今回で第160回を迎えた芥川賞は6作が候補に挙がった。作者五十音順で以下の通り。

上田岳弘『ニムロッド』(「群像」12月号)
鴻池瑠衣『ジャップ・ン・ロール・ヒーロー』(「新潮」9月号)
砂川文次『戦場のレビヤタン』(「文學界」12月号)
高山羽根子『居た場所』(「文藝」冬号)
古市憲寿『平成くん、さようなら』(「文學界」9月号)
町屋良平「1R1分34秒」(「新潮」11月号)
それぞれの作品について簡単にレビューするので、よかったらお読みいただだきたい。今回から選考会が1時間早まったらしいので結果はもしかすると午後7時のニュースとかでも流れるかもしれないが、それを待つ間にでも。
なお、最後に簡単な私自身の予想を書いておくので、当たったらお慰み、である。

直木賞予想はこちら

上田岳弘『ニムロッド』


第160回芥川賞に古市憲寿「平成くん、さようなら」勝機ありの理由。書評家・杉江松恋がズバリ予想

題名のニムロッドとは旧約聖書の「創世記」第10章に記載のあるノアの孫のことである。彼はいくつもの都市を築いたが、その中にバベルがある。バベルの市民は天まで届く塔を築こうとするが、主はその行為を危ぶみ、人々が同じ言語を話すのが危険なのだと考えて、言語を混乱させ、互いの話すことが聞き取れないようにしてしまう。ニムロッド=バベルの首長と考えると、神に挑戦して敗れ去った人物と読み取ることもできるだろう。
本篇のニムロッドはサーバーの保守サービス会社で働く人物で、主人公・中本の友人である。ニムロッドは中本に「駄目な飛行機コレクション」というNAVERまとめからネタを拾った連続物のメールを送ってくる。彼は晩年のサリンジャーのように公表を目的としない小説を書き続けており、ニムロッドはその作中人物の名でもある。作中作内では製造に失敗した飛行機が試行錯誤しながら進んできた文明の象徴であることが示される。
主人公である中本は社長からビットコインを「掘る」新事業を任される。ビットコインの創始者であるサトシ・ナカモトとたまたま同じ名前なのだ。
仮想通貨であるビットコインはユーザーによって「掘り」起こされ試算価値が確定する。この事業に関わる人々は計算処理を分担する形で個ではなくて全体としてつながっているのだ。一つの言語を話す人々によってバベルの塔が築かれていったように、仮想通貨を巡る処理のつながりが全体というネットワークを生み出している。そうしたビットコインのありようと対比されるのがニムロッドが書き続ける「ただごろりとある」だけの文章で、決して全体の進展には寄与しない、究極の行き止まりである。
世界における個と全体の関係が上田作品の重要な主題であり、本篇でもその対照が際立っている。選考会で予想される危惧は「ここには構造しかない」という声が挙がることだ。明確な方向性は示されないので、「拡げた風呂敷をなぜ畳まない」という文句は出そうだ。

鴻池瑠衣『ジャップ・ン・ロール・ヒーロー』


まず目を惹くのは本篇が「DANTURA DEO(ダンチュラ・デオ)」というロックバンドのウィキペディア記事という形をとっていることである。「来歴」「キャラクター設定」「音楽性」「事件」「著作権」「逸話」「ディスコグラフィー」「備考」という項目が建てられ、それが章分けとして機能している。ただしネット辞書の記述として読んでいるとすぐに違和を覚えるだろう。文章中に主語の「僕」が出現するからだ。
「僕」とはダンチュラ・デュオでボーカルを務める人物のアーティスト名であり、「来歴」の章では彼が同バンドに参加することになる経緯がまず綴られる。ダンチュラ・デュオは2011年に慶應義塾大学生だった喜三郎がYouTubeにPVを投稿したことから始まるのだが、その曲は自分のオリジナルではなく、失踪した父が出したアルバムからの剽窃だと彼は主張する。
ダンチュラ・デュオとは喜三郎の父が1980年代に結成したバンドの名なのだが、今は完全に忘れ去られ、存在すらしなかったことになっている。剽窃を続ければ、オリジナルのダンチュラ・デュオを知る者からいつか反応があるはずだ、というのが喜三郎の動機なのである。オリジナルのダンチュラ・デュオを知っている、と喜三郎に嘘を吐いたことが「僕」をバンドに引き寄せていく。
ネットに転がっている情報は真偽の判断がつかないものばかりである。また、証拠に裏付けされた「真理」よりも感情に訴える「物語」のほうが多くの支持を集める傾向がある。そうした時代の姿を、フェイクとして作り出されたはずのロック・スター伝説が生命を獲得したかのように転がり続けるという奇譚として描いた作品だ。詳細は省くが、冷戦時代に端を発する偽史小説にもなっており、背景にある陰謀の形が見えてからの緊迫感が半端ではない。個人がいかに代替可能で卑小な存在かという小説でもあるからだ。おそらく版元は、第二の阿部和重としてこの作者を売り出す気満々のはず。候補作中では抜群にこれがおもしろかったが、偽史小説としての遊びがどう評価されるかが選考の決め手になりそうだ。

