
←「愛の不時着」にハマる理由と、ドラマからみる理想の男性像
「恋に落ちる」
それは恋の喜びとそれを失う悲しみの両方を受け入れること。
恋の始まりには永遠かとも思える恋愛感情も、いつか終わりが訪れる。
喜びと悲しみ。それが恋。
でも「愛の不時着」を見てふと思った。
本当にそうなのだろうか。
また一気に燃え上がる恋ほど冷めるのが早いと言われるけれど、これは普遍的な事実なのだろうか。激しい恋愛感情を少しでも長く持続することはできないのだろうか。
昔に比べれば経済的に自立する女性が増え、結婚しない男女も増加傾向だ。当然ながら男女の力関係や恋愛事情も変化している。そう考えると恋愛だってステレオタイプの結末ばかりではないのではないか。
実際のところ(ドラマとはいえ)、主役の二人は新しいスタイルで恋愛関係を持続している。ドラマは現実社会トレンドの反映でもあるから、あながち的外れな推測でもないように思える。
そこで「愛の不時着」からみる恋愛を継続させるために必要な3つの要素について考えてみた。
1. 障害は想像以上に心に想いを刻む
まずは「愛の不時着」の簡単なあらすじを。
パラグライダーで飛行中に竜巻に巻き込まれ、北朝鮮に不時着した韓国財閥令嬢で会社経営者でもあるユン・セリ(ソン・イェジン)と、北朝鮮の将校リ・ジョンヒョク(ヒョンビン)の38度線を超えたラブストーリー
リ・ジョンヒョクとユン・セリの間には38度線という大きな障害がある。この障害なしに二人の感情の高揚は説明できないし、視聴者がこれほどまでにストーリーに引き込まれることはない。
「38度線を越える」ということは、言わば死ぬか生きるかの大問題。
つまり線を隔てて別れてしまえばもう二度と会えないことを意味する。
しかし二人はこの障害を超えて恋に落ちてしまう。
でも障害は障害だ。
ようやく出会った愛する人であっても、二度と会えない線の向こう側へ帰す決断をするしかない。そばにいたいと切望しても、その気持ちと逆の行動を取ることが相手の安全と幸せにつながるという悲劇。相手のために一緒にいることができないという辛い現実は二人の心に深く刻まれる。
無論この障害は簡単に解消されるものではないし自分たちでコントロールできるものでもない。でもそれが取り除かれない限り相手への想いは募り続けるのだ。
満たされない"想い"は消えることなく、むしろより一層強くなっていく。
障害は想像以上に心に"想い"を刻むのだ。
2. 相手の世界が自分の価値観を超えた未知のものであったなら
セリの元婚約者で詐欺師のク・スンジュンンが、リ・ジョンヒョクの婚約者ソ・ダンに恋愛についてこう指南する場面がある。
「人がときめくのは、結末を知らないからだ」
恋愛は誰もその結末を知らない。
だからこそ人は恋にときめき、悩み、一喜一憂しながら相手との関係性を築き上げていく。
さて、ここで考えたいのは大人の恋愛についてだ。
ドラマの設定では主人公の二人は30代前半。セリもリ・ジョンヒョクも立派な大人。となれば、人生経験もあるし恋愛の意味もわかっていると想像できる。
"母体ソロ"疑惑のあるリ・ジョンヒョクはともかく、少なくとも恋多き女として名が通っていたセリにとっては、恋の始まりから結末までを予測できるくらいの経験値も分別もある。つまり恋愛でときめいたとしてもその行く末をある程度は予想できる。
しかし、自分とは全く別の世界で違う価値観を持って暮らしてきた人が恋の相手となれば話は別だ。
北と南。近くて遠いこの分断国家においては何から何まで異なる。
ここでは恋多きセリでもこれまでの常識は通用しない。恋の駆け引きやテクニックは意味をなさず、素の自分で勝負するしかない。
これはリ・ジョンヒョクも同じこと。今まで接してきた北朝鮮の女たちにはない価値観を持ったセリに振り回されて、いつものポーカーフェイスではいられない。
30代の大人が自分の武器でもある「経験」が役に立たない状態で恋愛をすればどうなるだろう?
