
隻眼のジャーナリスト、女性兵士を追って最前線へ!
隻眼の女性ジャーナリストであるマチルドは、イラクのクルド人自治区北部に位置する街、ゴルディンの近郊に降り立つ。マチルドの目的は、イスラム国(IS)に占領された街を奪還するために戦うクルド人部隊の取材だった。マチルドはゴルディンへと進攻準備を進めているクルド人部隊の中に、"太陽の女たち"という名前の女性兵士部隊が加わっていることを知る。
"太陽の女たち"の隊長は、バハールと名乗る女性兵士である。当初はマチルドと打ち解けようとしなかったバハールだが、マチルドもまた戦場での取材で夫を失った上に小さな娘と離れてイラクに赴いていることを知り、2人は次第に言葉を交わすようになる。
バハールは戦前、夫と息子と共に暮らす弁護士だった。しかし、ある日クルド人自治区に侵入してきたISの襲撃を受け、ゴルディンの街は陥落。夫を殺され、息子はISの戦闘員として育てられるために拉致される。バハールは性的奴隷として身柄を拘束され、売買を繰り返される日々を送ることに。しかし隙をついてISの支配下を脱出することに成功。同じように奴隷として過ごした女性たちの「被害者でいるより戦いたい」という声に動かされ、自ら銃をとって戦うことを選んだのだ。
街を解放してISに人質に取られた息子を救うため、ゴルディンの奪還を強硬に主張するバハール。
なんとも壮絶な映画である。イラクのクルド人自治区という、日本人からすれば馴染みの薄い場所を舞台にしているものの、そこを襲撃に来るISの戦闘員たちの姿は恐怖そのもの。親族が集まっての宴会の場に、ライフルを持った黒づくめの男たちが突っ込んできて、男たちを問答無用で射殺していく。泣き叫ぶ母親たちから子供を奪い、女たちを怒鳴りつけて脅す。
このISの戦闘員たちが、とにかくえげつない。女たちに面白半分で水をぶっかけ、奴隷として人身売買を繰り返す。自殺を選ぶ女もいれば、妊娠してしまい思うように動けない女もいる。そんな地獄の中を、バハールがいかにして生き延びてきたかを『バハールの涙』は落ち着いたトーンで描く。
「何かを失った人間たち」の連帯が胸を打つ
しかし、『バハールの涙』が描くのは、非道な暴力に虐げられた女性たちの怒りだけではない。彼女たちは自分の住んでいた街を取り返すべく、銃を取って立ち上がる。戦闘服の上に装備を身につけ、髪には花柄のスカーフを巻いてAKを持つ。颯爽とした出で立ちで男たちに混じって銃を整備して歩哨に立ち、歌を歌いながら最前線に突っ込んでいく。「女に殺されると天国に行けない」と信じているISの戦闘員は、彼女たち女性兵士の存在に強い恐怖と憎しみを抱く。
『バハールの涙』でひときわ印象に残るのが、この女性兵士たちの強い連帯だ。劇中にはシリアから流れてきたり宗教が異なっていたりと、立場や境遇が異なるであろう女性兵士の存在がさらっと示される。しかし皆同じように故郷を失い、今は共に最前線で戦っている。戦闘中は互いの死角をカバーし合い、仲間が戦死すれば同じように悲しみ、勝利すれば同じように喜ぶ。
その中に飛び込むのが隻眼の女性ジャーナリストである、という構成も巧みだ。アイパッチをつけているマチルドは一眼で「目を失った人間である」ということが伝わる見た目だ。マチルドはクルド人たちからすれば異邦の存在だが、しかし女性兵士たちからすれば「戦闘で体の一部と家族を失った」という点は共通している。だからこそ彼女はバハールとその部隊に受け入れられ、前線での取材を許される。そこに異邦人や異教徒といった要素は関係ない。
『バハールの涙』は、不条理な暴力に対する怒りと、何かを失った人間たちの連帯の美しさを描いた作品である。暴力が非情であればあるほど、そこから立ち上がろうとする人々が支え合う様子は胸を打つ。凄まじく過酷な映画だが、この暴力と連帯のコントラストから目を離すことができなかった。
(しげる)
【作品データ】
「バハールの涙」公式サイト
監督 エヴァ・ユッソン
出演 ゴルシフテ・ファラハニ エマニュエル・ベルコ ズュベイデ・ブルト マイア・シャモエヴィ ほか
1月19日より全国ロードショー
STORY
イスラム国の兵士たちによって家族を引き裂かれた弁護士バハール。自らも奴隷として売り飛ばされた彼女は、ISの元を逃げ出し、女だけの部隊である"太陽の女たち"を率いて戦っていた。白人の女性ジャーナリストであるマチルドはバハールへの密着取材を敢行。