はてなダイアリーは2003年3月に正式版が公開されて以来、日本にブログが普及していく過程で大きな役割を果たした。この春には、はてなダイアリーだけでなく、「Yahoo!ジオシティーズ」が3月末をもってサービスを終了する(すでに本家アメリカほか各国のジオシティーズは10年前にサービスを終了し、日本だけが残っていた)。ジオシティーズで初めてホームページづくりを経験し、はてなダイアリーでブログを始めた私としては、一つの時代の終わりを感じずにはいられない。
はてなダイアリーは多くの書き手を生んだ
初期のはてなダイアリーには自分と同じライターのユーザーも多く、そこでのやりとりが仕事に発展するということもあった。はてなダイアリーをいかに多くの物書きが使っていたかは、ライター・翻訳家のyomoyomoさんがブログに公開した「はてなダイアラー単著紳士録」というリストをご覧になればわかっていただけよう。同ブログの別のエントリーには、はてな出身の文筆家30人がリストアップされている。私はともかく、まさに綺羅星のごとしである(ここにあがったうち、雨宮まみさんとHagexさんがリスト公開後に亡くなられたことが惜しまれる)。
物書きのユーザーが多いことは、はてなダイアリーの一つの特色にもなっていた。先述のとおり、書き手同士がダイアリーを通してやりとりすることもよくあった。初期のはてなダイアリーに対し、ほかのユーザーたちと同じ場を共有しているという意識を抱いていたのは私だけではないはずだ(それゆえ、ときにはその閉鎖性を揶揄して「はてな村」などと言われることもあったが……)。
場としての共有意識が失われたインターネット
思えば、こうした共有意識は、かつてはツイッターにも感じられたが、いまやめっきり希薄になってしまったような気がする。それはツイッターが一つの場ととらえるには、あまりに大きくなりすぎたからだろう。
こうした状況は、ツイッターにかぎらず、ほかのSNSやブログでも似たようなものではないか。むしろウェブ上のサービスが場所として独自色を出すことは、ユーザーに忌避されるふしさえある。16年前、《はてなダイアリーは個人の部屋の集合と、広場のオープンカフェのような場所だと思います》(「はてなダイアリー日記」2003年3月13日)との宣言から始まったはてなダイアリーが終了するのは、やはり時代の流れなのかもしれない(もっとも、ピースオブケイクが提供する「note」など、一種の場として独自色を発揮するウェブサービスはいまでもあるにはあるが)。
それでも投稿データは生きる
……と、ここまで書いておきながらナンだが、私はもうかなり長いあいだ、はてなダイアリーを自分の書いた原稿の記録をつけておくことぐらいにしか使っていなかった。しかし、データをストックできるというのも、ブログの利点の一つである。
じつはつい最近、私が10年ほど前まで書評を掲載していた某ウェブ媒体が、リニューアルにともない過去のコンテンツの大半を消去するということがあった。また、ジオシティーズの終了により消滅するホームページもきっと少なくないだろう。こうした状況を見るにつけ、つくづくインターネットの諸行無常を感じる。そのなかにあって、はてなダイアリーが、すべての投稿データを自動的にはてなブログに移行することは英断といえる。
最後に、私に多くの人と出会う機会を与えてくれたはてなダイアリーに感謝を伝えて、お別れしたい。ありがとう、そしてさようなら、はてなダイアリー。
(近藤正高)