国民の税金で、罪人の最期を安楽に過ごすケアを提供するなんて『シークレット・ペイン』が問う正しさの基準
「杉江松恋の新鋭作家さんいらっしゃい!」第10回。デビュー作、あるいは既刊があっても1冊か2冊まで。そういう新鋭作家をこれからしばらく応援していきたい

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単純な答えの出ない問いについて考えられるのも小説のいいところ、なのである。
前川ほまれ『シークレット・ペイン』は、副題に「夜去医療刑務所・南病舎」とあることからわかるように、特殊な舞台を扱った医療小説であり、お仕事小説でもある。作者の前川は、第7回ポプラ社小説新人賞を受賞した『跡を消す』がデビュー作で、本書が第二作ということになる。『跡を消す』は、わけありの死に方をした人の痕跡を消す、特殊清掃業を扱った作品だった。『シークレット・ペイン』の主人公である〈僕〉こと工藤守の職業は精神科医である。彼は、医療刑務所で矯正医官として働くことになったのだ。
国民の税金で、罪人の最期を安楽に過ごすケアを提供するなんて『シークレット・ペイン』が問う正しさの基準

国民の税金で、罪人の最期を安楽に過ごすケアを提供するなんて『シークレット・ペイン』が問う正しさの基準

なぜ税金で犯罪者の病気を治すのか


工藤の新しい勤務地となった夜去医療刑務所は、全国にいくつかしかないという病院機能に重きを置いた矯正施設である。ただし半年後には取り壊され、収容者は別の医療センターに送られることが決まっている。医局からの指示で赴任してきただけの工藤にとって夜去は単なる職場であり、受刑者たちにはかけらほども共感を覚えることもできない。どうせ腰掛け程度にしかいないから、という事情もあるだろう。

夜去慰労刑務所の収容者は、A級と呼ばれる模範囚を別にすれば、M級・P級に大別される。前者が精神疾患、後者が身体疾患を有する者だ。工藤の持ち場はM級なのだが、そこには神崎という型破りな先任者がいた。受刑者を名前で呼び、一般病院の患者のように扱おうとする神崎の態度に、工藤は反発を隠しきれなかった。相手は犯罪者ではないか。先輩の強制医官に対し工藤は、自分は受刑者を番号で呼ぶことにする、と宣言する。

そんな工藤に対し、やはり先任者で内科医の愛内は、耳を疑うようなことを口にした。死期が迫った受刑者に対して、苦痛を和らげる緩和ケアを提供しているというのだ。工藤はたまらず彼女に反論してしまう。
「[……]それに、医療費は国民の税金ですよね? それを使って罪人の最期を安楽に過ごすケアを提供するなんて……塀外では貧困に喘ぎ、満足な医療に繋がれない人々もいるのに、おかしいと思います」

愛内の受け持つ終末期の受刑者と話した工藤は、さらに怒りを掻き立てられることになる。放火によって人を殺した男が、罪を犯したのは刑務所に入って無料の医療を受けるためだった、と言い放ったのである。そんなことのために、かけがえのない命が奪われることになったのだ。「誰かの人権を踏みにじった者に医療を提供したくない」「法を犯さず塀外で苦しんでいる方々だけに医療を提供したい」と嘆く工藤にとっては、夜去での日々が耐えがたいものになっていく。

工藤だけではなく、受刑者の医療費が税金で賄われること、もっと言えば罪を犯した者が「われわれの金」で生き永らえていることに理不尽さを覚える人は多いはずだ。目を背けたくなるような忌まわしい事件が起きると、犯人に対して厳罰を望む声がネットには多く寄せられる。誰もが、法が正しく執行されることを望んでいるのだ。では、その正しさの基準とは何だろうか。それを問いかけるために工藤という主人公は置かれている。

医療に携わる者の務めとは何か


小説として巧妙なのは、登場人物たちが医療従事者に設定されている点だ。工藤の反感を受け止めつつも、先任者の神崎は「法律でも謳ってるだろ? みんな健康な生活を送れよって」「医師を名乗る限り、単純に健康な人間が増えて欲しいだけさ」と言うのである。どんなに忌避しようとしても、病に苦しむ者が目の前にいれば、手を差しのべるのが務めなのだ。

経験豊かな神崎は、工藤には見えないものが視野に入る。熱心に見ようとする姿勢もある。たとえば第三章「下を向いて」には統合失調症と診断されて夜去にやってきた若い受刑者が登場する。テレパシーによって監視されている、スパイの電流が地面を伝わってくるのだ、と扉を蹴り続ける彼に工藤は、苛立ちのあまり厳しい言葉をかけてしまう。お前の見ているものは幻だ、現実を見ろ、と。だが、そんなときも神崎は工藤と違うものを見ていたのである。本書にはそのように、医学の知識が世界の見方を変える瞬間が随所にある。その発見が工藤に新たな視野を与え、自分が見てきたものは本当にその通りなのかと考え直させることになるのである。医療ミステリーの要素が、小説としての主題と良好に結合している。

工藤が頑なな態度をとる背景には、彼の生い立ちが関係していることが並行して綴られている。受刑者の一人・滝沢真也は、かつての幼なじみでもあった。彼との接し方を通じて、工藤の内面に起きる変化が読者には汲み取れるようになっている。すべてが望むように進むわけではなく、もどかしく、時に爆発したいほどに感情を持て余すことさえある。そうした内面を、可能な限り主人公の行動によって語らせ、うるさく代弁しないように作者は努めている。人物の描き方がやや類型的に見えてしまう箇所がないでもないが、この抑制の効かせ方は評価したいと思う。犯罪という気の滅入るような現実を扱って、世界が理想よりも不完全で、ままならないものだということを描き出すことにも成功している。前作と比べても、その点では作者の成長を感じた。

『シークレット・ペイン』を読んで思ったのは、意欲のある書き手だということだ。二作続けて興味ある題材を探してきた。他人の書かないことに積極的に取り組もうという姿勢は明らかである。きっと次でも、読者の知らない世界、見えなかった視界を提供してくれることだろう。次もまた、読む。

(杉江松恋 タイトルデザイン/まつもとりえこ)
※おまけ動画「ポッケに小さな小説を」素敵な短篇を探す旅