砂川文次『戦場のレビヤタン』


一口で言えば、現実感のある手触りの器に、現代風の気分を盛った小説だ。語りの形式も二面的で「風が吹いている。おれは、その風を肌でしっかりと感じながら、レンジローバーの後部座席で揺られている」という一人称「おれ」と、「Kたちが向かっているのは、アルビルとキルクークの、ちょうど中ほどにある石油プラントである」という三人称の文章とが混在する。
主人公は退官後に民間警備会社に就職した男性、要するに傭兵である。元自幹部自衛官という肩書きがものを言ったのか、未経験者であるにも関わらず早い段階で中東へ送られた。国籍の違う四人でチームを組み、警備にあたるのである。
「おれ」と「K」が混在するのは、後者によって感情を排した、いわゆるハードボイルド叙述を行うためのように見える。「おれ」は「とにかくここを抜け出してどこか遠くに行きたかった」という、冒険小説としてはごく普通の心性の持ち主である。個性といえるのは、現在の日本に対して違和のようなものを感じていることで、その気分が彼を非日常が日常となる戦場へと駆り立てていく。その気分について語った部分に時代の精神と通底するものがあるのだ。芥川賞として評価すべき点はそこと、中東という熱い地域をサンプルにして、戦争という状態が生み出される仕組みについて主人公が思考を重ねていくことだろう。
題名にあるリビヤタンとは旧約聖書に登場する巨大な怪物だ。「ヨブ記」に「お前はリビヤタンを鉤にかけて引き上げその舌を縄で捕えて屈服させることができるか」「彼がお前と契約を結び永久にお前の僕となったりするだろうか」とあるように、人の営為を超越した巨大な存在がリビヤタンであり、戦争のシステムがそれになぞらえられている。わかりやすく還元できる原因などは存在しないのである。今回の候補作は時代性を小説の形で切り取ったものが多かったが、その中でも特にわかりやすい構造の作品。
戦争小説として評価するが、その系譜に新しいものを付け加えたといえるかは疑問と言わざるをえない。

高山羽根子『居た場所』


第160回芥川賞に古市憲寿「平成くん、さようなら」勝機ありの理由。書評家・杉江松恋がズバリ予想

2018年の「どうして芥川賞候補にもしなかったのか」大賞作品(今私が作った)『オブジェクタム』作者による境界小説だ。語り手の〈私〉は造り酒屋を経営している青年で、異国から来た女性と結婚したために、彼女が「居た場所」を訪ねることになる。故郷ではなくて「居た場所」なのは、妻となった小翠が生まれた島からやって来て一時期住んだことがあるにすぎない場所だからで、インターネットにその街の地図がなぜか表示されなかったことから、実際に現地を訪れることになったのである。小翠は街を歩き、尖らせた鉛筆で紙に自己流の地図を手描きする。出来上がったのは「彼女の経験や見たものの印象によって路の長さが伸び縮みしたり、物の大小が彼女の価値観の上での重要度であべこべになるような」ものだが〈私〉には「細かい航空写真やストリートビューよりもずっとリアルな経験の地図に思え」る。
『居た場所』の中では小翠という名を除いてほとんどの固有名詞が排除されている。小翠が元住んでいた島で重要な遺跡が見つかり、発掘現場になったために学校に通えない時期があったことなど、記憶として語られる事物のディテールはしっかりしているのに、名称だけが欠けている。インターネットで見ることによって地図が固定されるのと同じことで、与えられた名前は事物の印象を決めてしまう。そうした決めつけや先入観を注意深く避け、かつ日本から来た人間である〈私〉の初心な視点を借りることにより、異文化との接触が新鮮さを保った形で描かれるのである。小翠以外では唯一の固有名詞といっていい小動物タッタは、イタチめいた外見をしているということ以外は謎めいており、物語の影のように各所に登場しては、物語に掴むべき外枠はないことを読者に思い知らせるのだ。
自文化中心主義が急速にはびこっているように見える現代日本に対するアンチテーゼとして受け止めていいのかもしれないと思いながら私は読んだ。他の候補作ほど直接的ではないが、これもまた時代を鋭く反映した作品である。


