箱根駅伝で“世紀のデッドヒート”を演じた雑草ランナー・伊藤達彦が思い描く世界への道筋

今年も1月2日から3日かけて開催された、新春の風物詩・箱根駅伝。学生ランナーにとって最高の晴れ舞台、そのエース区間である“花の2区”で、大会の歴史に残る好勝負が生まれた。
主役は東洋大学の相澤晃と、東京国際大学の伊藤達彦。1時間5分57秒という区間新記録を叩き出した学生最強ランナーの相澤と、およそ15キロにわたるデッドヒートを繰り広げて区間2位となった伊藤だが、高校時代までは無名の選手にすぎなかった。

負けず嫌いの性格とたゆまぬ努力で飛躍を遂げた伊藤はこの春、設楽悠太が所属するHondaに入社して世界のひのき舞台を目指していく。同い年のライバル・相澤の背中を追う心境、大学の後輩たちへの思い、そして大目標である2024年のパリオリンピック……。「自分が成功すれば、無名の選手も自信を持ってくれるはず」と語る叩き上げのランナーは、さらなる成長を目論んでいる。

取材・文/大木信景(HEW)、曹宇鉉(HEW)

大学最後の1年で心境に変化「どうせやるならトップに」


箱根駅伝で“世紀のデッドヒート”を演じた雑草ランナー・伊藤達彦が思い描く世界への道筋

――高校生になってから本格的に陸上競技を始めたという伊藤選手。中学時代はサッカー部だったそうですが、そのころも持久走には自信があったんでしょうか。

サッカー部の練習でも、ランニング系のメニューは毎回トップでした。子供のころから走るのは得意だったと思います。鬼ごっこも結構強かったですね(笑)。

――陸上に打ち込もうと思ったきっかけを教えていただけますか

最初に長距離の魅力を知ったのも、駅伝がきっかけでした。通っていた中学校で、大会が近くなると唐突に駅伝部ができるという風習があって(笑)。そこに助っ人として呼ばれて、初めて駅伝を走ったときに「楽しいな。
陸上部で本格的に長距離をやってみようかな」と思ったんです。

――とはいえ、高校時代は際立った成績を残せたわけではありませんでした。東京国際大学に入学した当時は、自分がここまで成長できると感じていましたか?

正直、自分でも想像以上でした。大学に入った当時の目標は「箱根駅伝を走ること」だったので、区間賞を狙えるレベルまでは考えていなかったというか……。なによりもまず、憧れの箱根駅伝を走ることが目標だったので。

――目標を“上方修正”した時期はいつごろだったんでしょうか。

2019年3月の学生ハーフで3位に入ってユニバーシアードの出場権を獲得したときに「もうちょっと頑張れば、自分でも学生トップになれるんじゃないか」という可能性が見えてきて。ここで自信が持てたことで、目標をもう少し高く設定するようになりました。

――2019年に飛躍できた理由を、伊藤選手自身はどのように分析していますか?

一気に成長したわけではなくて、1年生の夏合宿から一度も怪我をせずに地道にトレーニングをこなすことができたことが大きいと思います。元々、長い距離を走ることに苦手意識があったんですけど、学生ハーフの前に走った「唐津10マイルロードレース大会」で2位に入って、「16キロがうまく走れたなら、あと5キロ長くなってもいけるはずだ」と。

――7月にはイタリア・ナポリで開催されたユニバーシアードに日本代表として出場。個人で銅、団体で金と素晴らしい結果を残しながらも、悔しさを感じていたそうですね。


学生ハーフが終わって気持ちが変わって、大学生活の最後の1年ですし、「どうせやるならトップになりたい」という欲が出てきたんです(笑)。調子は悪くなかったのでレース前は「勝てるかな」と感じていたんですけど、負けてしまった。すごく悔しかったですね。

「往路優勝もあるかも……」ヴィンセントの激走に夢を見る


箱根駅伝で“世紀のデッドヒート”を演じた雑草ランナー・伊藤達彦が思い描く世界への道筋

――そして秋から冬にかけての駅伝シーズンがやってきます。日本人選手トップの走りを見せた箱根駅伝の予選会の1週間後には、全日本大学駅伝の2区で区間新記録での13人抜きを達成。初出場で4位に入った東京国際大学は一躍メディアの注目を集めました。

それまでにも自分たちの世代が一番強いと周囲から言われていたので、しっかりと目に見える結果が出て安心しました。もちろん「期待されているな」というプレッシャーもあったんですが、そのおかげで僕もみんなも期待に応えられるだけの練習を積むことができたんだと思います。

――箱根の予選会から全日本までは非常にタイトな日程でしたが、調整面での不安はありませんでしたか?

