連続テレビ小説「半分、青い。」(NHK 総合 月〜土 朝8時〜、BSプレミアム 月〜土 あさ7時30分〜)
第26週「幸せになりたい!」第151回 9月24日(月)放送より
脚本:北川悦吏子 演出:田中健二
「半分、青い。」151話。最終週の月曜日、震災とおもらしではじまった
半分、青い。 メモリアルブック (ステラMOOK)

半分、青い。 メモリアルブック

151話はこんな話


「そよ風ファン」のお披露目会の日に東日本大震災が起こった。
鈴愛(永野芽郁)は宮城在住のユーコ(清野菜名)の安否が心配でたまらない。


ユーコ


2011年3月11日のできごとは150話の描写で済ませ、151話はそれから3日後(14日)が描かれた。
参考までに、FRINGEという演劇情報サイトに当時の状況のまとめ(主に劇場の対応の記録)があってそこには3月14日はこんなことがあったとある。

“5:15 政府が不要不急の外出と節電を控える会見。JR・私鉄が終日運休・部分運行・本数大幅減。計画停電は午前中見送り。
11:01 福島第一原発3号機が爆発。
17:00 計画停電実施。
気象庁、震度5強以上の余震が3日以内に起きる確率40%。”

ドラマの舞台・シェアオフィスは廃校をリノベーションした建物だがそのままみんな出勤して心配そうにカフェでテレビを見ているから耐震面は安全らしい。むしろ、当時、こういう場所が一時避難所代わりになったのではなかろうか。もっともそんな描写をするほどこのドラマの紙幅はない。なにしろ最終週だ。

ちなみに、モデルになっているらしき世田谷ものづくり学校は、震災当時は大丈夫と思われていたようだが、2018年6月の段階で、世田谷区のなかで改めて耐震診断が行われる施設のひとつになっている。


当時のあの揺れだと、集まった投資家たちは帰宅難民になった人もいただろう。鈴愛や律は家に近くてすんなり帰れたのだろうか。津曲の息子・修次郎はどうしているだろうか。正人は・・・秋風は、菱本は・・・とあの日あの時、東京にいたいろんな人のことが気にかかる。

中で一番気になるのはユーコだ。
仙台に引っ越したときいやな予感を覚えた視聴者もいたようで、結果、その予感は的中してしまった。
食欲ないほど心配してなんども電話する鈴愛。
「心配してもしかたない、信じよう」と律。
「海が見えるって言ってたんだよ」と鈴愛はユーコの言葉に胸騒ぎを覚える。

ボクテ(志尊淳)から電話があり、ユーコの夫と子どもと両親はみんな無事だが、その日病院に出勤していたユーコと連絡がとれないという。
律は「信じよう」と鈴愛の肩を抱く。

不幸中の幸い、震災で扇風機が動くと考えた投資家が、そよ風ファンに多額の投資をした。

モデルになっているバルミューダのグリーンファンは実際、震災以降の節電の流れで売れたという。ただし、バルミューダはすでに2010年に発表されていた。
そよ風ファンはこれから作るので、工場が震災で動かないなど、まだまだ順風満帆ではない。

震災


鈴愛の家で余震が一回。
この頃、東京でもいやになるほど余震があったので、また余震・・・といううんざりする気持ちとこれからどうなるかわからない不安といろんな感情が度重なる余震のたびにあってまだ慣れてないはず。それをリアルに描いて当時の苦しさを蘇らせるのもよくないが、距離を起きすぎてもわざわざドラマで描く意味がわからなくなる。作者の筆力が問われる部分だ。

北川悦吏子は、岐阜で、亡くなった廉子がユーコを思って「なんとか なんとか」、仙吉が「うんうん」と祈るようなナレーションを入れる。現実的な生々しいエピソードにファンタジーをプラスした。
震災について描くのであれば、明確な作者の問題意識と、それを見る者に伝えるためにどういう手法を採るか、そこが肝になる。参加することに意味があるスポーツの大会とは違い、描くことに尻込みしがちな題材を取り入れることに意味があるという話ではない。

ユーコについてどう描かれるかまだわからないので、ここではまだドラマの総括はできない。
151話に関しては、あれから7年、震災について、あのとき自分はこうだった、と各々思い出すことを促したということに意義があるとしておこう。


カンちゃん


震災における作家独自のエピソードとしては、子どもの心理が描かれた。
カンちゃん(山崎莉里那)が地震の恐怖から学校でおもらしをしてしまった。それを意地悪な男の子にからかわれ、灯ちゃんという女の子に救われる。
突然出てきた同級生・灯ちゃんは昔の鈴愛のように勇敢に(乱暴に)いじめっこを腕力でこらしめ、カンちゃんは自分もあんなふうにかっこよくありたいと思う。

鈴愛には地震も平気な顔をしていたが、じつはかなり怯えていたカンちゃん。
律にはその話をして、律は自分もほっとして粗相してしまうことはある(お風呂などで)と慰める。
北川悦吏子が作為的に尾籠な話を盛り込むのは、これがはじめてではない。

彼女が朝ドラでこれまでなかったことをやったといえば、清潔感にあふれたイメージの朝ドラに尾籠な話を盛り込んだことであろう。彼女の書くキラキラした美しい世界は、その裏側のどろっどろにとぐろをまいて暴れまわる生の欲望と切っても切り離せないので、朝ドラの表裏ない清らかさとはまるで違う。むろんこれまでの朝ドラにも腹黒キャラや、いけないとわかりながら不倫するキャラなども出てきたし、星野源の主題歌の2番「にこやかに 中指を」も言ってみればそういうことだ。でもそれらはマイルドな表現をこころがけているのだが、「半分、青い。」はむき出しだ。女子校トークのように明け透けだ。


震災で誰もが動揺し助け合っているとき、いじわるする少年と彼を腕力で黙らせる少女のエピを入れてくるのも相当やんちゃである。世界にはそういうことはいくらでもあるのだけれど、見る人によってはノイズになるから書かないという選択をしようとしない。そのノイズに引く人と惹かれる人がいる。

鈴愛はなぜカンちゃんがほんとうのことを母である自分に話さなかったか心配顔になって、つづく。
最終回まであと、5回!
(木俣冬)
編集部おすすめ