Amazon Prime Videoで毎話24:00頃から配信予定。
身体の各部が欠損していた百鬼丸。手塚治虫の原作では、超能力級の感覚と訓練で、五感を補い、腹話術で会話していた。ところがアニメ版1話では、本当に見えず聞こえずのまま、感覚のない魂だけの人間として、彼の行動が描かれていた。
2話では、さらに繊細に掘り下げられている。身体、特に視覚がないことに、真剣に向き合っている回だ。

魚は見えるが焼き魚は見えない
百鬼丸が食料として、川の中で魚をとるシーンがある。的確に、ひと突き。
そのまま食べようとする百鬼丸。生はまずいだろうということで、食べやすいようにどろろがそれを焼いて、百鬼丸に渡す。
生きた魚はすぐ口に運ぶことが出来た。なのに焼いた魚を渡されると、百鬼丸はびっくりしてしまう。焼き魚が見えていないのかうまく持つことができず、刺した棒ではなく魚本体を掴んでしまう。
明らかに生で食べようとした時と、動きが変わった。
アニメ版百鬼丸は、存在する魂の部分しか感知できないらしい。原作のように周囲の様子や、人間たちの声をテレパシー的に感じることができない。
捕まえたばかりの状態の生きている魚は、まだ魂があるから百鬼丸には見えている。作中では木の実も食べている。命があるから、見えるのだろう。
しかし焼いてしまうと魚は完全に死ぬ。こうなるとただの物なので、百鬼丸には見えなくなる。
手塚治虫の原作では、目が見えない状態でも百鬼丸自身が魚を焼いて、どろろに食べさせている。アニメとはシチュエーションは真逆だ。またこの魚のやりとりは、アニメ内では特別な説明をされていない、さらっと見せるシーンだ。
アニメスタッフは、百鬼丸の細かい動きで、彼が見ている世界を伝えようとしている。
今後あらゆる感覚がが戻ってきたら、反応は全く変わるはずだ。
目明き
声帯が戻っていないため、2話目まできても百鬼丸はまだ何もしゃべれない。どろろの存在は感知できても、何をしているかは見えないし、声も聞こえていない。コミュニケーションはほぼとれていない。
そこで登場したのが、目の見えない琵琶丸だ。
原作では、どろろと出会う前の百鬼丸が絶望しかけていた時に、五体満足ではない人間の生き方を学んだ、師匠的な存在として登場。
アニメの琵琶丸は、赤子の百鬼丸が捨てられたところを目撃し、成長した今回、久しぶりに再会している。
話せない百鬼丸に代わって、どろろとコミュニケーションを取り、鬼神について直接村人と話す役割を担うという、大活躍をしている。
(となると百鬼丸の過去描写はどうなるんだろう?)
琵琶丸のセリフは、言葉遣いが非常によく練られている。
原作の中だと琵琶丸は「盲人」という言葉をよく使っている。
これに対してアニメ版では、自らや百鬼丸に「盲」の語を今の所使っていない。
逆に目が見えている人に対して「目明き」という単語を使っている。
一般的にはあまり使われない言葉だ。
琵琶丸「あたしらには、目明きには見えないものが見えたりするんでねえ。そっちの方がよっぽど確かだったりすることもあるのさ」
実際、どろろが見抜けなかった人間と鬼神の違いを、百鬼丸と琵琶丸は魂の色で見抜いている。
事実、百鬼丸と琵琶丸は、現在登場するキャラクターの中で、誰よりも強くたくましい。
百鬼丸の目的は鬼神を倒すこと。であればここから先、目が戻ってきた場合に、周囲全体は見えることになったとしても、鬼神かどうかを見分けることができなくなってしまう可能性が出てくる。
戦闘では痛みを感じないため、多少攻撃を食らっても突き進む強引なスタイルで勝利をおさめている。ところが後半、神経を取り戻してからは、痛みで悶絶してしまう。
これはある意味弱体化なのでは……?
日本のアニメだと戦闘時のお約束として、相手が口上を述べる際、大抵の場合はそれを一通り聞いてから斬りかかるもの。鎌倉武士の「やあやあ我こそは」のような感じ。
しかし百鬼丸は耳も聞こえない。見えているのは目の前の邪悪な魂の存在だけ。
なので口上中に斬り殺す、というアニメの掟破りをやってのけているのは注目したいポイント。鬼神側は、百鬼丸が聞こえていないのをわかっていないのだ。
どろろの立ち位置
原作のどろろは、百鬼丸を追いかける理由として、彼の持つ名刀を盗んで手に入れようとしている設定だった。
今回は、そういう言い訳がない。
どちらかというと、鬼神から命を助けてもらったあと、何も感覚のない百鬼丸の世話を焼き、時折介護のように心配している様子すら見られる。
このあたり、今後の2人の関係描写に大きな変化を与えそうだ。
どろろを百鬼丸が突き放そうとし続けていた原作。
アニメでのどろろの行動原理と大義名分がどこに向かうのか、現時点では見当がつかない。
(たまごまご)