古市憲寿『平成くん、さようなら』


第160回芥川賞に古市憲寿「平成くん、さようなら」勝機ありの理由。書評家・杉江松恋がズバリ予想

作者は、社会学者の肩書を持つテレビタレントとしても最近は知名度が高い。対談の中で終末治療に関する発言が注目されて物議を醸したことが記憶に新しいが、これも生と死の問題を扱った作品である。
語り手の〈私〉は物故した著名漫画家の娘で、その著作権管理をすることを生業にしている。その彼女と同居しているのが研究者という範疇を超えた活動でマスメディアの寵児となっている男性だ。彼の名はヒトナリと読む「平成」である。改元の年に生まれたことから命名されたのだが、文字通り時代の象徴のようなパブリックイメージが出来上がっている。呼び方はもちろんヘイセイくん。その彼が、間もなく平成が終わるというタイミングで安楽死を望んでいると〈私〉に打ち明けることから話は始まる。
小説の舞台は現代の日本だが、一点現実と違う点がある。法制が整備されたために安楽死が容易になり、クォリティ・オブ・ライフに問題があると認められた場合は死を選択可能なのである。平成くんが死を選んだのも、彼の名を冠した年号が終了することにより、自分自身の社会における存在意義もなくなると考えるからだ。この議論が〈私〉と平成くんの間で交わされるのは、社会と個の関係についての問題提起を意図したものだろう。
候補作中、もっとも戦略的だと感じた作品である。
上記の問題提起を含むことで議論を呼ぶという意図がまずあるはずだし、改元という時代の節目に発表することで、読者は30年余に及ぶ平成の時代に思いを馳せなければならなくなる。もっとも巧妙なのは作者自身としか思えない人物を登場させていることで、モデルと自分がどう重なるのかという質問がこの作品に関しては避けられなくなる。つまり話題を掻き立てる要素がいくらでもあるのだ。冷ややかな小説に見せておいて、感傷的な落としどころも作っている。つまり間口が広い小説でもあり、受賞したら売れるだろうな、とも思う。

町屋良平「1R1分34秒」


実在の「踊ってみた」動画をモチーフにした作品『しき』が前回の候補作になり、後から投稿者が作品の存在に気づいてびっくりする、というおまけまでついた。その町屋が今度はボクシングを題材にした作品で勝負である。
主人公の〈ぼく〉は四回戦ボクサーで、デビュー戦を初回KOで飾ったものの、以降は二敗一分けと勝ち星がなく、ジムでもアルバイト先でも立場がなくなりつつある。その〈ぼく〉がまた試合に負けるところから話は始まるのだ。私のような門外漢でも試合前のイメージトレーニングは重要だと思うのだが、〈ぼく〉は対戦相手のことを考え出すと、なぜか親友になってしまう夢ばかり見るようになるという。たとえば二人で公園の茂みに隠れて見知らぬカップルの交わりを眺める場面とか。試合になるとその夢想は打ち砕かれる。ただ負けるだけではなく、夢の親友に打ち負かされることになるのだ。
『しき』でも思ったのだが、この作者は身体を描くのが本当に巧い。ボクシングなんて身体を描かなければいけない題材の最たるもので、意識と身体が連動しているか、あるいはしていないかを描くことで終始すると言ってもいい。それが実に巧く書かれているのである。あることがきっかけになって主人公は底の状態を脱するが、その転換の描き方が映画「ベスト・キッド」的に理に叶っていて、思わず納得させられるのである。また、ボクサーという究極の個人主義者の内面に分け入って、試合に向けて集中していく際のエゴイズム、すべてを自分の打撃のために従属させようとする態度などを、心の淵の中に落ち込まない程度の引き気味の距離で書いている。主人公とトレーナーであるウメキチの関係なども、からりと渇いていて、いい。この軽さがもしかすると読者を選ぶのかもしれないが、ぎゃんぎゃん泣かせる小説ばかりじゃなくてもいいじゃないか、と思うのだ。

今回はベストセラーを出したいのではないか、という気がする


まず、個人的な好みを書いておくと『ジャップ・ン・ロール・ヒーロー』「1R1分34秒」『居た場所』『平成くん、さようなら』『ニムロッド』『戦場のレビヤタン』の順である。過剰な笑いのある鴻池作品が断トツなのだが、ウィキペディアを模倣した構造で現代のカリカチュアをやるという趣向がどこまで選考委員に通用するか未知数、こういう凝ったものが最近は受賞しない傾向にあると思う。町屋作品もたいへんチャーミングで大好き。『はじめの一歩』がたいへんな展開になっていることに胸を痛めているボクシングファンはとりあえずこれ読め、と言ってやりたい。ただ、好みを別にすればちょっと長いような気もする。この内容だともっと切り詰められるんじゃないか、ボクサーの話なんだから肉を落とせよ、とか言い出す選考委員がいそう。饒舌さは前作でも発揮された町屋の美点なのだが、それを冗長と感じる人もいるようなのだ。
残る四作のうち、戦争小説として基本に忠実な砂川作品と、異文化コミュニケーションの話ながらわかりやすい特徴はない『居た場所』が落ちると思う。だから『オブジェクタム』を候補にしとけばよかったのに。残る二つは候補回数が三で最も多い上田作品と、初登場の古市作品だ。これは両方とも、違ったやりかたで個と社会の関係を描いている作品なので、より身近に感じられるアプローチをとった『平成くん、さようなら』が決戦になったら勝ちそうな気がする。思ったよりも浪花節な感じがあるので、ご年配の方でも安心して読めるし。そんなわけで本命『平成くん、さようなら』、対抗『ニムロッド』。穴を『ジャップ・ン・ロール・ヒーロー』。
(杉江松恋)
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