連続テレビ小説「半分、青い。」(NHK 総合 月〜土 朝8時〜、BSプレミアム 月〜土 あさ7時30分〜)
第25週「君といたい!」第149回 9月21日(金)放送より
脚本:北川悦吏子 演出:宇佐川隆史 田中健二
「半分、青い。」149話。15分でそよ風扇風機盗難事件解決、「あさイチ」に佐藤健と北川悦吏子登場
半分、青い。 メモリアルブック (ステラMOOK)

半分、青い。 メモリアルブック

連149話はこんな話


朝、オフィスに出勤すると、そよ風の扇風機の試作品とデータが盗まれていた。

扇風機が盗まれた!


鈴愛(永野芽郁)と律(佐藤健)は大慌て。
でもすぐに犯人はわかる。

津曲(有田哲平)だ。
以前、息子修次郎(荒木飛羽)に扇風機をさも自分の発明のように話していたことを鈴愛は思い出したのだ。
妹・恵子も兄なら「苦労してつくったものを横からかすめとるなんて」・・・やりかねないとあっさり肯定。

それにしてもこのドラマ、横からかすめとるエピソードが多い。
一応確認はとったにしてもそれを描いて勝手に他誌でデビューしたボクテの「神様のメモ」、最もわかりやすい元住吉の「名前のない鳥」、悪意がなかったにしても、センキチカフェもいつの間にか健人のものになっていた。
そして、扇風機・・・。
思えば、清(古畑星夏)やより子(石橋静河)も鈴愛から見たら律をかすめとった存在と言えなくもない。
人生、奪い奪われという感じが漂うドラマである。

一件落着


かすめとった扇風機(そよ風ファン)を津曲は大手メーカーに売り込みに来ていたところ、修次郎から電話があっていじめに関する悩みを相談される。
修次郎がこっそり隠れて電話している体育館の倉庫に扇風機がふたつも置かれている。
修次郎の呼びかけの台詞が独特。
「でも 僕 おとうさん。」
こういう作家特有の台詞はあっていい。それこそ津曲の台詞「こびるな。
自分でいろ。無理してみんなに合わせるな」である。
津曲が息子を励ます「ともだちなんか要らない」という言葉は、かつて、岐阜犬が孤独な少女に語った「ともだちは無理して作らんでええ」(124話)と言ったことに近い。
彼が岐阜犬に惹かれたのは和子の言葉に共感したのかもしれない。って、そのときはまだ津曲いなかった。
息子に尊敬されることが生きるモチベーションらしく津曲が大手への売り込みをやめる。
津曲、その場しのぎの胡散臭い人間ではあるが、バイタリティにあふれたとも言えるしどこか憎めない。
なんだかんだ言って息子思いなところが情に訴えてくる。
有田哲平のどこか卑俗に行きすぎない雰囲気も救いになっている。ナイス、キャスティング。

希望に満ちた出発


あっという間にピンチは過ぎ去ったが、またひとつ問題が。
経費がかかり、一台が高い。三万円もする扇風機を誰が買うのか問題。
4千台売らないとペイできない。
律は開発費を退職金だけでなくカードローンで賄っていた。
借金が苦手の岐阜県人の特性で、悲鳴をあげる鈴愛。
「あしたのジョー」の話がまた出てきて、津曲はうどんを食べたマンモス西(かつてネタをかすめとったボクテが西に例えられた)ではなく勇敢なホセ・メンドーサになるべく、営業スタッフとしてそよ風ファンを売り出す手伝いをするように持ちかけられる。
修次郎もやって来て、おとうさんが見栄を張っていたことを知ってもなお、尊敬の態度を見せる。
希望に満ちた一同の表情で、つづくとなった。
このように仲間が集ってひとつの目標に向かう展開は多くの人に好まれそうだ。

あさイチ


この日、9月21日、「あさイチ」に佐藤健がゲスト出演。さらに、華丸と北川悦吏子との対談も放送された。
いろいろ興味深い話が出てきたが、佐藤健の母と妹のコメントが面白かった。妹の兄と律が似ているところは「スカしているところ」とのコメントは身内だからこそ言える言葉だろう。あと母親の数々の証言に動揺する佐藤も面白かった。


なんといっても面白かったのは、華丸対北川悦吏子。
夏虫のプロポーズの真意を理解できないという華丸に北川はこう思って書いたと主張するが、華丸はわからないと押し切った。
この対談、収録したものを編集して放送していたので話の順番が実際どうなっていたかわからないが、プロポーズの件で「言い負かされた」と言った北川が華丸に逆転する場面があった。
今度は彼に脚本を書くという話になって、ラブストーリーの主役? と華丸が解釈したところを「津曲のポジション」だと笑う北川。すべてはユーモアだと思うが、負けっぱなしじゃ終わらない性分の人っているので、プロポーズの件があって言い負かすチャンスを対談中に狙っていたんじゃないかと勝手に想像して楽しんだ。

なんでそういうことを思ったかというと、「NOW and THEN 北川悦吏子」(角川書店 97年)に掲載されたつんくとの対談が面白いから。つんくが鋭く彼女が書いた「恋愛道」(96年)というananで連載していたエッセイを分析していくと、北川が「てごわいですね」と言い「なんで勝負するんですか、対談でしょう」とつんくが返すところがあるのだ。
この対談を司会、構成したライターもすごいと思うし、このまま掲載している当人や編集者も面白い。
なんとも、予定調和の仲良し対談になってなくてざわざわするのだ。

北川はつんくに対して「インテリの男の子だったら誤魔化せるところが、みんな透けてみえちゃう気がした」とも言う。この「インテリの男の子だったら誤魔化せる」という彼女の考え方もひじょうに興味深い。
そのつんくは「恋愛道」を「2ページくらいで事が進んでいくから面白いなと思って読んでいたんですけど」とか「私自身で精一杯生きてきた人生だったら、絶対満喫できないはずなんです」とか分析していく。
もちろんこれは実体験に基づく恋愛エッセイに対する意見だが、「半分、青い。」の主人公の「スライス・オブ・ライフ」と北川が呼ぶ人生を読み解くうえでも有効な気がしてくる。

「あさイチ」では華丸との対談のほかにアナウンサーによる北川へのインタビューもあり、そこで彼女は成功するのではなく「神様にダメと言われて漫画家を辞める」というようなシビアなことをあえて逃げないで書いたというようなことを語る。
プレゼン的にはうまいこと言っているなと思うが、実際のドラマでは、その「ダメ」と言われてしまうまでの過程を描かず、なぜ辞めるところまで主人公が追い詰められているか説得力に欠けるところがあった。このドラマではずっとそうで、漫画家、100円ショップ、五平餅カフェ、おひとりさまメーカー・・・と主人公ははじめるときは情熱的だが、途中でフェイドアウトしてしまう。

それに関しても「私はゴールよりスタートを切っていたい」という鈴愛の台詞を用意して、これこそが鈴愛と「半分、青い。」を表した台詞と思っていると語る北川。これもまた、プレゼン的にはうまい言葉だ。
よくよく考えれば、要するに最後までやり遂げられないだけと思えてしまう。
そこでつんくの「精一杯生きてきた人生だったら」という言葉が浮かんでくるのだ。

もちろんこういう人がいてもいいし、きっといる。それを否定はしない。一方でこういう人生に首をかしげる人もいる。長い物語であるし、たくさんの人が見るものでもあるので、主人公とは角度のちがう生き方ももう少しだけ描いてほしかった。

北川悦吏子という作家に興味がある人は、「NOW and THEN 北川悦吏子」のつんくとの対談、ぜひどこかで探して読んでほしい。
(木俣冬)
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