今吸っているこの空気が嫌で仕方がない。太宰治賞『色彩』の光「杉江松恋の新鋭作家さんいらっしゃい!」
「杉江松恋の新鋭作家さんいらっしゃい!」第8回。デビュー作、あるいは既刊があっても1冊か2冊まで。そういう新鋭作家をこれからしばらく応援していきたい

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小説は世の中に自分が一人ではないということを教えてくれる。
もし効能というものがあるとすれば、そういうことかもしれない。
生きづらさを抱えている人に、自分だけがしんどいわけではない、と気づかせる。あるいは、他にはこんな思いを抱えて生きている人がいる、と教える。そんな役割がたしかにある。
阿佐元明『色彩』(筑摩書房)を読んで、そんなことを思ったのだった。
今吸っているこの空気が嫌で仕方がない。太宰治賞『色彩』の光「杉江松恋の新鋭作家さんいらっしゃい!」

理由はわからないけど毎日いらいらする


『色彩』は第35回太宰治賞を獲得した、阿佐のデビュー作だ。同賞の創設は1965年で、第1回は該当作なしだったが、第2回で私の敬愛する吉村昭が『星への旅』で受賞している。以降、宮尾登美子や宮本輝、津村記久子などを輩出してきた。近年最大の話題作は、第26回(2010年)の今村夏子『こちらあみ子』だろう。
冒頭、語り手が何やらもやもやした心地良い空気の中にいる場面が描かれる。幼児のころに嗅いだ「自動車の排気ガス」の臭いを思い出し、なんだか酩酊している。視界すら朦朧としてくるのだが、なんとか踏みとどまって前を見直すと、そこには手ぬぐいで覆われた頭がある。語り手の幼なじみで同僚の高俊が寄ってきたのだ。それでようやく読者は、語り手がペンキ屋で、一人で作業をしながら有機溶剤のおかげでキマってしまっていたところなのだ、と気づくことになる。
今吸っているこの空気が嫌で仕方がない。太宰治賞『色彩』の光「杉江松恋の新鋭作家さんいらっしゃい!」

語り手の名前は千秋だ。物語が進むうちに、彼が元プロボクサーで、目を怪我したために廃業してペンキ屋として働くことになった、という過去がわかってくる。すでに結婚していて、亜佐美という女性と結婚している、ということもわかってくる。亜佐美は妊娠中で、そのせいなのか以前はあまり食べなかったトマトソースの料理ばかり最近は作るようになっている。千秋はそれに内心うんざりしているのだけど、口には出せずにいる。

けれどもそういう情報はもう少し先に出てくることだ。もっと先に語られるのは、冒頭の場面の翌日から一緒にペンキ屋で働くことになる、新人の話題である。名前を加賀君という青年は、芸術の専門学校を卒業してペンキ屋に就職してきた。親方と高俊と3人で乗っていたバンに彼の居場所を作るため、千秋は荷物を整理する。4人目の仲間がくる、と張り切った高俊が買ってやったものらしい新しいマグカップと車の座席用ドリンクホルダーが、加賀君の机の上に置かれていた。この加賀君に着目する形で話の前半は進んでいく。
千秋はボクシングを、加賀君は油絵を、それぞれの事情から捨ててペンキ屋になった。『色彩』は、夢を諦めざるをえなかった2人の物語だ。千秋は加賀君が疎ましくて仕方ない。やることなすことが気に入らない。生理的に合わないというやつだ。高俊が新人を可愛がって毎晩飲みに連れ歩いているのが、亜佐美が後輩を家に呼んでご馳走してやるように勧めてくるのが我慢ならない。その感情がどこから来るのか、千秋は本当のことがわかっていない。だが、読者には見えているはずだ。千秋が加賀君の背後に何を見ているのか。

あいつが気に入らない、今吸っているこの空気が嫌で仕方がない、という感情は、実は意外なところから来ているのである。

体や心は自分の思うままにならない


冒頭で有機溶剤のせいでくらくらしている千秋の様子が書かれていたのには、意味がある。目の故障があって、視界に不安があるというのが1つ。また、光で霞んだ視界が照明によって浮き上がったリングに通じてもいるのだろう。前にも書いたとおり千秋はプロボクサーで、それも全日本のランキングでかなりいいところまで行っていた。積極的に運動をしなくなってだいぶ経つが、極限まで統御して身体を動かす感覚を、彼は知っている。千秋にはかつて一度だけ、限界を超えて身体を動かせた経験があった。引退間近の、七つも歳の離れた髭面のブルファイターとの試合でのことだ。

──足が止まらない。その熱に振り回されるように、勝手に身体が動いていた。もう自分の脳で拳を振り上げてもいないし、相手のパンチを躱してもいない。殴っても殴られてもその衝撃は伝わらずただ熱で真っ赤に火照り、感じたことのない力で動き続けた。
その経験があったのに、今は自分で無意識のうちに決めたボクシングのリングよりもたぶん小さい世界の中で生きている。これは千秋に限ったことではなく、何かを諦めたり、妥協したりしたことのある人は誰もが、自分の生きる範囲を決めてその制限の中で日々を送っているのだ。無限の可能性が自分にはあると思い込んでいた過去は、頭の隅に封印して。そんな生き方の象徴として千秋はいる。

プロボクサーを主人公にした小説といえば、第160回芥川賞に輝いた町屋良平『1R 1分32秒』がすぐに思い浮かぶ(実は太宰賞の大先輩である吉村昭にも『孤独な噴水』という作品がある)。阿佐がボクシングの経験者であるかどうかは知らないのだが、千秋という主人公の肉体を通じて彼の心理を描くという試みは成功しているように思う。167ページの雨に濡れて過去を洗い流したい、と千秋が感じる場面などはやや直接的すぎるような気がするのだが、ペンキ屋で働く現実を描いた部分は総じていい。「手にした道具でトタンの頭頂部にできた微かな錆を磨く。光り輝く粉がもやの中を舞い、鉄粉の臭いが鼻につくとやっと自分がその場所に居て、屋根の上だけれども、地に足が着いた気分になれる」なんて1行は私のお気に入りである。そうだ。身体を使いこなすんだ、千秋。
今吸っているこの空気が嫌で仕方がない。太宰治賞『色彩』の光「杉江松恋の新鋭作家さんいらっしゃい!」

今吸っているこの空気が嫌で仕方がない。太宰治賞『色彩』の光「杉江松恋の新鋭作家さんいらっしゃい!」

町場の零細企業の、とても厳しい現実が書かれた小説でもある。思い通りにならない身体を抱えた、思い通りにならない人生を送っているみんな。その日々によぎるものどもを、前向きな姿勢で作者は描いた。題名のとおり、随所で色彩の鮮やかな場面がある。全体としては赤錆色の印象がする小説だが、冒頭はぼんやりと、そして結末はすべてを包みこむように白い光が輝いている。中途にもよい色合いの場面があり、その都度読む手を止めて楽しんだ。
(杉江松恋 タイトルデザイン/まつもとりえこ)

※おまけ動画「ポッケに小さな小説を」素敵な短篇を探す旅