ミュージシャン(本人は「バンドマン」という肩書きを愛した)の忌野清志郎が亡くなってから、きょう5月2日でちょうど10年が経つ。最近、その著書『ロックで独立する方法』が新潮文庫から刊行された(新潮文庫からは本書と同時に『忌野旅日記』の新装版も発売されている)。
これはもともと、2000年から翌年にかけて雑誌「Quick Japan」で連載され、清志郎の亡くなった直後に単行本(太田出版刊)にまとめられたものだ。今回の文庫化に際しては、取材・構成を担当したコラムニストの山崎浩一の手で、単行本では問答形式だった第1章が、ほかの章とあわせてモノローグ形式に改められるなど、加筆修正が施されている。
忌野清志郎『ロックで独立する方法』自分の両腕だけで食べていこうって人が、そう簡単に反省しちゃいけない
没後10年の命日を前に文庫化された忌野清志郎『ロックで独立する方法』(新潮文庫)。カバーや本文中の写真は佐内正史が撮影

「わかってくれない世間が悪い」のか?


本書はそのタイトルどおり、ロックでいかに独立するかを、清志郎が自らの体験を踏まえながら語ったものである。山崎浩一は巻末の「ライナーノーツ」で、《彼は「やっちまえ」とだれかを煽ったり説教したりする歌など歌ったことはなかったし、自分が責任主体であることから逃げられない場に身をさらして歌ってきたはずだ。だからこそ彼の歌はいつも具体的だった》と書いているが、本書でもまた、清志郎はけっして煽ったり説教したりすることなく、その話はどこまでも具体的だ。

たとえば、売れないミュージシャン(にかぎらず、物書きにも、アーティスト、クリエイター全般にも当てはまることだが)はえてして自分の不遇を世間のせいにしがちだし、そういう者に対しては必ず「世間のせいにしてはいけない」と誰かが忠告してくれることになっている。しかし、これについて清志郎は、ずばり「わかってくれない世間が悪い」と題した第1章で疑問を投げかける。

《それで簡単にこちらが納得しちゃったら、これはもう、わかってくれない世間に合わせる方向に行くしかないじゃないか。それだともう、すごくつまんないことになると思うんだ。実際、世間も悪いし、レコード会社も悪いんだっていう責任転嫁もできるし、事務所が弱いんだっていう場合もあるかもしれない。いや、お客が馬鹿なんだ、とかね。でも、そっちのほうがオレはなんか、ホントのような、真実味があるような気がするんだよ。/そう簡単に反省しちゃいけないと思う、自分の両腕だけで食べていこうって人が》

自分のやりたいことを貫いてきた彼ならではの言葉だ。
これを読んで勇気づけられる人も多いことだろう(私もその一人だ)。それと同時に、清志郎はかつての自分と似た境遇にある人たちに向けて、覚悟を問うているようでもある。

独立は「自由」か「面倒」か?


高校時代の1968年にバンド・RCサクセションを結成し、1970年にレコードデビューした清志郎は、第7章「「バンド」からの独立」で以下のようにあげているとおり、いろいろな段階での「独立」を経験してきた。

【1】まずRCとしてバンド活動を始めることによる親や学校、周囲からの独立。
【2】次にRCごとプロダクションを設立した第一期独立。
【3】そして忌野自身の個人事務所を設立した第二期独立。
【4】さらにそれと前後してRCそのものからの独立。

この間、レコード会社や事務所の社長、あるいはバンドのメンバーと対立することもたびたびあった。プロダクションから独立して個人事務所を設立したときには、面倒くさい問題も抱えねばならなくなった。これについて彼は第6章「独立は「自由」か「面倒」か?」で次のように語っている。

《独立する前の「自分には見えなかった問題」とか「自分には関係なかった問題」ってのは、ようするに「自分ではどうにもならない問題」だった。それが「自分でどうにかしなきゃならない問題」になってくるわけだ。それはつまり「自分でどうにかできる問題」ということだ。
それを「自由」と呼ぶか「面倒くさい」と呼ぶかは、本人の独立への覚悟や意識が決める》


ここでもまた問われているのは覚悟である。こうして見ると、清志郎は好きな音楽を続けていくためにずっと腹をくくってきた人なのだとあらためて思う。

「オレは歌でニュースをつくった」


1999年に、アルバム『冬の十字架』でロック版「君が代」を演奏したときには、レコード会社と衝突し、結局インディーズレーベルからリリースした。このとき、多くのメディアからインタビューを受けたが、訊かれるのは「君が代」のことばかり。同じアルバムにはアメリカ国歌も収録されていたにもかかわらず、これについて触れたのは、アメリカのニュース誌「TIME」の記者以外は誰もいなかったという。これについて彼は、《日本ではとにかく音楽以前に『君が代』問題があるわけだ。「日本国歌をロックにした」っていう事実だけが問題であって、音楽になんかきっと興味がないんじゃないか?》と疑問を投げかける。

一方で、清志郎は本書において、売上至上主義の音楽業界に対する不満もしばしば漏らしている。メディアでもニュースになるのは、CDの売上枚数だったりコンサートの観客動員数だったりと、「統計」ばかりだ。これに対し彼は、先の「君が代」をはじめ、《少なくともオレは歌でニュースをつくった》と自負してみせた(第6章)。

音楽が「統計」だけで語られることに異を唱え、単に「ニュース」として扱われることにも疑問を呈す。やはり清志郎はどこまでも純粋に音楽が好きだったのだ。
本書は、そんな大好きな音楽で仕事を続けるために、彼が何をしてきたかを洗いざらい語ったもの、ともいえる。しかも、そこで語られていることの大半は、ロックにかぎらず、あらゆるフリーランスの仕事に通じる。これに励まされるとともに、あらためて己を省みる人はきっと多いはずだ。
(近藤正高)
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