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それがあれば、どんな夢も叶うというよ。
町田そのこ『うつくしが丘の不幸の家』を読み終わったら、そんな文句が頭の中に流れてきた。ゴダイゴの「ガンダーラ」だ。『西遊記』のエンディング・テーマだよ。歌詞がちょっと違うよ。
それ、というのは、家、のことだ。衣食住のうちでもっともお金がかかり、無いとものすごく困るのが家。そうだよね。私も会社を辞めてフリーになるとき、社宅を出なければいけないからまず家の算段をしたもの。でも『うつくしが丘の不幸の家』は、家を手に入れたのになぜか幸せになれないひとびとの話なのである。五章から成る連作小説だ。

家はおんなのおはか、なのか
第一章「おわりの家」の語り手・美保理は、うつくしが丘に夫婦で家を買って引っ越してきた。築二十五年、三階建て一軒家の一階部分を改築して店舗にする。美保理は美容師の、夫の譲は理容師の免許を持っているのだ。うつくしが丘の家は、自分たちの店を兼ねた夢の城、のはずだった。
でもその夢が急に色褪せてしまう。そんな朝が来たのだ。ぺろんと剥がれた壁紙のはしを何度指で押さえても糊がきかなくなったのか貼りついてくれない。一階を店舗にするところで予算が尽きたため、二階以上の住居部分は手つかずのままなのだ。結婚式を挙げるのも諦めて資金をすべて注ぎこんだのに。アイランドキッチンにできなかった古い台所にしみついた、油の臭いがうらめしく感じる。
そんな気持ちになったきっかけは、近所の人らしい口の悪いご婦人に、嫌なことを吹き込まれたせいだ。美保理たちの買ったその家は、目まぐるしく住人が替わった「いわくつき」の家なのだという。住むと必ず不幸になって出て行ってしまう家。
───ねえねえ、いくらくらいで買われたの? いわくつきの家って、少しくらいお勉強してもらえるんでしょう? もしかして、全く? やだあ、可哀想。
もちろんいわくつきの家と知って買うわけはない。美保理は思う。いつもそうなのだと。わたしのしあわせは、いつだって誰かにミソをつけられる。
家という夢の買い物をしたのに幸せを手に入れられなかった。そう思う語り手の話である。続く第二章「ままごとの家」の語り手は多賀子、夫の義明との間に一女一男を儲けた主婦だが、彼女もまた不幸せのどん底にいる。義明が浮気をしているらしいのだ。それだけではなく、自分を軽んじている節のある息子・雄飛の態度がおかしい。高校生でありながら、女性を妊娠させていたのである。高校を辞めて働くという雄飛を義明は説得し、大学に行くように気持ちを変えさせたのだという。赤ん坊は産めばいい。大学を出て独り立ちするまでは、この家で彼女と多賀子が協力して育てればいいではないか。
少し早いけど孫を抱っこできるなんて幸せだろう。
そんな言葉を義明に投げかけられて多賀子は悲鳴を上げる。そんな大事なことを自分に相談なく決めたのかと。しかし義明は耳を貸そうともしないのである。子供のことは俺のほうがわかっている、黙って見ていろと。
言葉を封じられた多賀子は、家の中のある場所に潜り込む。押し入れの中にある一畳ほどの空間だ。前の住人に子供がいて、書いたのだろうか。家のあちこちに落書きが残っている。その押し入れにも。数体の人影と箱のようなもの、そしてたどたどしい文字で「おんなのおはか」と。正確には「おんなのおはか→じごくいき」。
おんなのいえの幸せとは何か
すでにおわかりかと思うが、美保理と多賀子が住んでいる家は同じうつくしが丘の家である。そして、美保理よりも多賀子のほうが古い住人だ。章ごとに一世代ずつ遡りながら、その家に住んだことで不幸になったと言われるひとびとが実際にはどうだったのか、を描き出していくという趣向なのである。第三章には当然だがその「おんなのおはか」の落書きをした子供・響子が登場し、彼女と同居する女性・叶枝が語り手を務める。各章の語り手はすべて女性である。家という場所に繋ぎ止められてしまったために人生が変わってしまった女性たちの物語、という風にも読むことができる。
「幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸な形がある」(望月哲男訳)とはレフ・ニコラエヴィッチ・トルストイの長篇小説『アンナ・カレーニナ』の有名な書き出しだ。作者はそれを意識しているのではないかと思う。『うつくしが丘の不幸の家』を貫いているのは、「幸せな家族にもそれぞれの幸せの形がある」ということだからだ。
多賀子の物語で不在の人物は、雄飛の姉である小春である。役者を目指すという夢に理解を示さない父親と衝突し、家を出てしまったためだ。ひさしぶりに家に戻ってきて「おんなのおはか」でまどろむ母親を発見した小春は、多賀子に言う。この家を買ったのがいけないんだと思う、わたしたちには合わない家なんだよ、不釣り合いなんだ、と。
我が家を買ってそこに住めば家族には幸せが訪れる。でも、それは本当なのだろうか。誰がそれを決めたのだろうか。幸せには一つの形しかないと思い定めてそこに自分を押し込むことで、見えなくなってしまうものがあるのではないだろうか。
女性が語り手に選ばれているのは、世の中に漂う幻想を押しつけられることが多い性だからだろう。結婚、出産、育児、さまざまな幻想がお仕着せのようにあてがわれる。その中核には家というものが存在するのだ。家が悪いわけではない。本書の語り手たちも、自分たちに合った幸せの形が何かを模索し、それを手にする。たった一つのやり方ではなく、幸せになるにもそれぞれの道があるのだということを発見するのである。不幸、絶望と書いてきたが、どの章も曙光の見える終わり方をするので安心して読んでもらいたい。
作者の町田そのこは2016年に「カメルーンの青い魚」で第15回「女による女のためのR−18文学賞」大賞を授与されてデビューを果たした人だ。これまで受賞作を収めた『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』、『ぎょらん』の著書がある。今回の『うつくしが丘の不幸の家』は『ミステリーズ!』掲載時に最初の三篇を読んでいたのだが、そのときは真価がわかっていなかった。時間を遡っていくという構成が雑誌掲載の形ではぴんと来なかった、というのは言い訳である。まとめて単行本で読んだらおもしろいではないか、これ。語りの趣向にも工夫があり、読者を物語の中に引き込んでいく力がある。なるほどなるほど、こういう作家だったのか。


(杉江松恋 タイトルデザイン/まつもとりえこ)
※おまけ動画「ポッケに小さな小説を」素敵な短篇を探す旅