自分の課題として、これまでは続けて試合に出るとあまりいい結果が出ていなかったので、不安はすごくありました。過去の失敗を踏まえて、予選会の後は温泉に行ったり食べ物を工夫したり、体のケアにかなり気を使いましたね。

――そして大目標の箱根駅伝では、大学の過去最高記録を大幅に更新する5位に入ってシード権を獲得。往路でも復路でも見せ場を作っての好結果でしたが、箱根が終わったときはどんな心境でしたか?

心の底から「やりきった……」という気持ちでした。結果は5位でしたけど、3位争いに加わることができるほど自分たちが成長できていたのは驚きでしたね。
シード権獲得という目標を達成できたことも、本当に嬉しかったです。

――伊藤選手から襷を受け取ったヴィンセント選手が、3区の区間記録を2分以上も更新する凄まじい走りを見せて首位に立つ場面もありました。

ヴィンセントはもう絶対にやってくれると信じていたので、あの走りも「でしょうね!」みたいな(笑)。「3区でたくさん貯金を作って、4区と5区が粘ることができたら、もしかしたら往路優勝もあるかも……」という夢も頭をよぎりました。でも、やっぱり箱根はそんなに甘くはなかったです(笑)。

やはり強かったライバル「いつか絶対に相澤くんに勝ちたい」


箱根駅伝で“世紀のデッドヒート”を演じた雑草ランナー・伊藤達彦が思い描く世界への道筋

――そしてなんといっても、伊藤選手と相澤選手の2区でのデッドヒートは箱根駅伝の歴史に残るハイライトになりました。学生ハーフ、ユニバーシアードで敗れた相手でもある相澤選手ですが、鶴見中継所で待っている間の会話の内容を教えていただければ。

そんなに面白い話はしていないですよ(笑)。東国大から13秒遅れて東洋大が来る形になったんですけど、相澤くんは「すぐに追いつくから」と言っていました。大志田監督の指示も「追いつかれてから一緒に行け」ということだったので、並走して前を追って行けばいいか、という感じでしたね。

――相澤選手との並走中は相当速いペースだったと思うんですが、どんなことを考えながら走っていたんでしょうか?

たしかに「速いな」とは思っていたんですけど、相澤くんに勝つために練習してきたので、とにかく「絶対に負けたくない」と思って走っていました。元々ちょっとしたことでも負けたら悔しがるくらい、人一倍負けず嫌いな性格なので。

――権太坂で一度離されかけながらも下りを使ってスパートしたシーンは、伊藤選手の負けん気の強さを感じさせるシーンでした。


テレビに映ったあの場面以外にも、お互いに何回も揺さぶりをかけていました。あのまま引き離すことができれば良かったんですけど、相澤くんはまだまだ余裕があったみたいです。逆にラスト3キロくらいのところで相澤くんに先に仕掛けられてしまって、うまく対応できなかった。そのあたりが敗因だと思いますし、これからの課題ですね。

――あれだけのハイペースで前の選手を追いながら、常に駆け引きをしていたんですね。

そこまでキツくないときは「次はここで仕掛けよう」と考えられていたんですけど、権太坂くらいからは「やべえ! とりあえず付いていかないと!」みたいな感じです(笑)。終盤はとにかく追いていかれないように、がむしゃらに走っていました。レース中はかなりハイになるというか、気合で走るタイプなんです(笑)。

――結果的に相澤選手は2区で区間新記録を更新。伊藤選手も歴代3位タイの好記録を残しました。走り終えた後は、どんな言葉を交わしましたか?

区間新が出たことについて、相澤選手から「並走したおかげだ」と声をかけられましたね。「お互い様だよ」みたいなことは話しました。


――見ている側にとっては胸が熱くなる好勝負でしたが、伊藤選手自身としてはライバルに競り負けた悔しさと好結果が残せたという充実感、どちらがより大きいのでしょうか。

どちらもあるんですけど……。やっぱり「勝てなかった」という気持ちの方が大きいですね。いつか絶対に相澤くんに勝ちたい。箱根での敗北も、その後の都道府県対抗駅伝(相澤選手が7区で区間賞、伊藤選手は区間5位)も、今後のための糧として捉えています。

――区間新記録が続出した今年の箱根駅伝では、ナイキの厚底シューズ「ヴェイパーフライ」が話題になりました。靴に注目が集まる状況についてはどう感じていますか?