ときめきの先にある結末は未知なことだらけ。大きな障害がればなおのこと。
素で勝負するほど怖いことはないけれど、それゆえに気持ちが燃え上がることは想像に難くない。そして未知であればあるほど人は情熱を傾けてしまうのだ。
3. 制約が恋愛感情をゆっくり育てる
ドラマでは最終的に主人公の二人は北と南でそれぞれ元の生活に戻っていく。
お互いを想いながらも会うことはおろか連絡を取ることもできない。
恋愛感情が最高潮に盛り上がっていた時に別れを余儀無くされた二人は会える方法を模索し、お互いに縁のあるスイスでの再会が実現する。
そして1年に2週間だけスイスで逢瀬をする関係を続けていくことを選んだ。
これは現状考えられる限り最善の策だ。
でも、実はこの「年に1回の逢瀬」が恋愛感情を持続させるのに功を奏しているのではないか?
セリは会社の経営者として成功し自分の人生を生きている。
リ・ジョンヒョクは除隊し国立交響楽団で演奏家としての人生をスタートさせた。
二人とも家族を悲しませることも犠牲にすることなく前向きに生きている。
その一方で、そばにいることはできなくても心に秘めた愛する人がいる。
相手も自分を愛している。その想いを信じることができれば強くなれる。
年に一度、情勢に変化がない限り待ちに待った逢瀬が実現し、それを励みに日々を生きることができる。
実はこれ、結構理想的な男女の距離感なのではないかと思うのだ。
残念ながら未来永劫続く恋愛感情はない。
いや、恋愛感情に限らず永遠に変わらぬ感情自体が存在しない。
それが良いか悪いかということではなく、そもそも生きることは変化することだ。
でも自分のペースで相手への想いを育てることができるなら、その変化は緩やかな安定したものになるのではないか。
ちなみにこれは双方が自立した大人だから可能な恋愛の形。
そして個人的にはその関係性がとても心地よいもののように思える。
自分の人生を生きながら相手を想う日常。そして年に二週間だけはその人に触れることができる。常に会えないからこそ、その二週間は幸福で濃密な時間になるだろう。ほとんど織姫と彦星の世界だが悪くない関係だ。
それに愛と信頼関係さえあれば未来に希望を持ち続けることができる。
4. 最後に
「愛の不時着」からみる恋愛感情を持続させるかもしれない要素は3つ。
(1)想い合う二人の間に立ちはだかる障害
(2)コントロールできない未知
(3)自由に会えない制約
「これでは結婚できないではないか!」という意見もありそうだけど、結婚とは制度であり契約であり、もっと言えば生活なのでここで焦点を当てている「恋愛感情の持続」とは観点が違う。
もちろん恋愛感情を経て結婚するケースは多いが、そこがポイントではない。
(リ・ジョンヒョクも婚約者に「好きじゃなくても結婚はできる。だが、他の人が好きなままでは結婚できない」と言っている。
それよりも大切なことは愛する人がいること。自分と相手を信じること。そして自分を大事にしつつ相手の幸せを願うこと。
これらをベースに(1)〜(3)までの要素が加われば恋愛感情はより長く持続するかも。
人は一緒にいなければ共に成長できないというわけではない。
遠くにいても信頼関係は築けるし相手を想うことはできる。
「なんだか素晴らしい恋愛関係!」と、個人的には思うのであった。
ところで、「愛の不時着」から恋愛のスタイルまで考察する私はどこまでこのドラマにハマっているのだろう。どんな薬も効かない。
「愛の不時着ロス」はまだまだ続く。
<noteより転載 元になった記事はこちら>
←イラスト「愛の不時着」 リ・ジョンヒョクやユン・セリ、ソ・ダンなど
仕事:ビジネス系フリーランス / ライター / カメラマン 趣味:写真 / 映画 / ドラマ / 脚本 / 映画作りたい /書く 写真はフィルムの頃から心の友。最近は「愛の不時着」にどハマり中。