL』のインタビューでは、「今の私にとっては仕事も育児もどちらも欠くことのできないもので、スイッチを切り替えることが私にとってプラスに働いていると思います」と力強く宣言。
3人の子宝に恵まれた経験は、女優として大きく成長する原動力となっているようである。
また、このインタビューでは最後をこう締めくくっている。
「子どもを導いてあげるのは親だから、まずは自分が迷わないことが大切というのは、私にとっては新しい感覚でした。子育てを通して知ったこと。人として、親として成長させてもらいながら、日々を楽しんでいます」
奇行騒動は遠い昔。
広末涼子は母として、そして女優として、もう迷うことはないだろう。
(バーグマン田形)