すごく走りやすいシューズだと思いますけど、メディアの方は「靴のおかげでタイムが出た」と表現することが多くて、自分としてはあまり嬉しくないというか……。ほかの選手が言われていることでも、努力を抜きにして「靴のおかげ」というのは少し腹が立ちます。

個人的な話をすると、普段の練習ではヴェイパーフライは履いていません。走るための筋力がつかない感じがするので。基本は薄底を履いて、試合前の調整と本番では厚底を履く、というやり方が自分には合っている気がします。

エリートではなくても、上の世界で戦えることを証明する


箱根駅伝で“世紀のデッドヒート”を演じた雑草ランナー・伊藤達彦が思い描く世界への道筋

――来季は三大駅伝すべてでシード権を持つ東京国際大学。
伊藤選手をはじめ層の厚い4年生は卒業となりますが、後輩たちにはどんな結果を期待していますか?


4年生の世代が抜けることで、世間では「ここから弱くなるんじゃないか」と言われているかもしれません。そこで反骨心を見せてまたシード権を獲得してくれれば、本当の強豪、常連校といえる存在になれるんじゃないかと思います。出雲、全日本、箱根、どれも上位で走って世間を見返してほしいですね。

――卒業後は設楽悠太選手も所属するHondaに進む伊藤選手。旭化成に入る相澤選手との再戦にも期待がかかりますが、実業団ランナーとしての目標を聞かせていただけますか。

まずは4月の1万メートルの記録会でしっかりと28分20秒(参加標準記録)を切って、日本選手権に出たいですね。最初の1年はトラック中心になると思いますが、いずれはマラソンにチャレンジしたい。パリオリンピックでマラソンの日本代表になることを目標に、ここからの4年間を頑張っていくつもりです。

――2024年のパリに向けて、自分の中で強化したいポイントはありますか?

もっとカッコよく走れるようになりたいです(笑)。自分で見ていてもフォームが汚いんですよ。やっぱり井上大仁選手(MHPS)とかマラソンで強い選手はフォームがすごく綺麗なので、憧れますね。

――学生から社会人になって伸び悩んでしまう選手も少なくありませんが、伊藤選手の場合はそういった不安はありませんか?

まだまだフォームも汚ければ走り方も下手くそなので、そのぶん、伸びしろはたくさん残されていると感じています。Hondaに入って細かい部分をしっかりと修正して、今後もどんどん強くなっていきたいです。

――Hondaの先輩である設楽選手や、マラソン日本記録保持者の大迫傑選手をはじめ、SNSを通じて自分自身の考え方を発信するランナーが増えています。伊藤選手も、箱根の前にTwitterで“区間賞宣言”をしていましたね。

目標を明確にして自分にプレッシャーをかけることでモチベーションが上がりますし、もし失敗したら失敗したで、余計に反省できると思うんです。SNSを通じて、他の選手の意見を参考にさせてもらっている部分も大きいですね。

――Twitterのプロフィールには「地方馬がダービーを制す」という言葉が掲げられています。やはり雑草魂のようなものが根底にあるのでしょうか。

どんな世界でも、下から突き上げて成り上がっていくのってカッコいいじゃないですか(笑)。それに自分が成功すれば、元々は無名だった選手も希望や自信を持ってくれるんじゃないかな、と。「エリートではなくても上の世界で戦えるランナーになれる」ということを証明したくて、こうして競技に打ち込んでいます。

Profile
箱根駅伝で“世紀のデッドヒート”を演じた雑草ランナー・伊藤達彦が思い描く世界への道筋
伊藤達彦

1998年3月23日生まれ、静岡県出身。浜松商業高校で本格的に陸上競技を始め、東京国際大学に進学。箱根駅伝初出場となった2年生時から3年連続で“花の2区”を任され、4年生時には区間2位、歴代3位タイの好タイムを記録。大学史上初のシード権獲得(5位)に大きく貢献した。また、2019年7月にイタリア・ナポリで開催されたユニバーシアードのハーフマラソンで銅メダルを獲得したほか、全日本大学駅伝では2区で区間新記録を樹立(13人抜き)。大学卒業後は、設楽悠太が所属する実業団の強豪・Hondaに入社する。